4、やめて。それ、格好いい
ヘルマンは伯爵に叙爵された後、それまで住んでいた商家の邸宅から離れて、別の新しい邸宅に移り住むことになった。
そのため、ウェルザー伯爵家の使用人団は新しくできた職場のために、領地内外から集められた志願者で構成されている。
新参の者ばかりで、主であるヘルマンともほとんど顔を合わせていない者も多い。
「つまりね、メルフェ。このおうちの使用人団は、間者や暗殺者が紛れ込む余地が十分にあるのよ」
「ええっ、お嬢様。つまり、一緒に階段下でお菓子を食べた仲間が敵かもしれないんですか?」
メルフェは新しい環境に適応し、使用人友達を作れているようだ。
お友達が間者だったら可哀そう。敵ではありませんように。
可愛い侍女のために祈りつつ、ダリアはウェルザー伯爵家の大広間に使用人団を集めた。
「ウェルザー伯爵の妻になりましたダリアです。わたくしの趣味は優雅なティータイムとお庭造り。スコーンには手作りのタリカブラジャムを塗るのが好みですわ」
タリカブラというのは、有名な猛毒だ。
「そういえば、夫人は物騒な貴族の家の令嬢だった」と使用人が青ざめる。
ダリアは全員の反応を確認しながら話し始めた。
「これから皆さまには、遊戯をしていただきます。わたくしの実家に伝わる伝統的な遊戯ですわ。貴族のお家に潜入している間者を探す……『ネズミ探しゲーム』と言いますの」
キンツェル伯爵家は伝統ある名門だ。
令嬢令息の教育プログラムは代々受け継がれていて、遊戯をしながら楽しくたくさんのことを学べるようになっている。
ダリアは遊戯が好きだった。
「最初に、全員が目を瞑ってください。わたくし、ネズミ役にだけ指示カードを見せますわ。ネズミ役は、指示通りに嘘をつかないといけませんの」
ルールを教えて全員に目を閉じさせ、ネズミを選ぶ。
あやしい反応をするものはいない。
「ネズミ役が決まりましたわ。では、全員目を開けて。次の説明です」
全員が普通の使用人なら、一番いい。
人間、やっぱり、裏切られると傷つくもの。
ヘルマンが傷つかなくて済むなら、いいことだわ。
「遊戯がスタートした後、皆さまには順番に自己開示しながら談笑していただきます。申告する内容は3つ。1つめ、出自や経歴、特に他家の貴族との関わり。2つめ、この屋敷に仕える理由。3つめ、主人、ヘルマン伯爵をどう思っているか」
使用人たちは真面目な顔で頷いたり、他の使用人を見て「誰がネズミに選ばれたんだろう」と反応を探ったりしている。
「わたくしが合図をしたら、談笑の時間はおしまい。皆さまには一人だけネズミを選んでいただきますの。『この者は嘘をついている』、あるいは『主人に害をなす可能性がある』……そう思う相手に、一票を」
使用人たちは、意外にも楽しそうに遊んでくれた。
社交界の令嬢たちには不評だった遊戯なのに。
『わたくし、ひとを騙したりしたくありませんの』
『これは友情にひびを入れる遊戯ではなくて?』
『もっと気楽におしゃべりをしたいですわ。そうそう、ご存じ? 王女殿下の婚約者が浮気したんですって』
さて、ウェルザー伯爵家の使用人団はいかがかしら。
「最も票を集めた方は処刑です。もちろん、本当に殺しはしませんわ、退場していただくだけですの。ただし、退場の前に、自分に票を入れた方へ、一言ずつ残していただきます。弁明でも、告発でも、ご自由に」
遊戯はおおいに盛り上がり、ダリアに情報をくれた。
ブライアンは盤面整理能力に秀でた執事。
アマンダは王室に仕えていた経験あり。
ケイナは後ろ暗いことがあって隠している。
何かあるたびにいがみあっている侍女たちは、意外と気が合っていそう……。
ダリアはカウチソファに優雅に座し、使用人のプロファイリングを進めた。
そこに、ふと影が差した。
背の高い誰かが後ろに立ち、ダリアが書き留めている『使用人の人物調査書』を覗いている。
真後ろに立つまで、わたくしに気配を感じさせないなんて。
というか、この爽やかないい匂いは。
「お嬢様。我が家の使用人を集めて、何事でしょうか? 彼らには仕事があるはずですが」
「まあ……ヘルマン」
大変。夫のおててがわたくしの肩に。
背後から肩に手を置き、ダリアの注意を引くのは、眉目秀麗な金髪の美丈夫――この家の当主ヘルマンだった。
濃紺の端正なフロックコートに白いクラヴァットを隙なく結び、胸に勲章を付けている。
ダリアは顔面を蕩けさせかけたが、意識して視線を逸らし、顎を上げて扇で口元を隠した。
「わたくしは女主人として彼らに挨拶をしていただけです。さあ皆さん、遊戯はおしまいですわ。お仕事に戻ってくださいな」
使用人を集めた甲斐があったわ。ヘルマンが釣れるなんて。
わたくしは釣りの才能があるのね。
錯乱気味になりながらツンと澄ました顔で流し目を送ると、夫ヘルマンはいつの間にか『使用人の人物調査書』を手に取っていた。
しかも、自然な所作でダリアの隣に座り、その背に腕を回すではないか。
えっ?
何が起きているの?
ダリアは現実を疑った。
まるで日常的にそうしているみたいに、こうするのが当たり前みたいに、肩を抱かれている。
「私の記憶にある経歴と相違がある使用人がいるようですね。確認しておきましょう。それに、相性が悪い者同士は職場を変えましょうか」
「え、ええ。それがいいと思いますわ」
「疲れている様子の者は一度まとまった休養を取って回復してもらいましょう」
「そうですわね。そもそも、人手も足りていないようですの。増員した方がいいですわ」
ダリアはおろおろとヘルマンを見上げた。
彼は、当たり前のような顔で書類へ目を落としている。
無意識? この手は無意識です?
心臓がばくばくと騒ぎ出す。
動揺は表に出さない。鼻血が出ちゃいそう。絶対だめ。
わたくしは完璧で、優雅で、何も動じない――そんなクールびゅーちーな妻を演じたい!
ダリアは扇を広げ、自分とヘルマンの間を遮る壁にした。
「にゃにをご熱心にご覧になっているの?」
「お嬢様は、使用人に私が殺されるとお疑いなのかと思いまして」
「フン。しょうね」
ああ、噛んでしまった。
でもヘルマンは気にしてなさそう。
そうよね、あなたはわたくしがにゃにを言っても気にしないのよね。
それにしてもこの体勢。画家に肖像画を描いていただきたいわ……。
ヘルマンの視線は調査書に固定されている。
体温や体つきを感じる距離だ。傍から見ると仲睦まじい夫婦に見えるに違いない。
「そういえば小耳にはさんだのですが」
「な、なあに」
ヘルマンは内緒話をするように耳元に顔を寄せた。超接近に心臓が止まりそうになる。
「私の写真に、はさみを入れているとか……」
美声でささやかれて、息が止まりそうになる。心臓が悶えている。耐えなくちゃ。
バキッ。
「あら、失礼」
わたくしの心臓の代わりに扇が壊れましたわ。
ダリアは力を入れすぎて怪音を奏でて壊れた扇をいたわるように撫でてから、何事もなかったかのように微笑んだ。
「それで、ヘルマン……その、それは、どなたからの噂かしら」
「さあ。ですが、私が冷たいと不満を抱え、写真に復讐なさるなんて……」
ヘルマンは距離を取り直すように立ち上がり、片手で金色の前髪をくしゃりとかきあげて微笑んだ。
「可愛らしいことをなさるのですね」
やめて。それ、格好いい。
心の中で黄色い悲鳴を上げつつ、ダリアは氷のような視線を投げ返した。
「ヘルマン。勝手にわたくしの心を邪推しないでくださる?」
わたくしは不満ではなく、萌えているだけなんですからねっ!
「さようですか」
さようなのよ! 微妙に優しい目にならないでくださる?
「ですが、それだけストレスを感じさせてしまっている点については、詫びましょう。一刻も早くこの結婚を解消すべく、王太子殿下にお会いする算段も付けました」
生真面目な声が寂しいことを言うので、爆発しそうな心に少しだけ寒々とした隙間が作られる。
萌え供給源が至近にいるせいで、隙間もすぐに萌えで埋まってしまうのだが。
「……そう。わたくしはあなたを守ってあげる算段を付けていたところよ。まずは一緒の寝室にしましょう。無防備に寝首をかかれるあなたを守ってあげても構わなくてよ」
表情筋を鍛えておいてよかった。
ダリアは冷淡な表情を維持したまま、完璧な相槌を返した。
「わたくしが愛飲しているタリカブラティーも淹れてあげますわ。ぐっすりと眠れますわよ」
睡眠は大事ですからね。
ダリアが内心で「はあ、はあ。もうしんどいですわ」と青息吐息になっていると、ヘルマンはふと眉を寄せた。
「お嬢様? お顔の色が、少し赤いようですね」
ヘルマンは白い手袋をすっと外し、ダリアの額に触れた。
ひやりとした指先を感じた部分から、じゅわっと熱が生まれる。沸騰しそうだ。
「ふむ……熱がおありでしょうか……?」
ヘルマンはそのまま身をかがめ、自分の額をダリアの額につけた。
まるで、そうするのが当たり前のような何気なさで。
近い。
完璧な淑女の仮面が、ときめきに溶かされていく。
耐えて、わたくし。でもこの距離は、ちょっと。
「はううぅっ……(断末魔)」
刺激が強すぎますわ。
ダリアの中で何かが振り切れ、 断末魔と共に視界が白く弾ける。
「……ダリア?」
名を呼ばれた気がした。
えっ、今名前を呼びました?
だがそこで、意識は途切れた。
刺激が強すぎ案件で限界突破してしまったのだ。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
目を覚ましたとき、寝室には医師がいた。医師は十人いた。多い、と思った。
ベッドの周囲を完全に包囲し、全員が深刻な面持ちで頷き合っている。
え、わたくし死ぬの?
そんな思いが胸に湧く。しかし。
「軽い過労です」
「発熱は一過性のものかと」
「現在は平熱に戻っております」
「数日は安静を」
医師たちは、同じ内容を、順番に、律儀に報告し続けた。
眠気を誘う報告リレーを聞き流し、ダリアはすやすやと二度寝したのだった。




