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その暗殺令嬢は政略結婚の夫を殺したいほど愛しているので  作者: 朱音ゆうひ@4月1日新刊発売!


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6、灰鐘町の戦い

 灰鐘町(はいしょうちょう)グラニルは、カルドア伯爵領の外縁にある町だ。

 

 この町は今、存亡の危機に瀕している。

 近くの炭鉱がダンジョンに繋がり、モンスターが溢れ出たからだ。


 モンスターが来る。

 近隣の都市すべてが危うい。

 最近就任したばかりの新領主は傭兵を集めているが、おそらくすべての都市を守るには人手も時間も足りないだろう。

 そんな話が夜も朝も町民の間を駆け抜けて、町民は炭鉱から少しでも遠い場所へと逃げようと荷物をまとめたり、家に籠ってモンスター禍をやり過ごせないかと右往左往している。

 

 そんな町の片隅にある小さな家の薄暗い室内で、若い母親は赤子を胸に抱き、何度もあやしていた。

 まだ生まれて間もないその子は、敏感に大人たちの不安を察した様子で泣き続けている。

 

 ああ、大切な愛しい、私の赤ちゃん。

 この子をなんとか守らなきゃ。でも、どうしたら?

 

「よしよし……大丈夫よ、大丈夫……」


 安心させてあげたいのに、声が震える。心臓が落ち着かない。

 

 モンスターがやってくる。それはとても怖いことだった。

 襲われるのを待っているだけなんて、不安と恐怖で頭がおかしくなってしまいそう。

 逃げたい。少しでも遠くに、一刻も早く。


 けれど。

 奥の寝台には、炭鉱で働いていた祖父が横たわっている。

 

 彼は、夫と一緒に炭鉱で働いていた。

 炭鉱作業中にモンスターの巣窟に繋がってしまった際、祖父は夫をモンスターの牙から守って負傷した。

 夫と共になんとか生還したが、その後、発熱して起き上がることもできなくなっている。

 

 幼い頃から優しかった祖父を見捨てて逃げるなんて、できない。

 

 ごとん、ごとごと、ばたばた――家の外から物音と声が聞こえる。

「早く」

「急いで、行くわよ」

 ご近所さんが荷車を引き、子どもを抱え、家を離れて逃げていくのだ。

 ああ――


「おぎゃあ、おぎゃあ」

「よし、よし……大丈夫。大丈夫よ……」

 

 母親がおろおろと我が子をあやすのを背景に、父親である夫はつるはしを握りしめて家を出ようとしている。

 その背中は、家を守る意思に満ちていた。


「……行くの?」

「ああ」


 夫は普段から寡黙なひとだった。

 

 語らずとも、その心が妻には痛いほど理解できる。

 

 彼は、家を守るために戦いに行くのだ。

 

 もしかしたら今生の別れになるかもしれない。

 妻は震えながら、その背が見えなくなるまで見送った。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 何も心配するな、お前たちはおれが守る。

 そう言えたらどんなに格好よかっただろう。

 だが、男にはそんな言葉が吐けなかった。言おうとしても、喉が詰まったようになってしまって、どうしても声にならなかった。

 

 家を後にした男は、雲ひとつない蒼穹の下を駆け出した。

 

 住み慣れた町。居心地のいい我が家。

 気の優しい妻と、元気な乳児。たまに揉めることもある隣人たち。

 

 灰鐘町はいしょうちょうグラニルは、おれの、おれたちの町だ。

 守らなければならない。守りたい。

 ……だが、難しいのだろうなあ! わかっているんだ。みんなみんな、わかっている。

 

 それでも、何もせずにやられるままでは、いるものか。

 

 炭鉱側の町の入り口には、男と志を同じくする同志が集まっていた。


 鍬や鎌、包丁。

 家にある武器になりそうなものをとりあえず持ってきた――そんな野郎どもだ。

 

 いずれも見知った顔ぶれで、一番近くにいるのは、洟垂れ小僧のころに「どっちが多く昆虫を採れるか」対決で森に行って道に迷い、仲良く大人に叱られて以来の親友だった。

 つい先日「うちの嫁さんも授かったんだ」と教えてくれたばかりだった。長い物干し竿を槍のように構えている。


「来るぞ……」


 地面が鳴っている。土煙が見える。

 押し寄せてくるのは、破壊衝動を抱えた暴走モンスターの群れだ。


 毒角を持つ俊敏なキラーラビット、牙から黒ずんだ唾液を垂らすブラッドウルフ、炭塵にまみれたゾンビやスケルトン。長い間、地下ダンジョンに籠っていた薄汚い化け物の軍勢だ。

 緑皮のゴブリンたちは炭鉱の道具を手に、甲高い叫び声をあげながら隊列を崩して突進してくる。

 

 男の脳裏に、なすすべもなく地面に倒され、モンスターに喰われる自分たちの未来予想図が浮かぶ。

 きっとそうなる。

 そんな絶望が、ずしりと腹の奥に重みとなって落ちていく。動物が本能的に感じる生命の危機をひしひしと感じる。正直、怖くてたまらない。

 だが、抗わない選択肢はない。絶対――絶対だ。

 

 なぜならおれは、あのあどけなくてふにふにと笑う赤ん坊のお父さんだからだ。

 あの温かく柔らかな妻の、頼りになる夫だからだ。

 この町で生まれ育った、誇り高き成人男子だからだ。

 

 灰鐘町はいしょうちょうグラニルの老町長がさび付いた剣を掲げ、悲壮な声で空気を震わせる。


「ここはわしらの町じゃ」


 白い髭に覆われた老町長の口は、普段は穏やかにゆっくりと言葉を選ぶ。

 孫に飴をやり、ニコニコと微笑んでいるのが日常の、優しい爺だ。

 市井で語られる勇壮な騎士と違い、武器の扱いなど知らない。

 弁舌に長けているわけでもない。どちらかといえば、口下手な爺さんだった。


「わしらの、町なんじゃ」

 

 英雄物語に出てくるような演説は、爺さんの町長にはできなかった。

 彼はただ、当然のことを言っただけだった。

 けれど、それで男たちは奮い立った。


 当たり前だ。ここは、おれたちの町なんだ。

 自分たちの町を外敵から守る。家を守り、家族を守る。

 そんなのは、当然のことなんだ。

 

 男たちは、吠えた。野生の獣のような雄たけびだった。

 

「おおおおおおおおおおお!」

  

 モンスターがなだれ込んでくる。

 

 先頭のトカゲのようなモンスターが炎を吐いて、親友の右腕と物干し竿が燃えた。

 燃えながら駆けて物干し竿をキラーラビットに突き刺している。

 

 彼を狙って剣を振るスケルトンが見えて、男はスケルトンの足元を狙ってつるはしを振り下ろした。

 ガツン――硬い手ごたえと共に、膝の関節を砕くことに成功する。

 スケルトンは前のめりに倒れた。

 男はそいつの頭を踏みつけ、腰に下げていた水筒の中身を親友にかけた。


「ありがとう、助かった……」

「使え」

  

 男はスケルトンの剣を奪い、親友に渡した。

 親友は左手でそれを受け取り、飛びついてきたブラッドウルフに膝を食いつかれながらそいつの尾を断ち切った。


 けがをしないように戦えないのか、のろまめ。そんなんじゃ、すぐにやられるぞ。

 言おうとした瞬間、激痛が走る。

 

「うっ」

 

 視線を落とすと、子犬ほどの大きさをしたアリがいた。

 男の足首に噛みついている。ぞっとした。

 

「この野郎!」

 

 男はつるはしを奮い、アリの頭を粉砕した。ぐしゃりと潰した嫌な感触が手に残る。だが、命が助かった。

 アリの遺骸を払いのけていると、大きな壁のようなものが衝突してきて、なすすべもなく倒れこむ。


 なんだ? 

 

 どろりとした臭い液体が自分の上から降ってきて、じゅわっと肌が焼ける。

 男は溜まらず悲鳴をあげた。もがいて、なんとかしようとして――なかなか打開できない。

 熱い。痛い。苦しい。死ぬ。死んでしまう!


「ちくしょう! そいつを放せ! 放せったら!」


 親友が吠えている。

 ガンガンと上から振動が伝わってきて、ふと上に乗っていた壁が割れた。

「はぁ、はぁ、はぁっ……」

 焼けた肌が風に触れる。

 自分の上に何が乗っていたのかわからないが、ぼろぼろになった親友が助けてくれたのはわかった。

 

「生きてるな」

「あ、ああ」

 感謝の言葉が風に攫われる。饐えた匂いと鉄さびた匂いが鼻を突く。

 

「わああああああ! ああああああああああ! あああああ!」

 酒屋の主人がゾンビに抱き着いて叫び、町長と肉屋の旦那が二人がかりでゾンビの首を落とす。そこへ、ゴブリンが五体がかりで飛びつき、緑色の山のようになる。

「ごらあああああ!」

 彼らを助けようと酒場の親父が酒瓶で殴りかかり、そこにスライムが忍び寄る。めちゃくちゃだ。


「おい! 気を付けろ親友!」

「くっ……」 

 

 躱しても次が来る。倒してもお代わりが来る。

 

 燃えている。

 町が背後で燃えている。

 モンスターの中に火を吐くやつがいて、そいつの炎が広がったのだ。

 

 かん、かんかん――けたたましく鳴り響いていた警鐘が止まる。鳴らす余裕がなくなったのか。やられたのか。

 

「だめだ」

 

 理想は、町の入り口で群れを食い止める成果だった。

 だが、モンスターは町に入っていく。

 男たちが目の前の一匹と追加の二、三匹に四苦八苦している間に、その横をすりぬけて他の個体が防衛線を悠々と突破していく――数が違いすぎるのだ。

 

「やめろ……」


 グラニルは滅びる。全員、死ぬ。

 どうしようもなく、そんな思いが強まっていく。

 だめだ。だめだ。だめだ。


「くそおおお!」

 無力感を外敵を屠る力に変えて、拳を突く。ぶよぶよとしたゾンビの腹にめりこみ、ぐずぐずとした腐肉と悪液が飛び散る。自分たちも、こうなるのか。

 嘔吐(えず)いた瞬間、脇腹にキラーラビットが突進してきて、吹き飛ばされる。地面を転がり吐瀉すると血が混ざっていた。

 

「大丈夫か!」

 誰かがキラーラビットを蹴り飛ばしてくれている。親友だ。ありがたい。

 

 立ち上がろうとするが、出血でふらついて難儀する。


 痛みにはだいぶ前から慣れてしまったようだった。

 興奮している。怒っている。危機を感じている。

 極限のコンディションは、きっと死の直前までただの男を勇士にしてくれる。

 そうであれ――男が自分を鼓舞して立ち上がり、親友と背中合わせに武器を構えた時。


 ひゅん、と風を切る音がした。

 

 ひゅん、ひゅん、ひゅっ。連続だ。矢だ。


 銀色に煌めく矢が驟雨のごとく降り注ぎ、モンスターの頭部に矢が突き立つ。


 刺さった瞬間に、魔法の光を弾けさせ、モンスターが倒れる。

 倒れる。倒れる。

 倒されていく。


「お、おい」

「……え?」


 親友に促され、指さされた方角を見ると、旗を掲げる一団が彼らの町に駆けつけていた。

 

「え、え、援軍だ」

 

 町の反対側の出入口から駆け付けたらしき一団は、旗を掲げ、魔法の弓矢を打ち込んでモンスターを掃討していく。

 旗は、二種類。黒地に薔薇と杯の紋章。青地に盾と獅子の紋章。どちらも貴族の旗だった。


「キンツェル伯爵家の旗だ」

「ウェルザー伯爵家の旗もあるぞ」

「だが……」

 

 男たちは困惑した。

 駆けつけた旗持ちの一団は、騎士ではなかった。

 目つきの悪い男たち、軽装で影のように動く女たち……どう見ても、ならず者の集団だ。


 一人が声を張り上げる。

 大柄で、ひげもじゃ。顔にも腕にも傷があり、人相が凶悪な男だ。


「ウェルザー伯爵夫人の命令により、≪黒犬≫がこの町を守りに来た!」


「なんだって?」


 ≪黒犬≫といえば、盗賊、人さらい、暗殺と、ありとあらゆる悪事に手を染める、この地方でも有名な悪党の集まりだ。その連中がモンスターへと突撃していく。

 ……なんのためだって?

 

「守りに来た……って、言ったのか? あの≪黒犬≫が?」


 親友が呆然と呟いた。

 その声をきっかけに、ざわめきが波のように広がる。


「た、た、助かるぞ!」

「領主の兵が来た!」

「いや、あれは領主の兵なのか?」

「でも旗を掲げていて……」


 旗持ちの集団がポーションを振り、怪我人を集めている。

 水の出る魔道具を手に、消火活動も始めている。

 これは、これは――助かる! 男は目を潤ませた。


 絶望が一瞬で希望に塗り替わったのだ。奇跡のようだった。


「家に怪我人がいます。熱を出して寝込んでいます。老人です。薬を分けてもらえませんか」


 男は脇腹をおさえて救護班に懇願した。

 『怪我人』は、彼が愛する妻の大切な祖父だ。

 炭鉱で彼を庇ってくれた恩人でもある。いい爺さんなのだ。助かってほしいと、ずっと願っていた。


「夫人に感謝しろ。≪黒犬≫は伯爵夫人の命令でいち早くこの町に駆けつけたんだ」


 ポーションを配る≪黒犬≫の言葉に、男は状況を理解した。

 新領主のもとに嫁いだキンツェル伯爵家出身の令嬢が、≪黒犬≫に首輪をつけたのだ。

 

 そういえば、キンツェル伯爵家はそういう(闇稼業の)家だと噂で聞いたことがあった。

 

 そうか。そういうことなのか――「グラニルを救ったのは、ダリア様だ」人々の声が分厚い音の波になり、灰鐘町(はいしょうちょう)を駆け巡る。


 苛烈な太陽が君臨し、からりと晴れた青空の下。

 二つの旗は優雅に風に靡いていた。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆ 


 配下の≪黒犬≫が灰鐘町(はいしょうちょう)グラニルを救った頃。

 

 主人であるキンツェル伯爵令嬢=ウェルザー伯爵夫人ダリアは、ダンジョンで宝をゲットしていた。


 壁に点々と続く燭台の明かり。

 むき出しの土の壁と天井。空中を漂う魔法の光。

 後ろにはモンスターの死骸や武器が転がっている。

 

「やっぱり、貴重な魔道具がいっぱいあるわ。これなんて素敵ね。夫が浮気したら教えてくれるアラーム……遠隔操作で電流を流せるなんて……」


 オークションで売ったら、上流階級のご婦人にたいそう人気なのではなくて?


 ダリアはいそいそと宝物を魔法鞄に詰め込んだ。

 数年前にオークションで競り落とした高級魔法鞄は、異空間にアイテムを収納できる。

 ダンジョンの宝物が詰め放題だ。


「セオリー通りなら、ボス部屋は最下層。どんどん下に降りていきましょう」


 階段を下りてすぐ現れた巨大蜘蛛のモンスターに毒を振り撒き、ダリアは鼻に煤をつけ、悠々とダンジョンを進んでいった。

 

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