3、カルドアの闇組織はわたくしが調教して差し上げます
「ヘルマン。わたくし、暇つぶしにあなたを殺す犯人を見つけて差し上げますわ」
「お嬢様、しばらくの間、こちらのお部屋でお過ごしください」
「しばらくって何ですの? その大荷物は何ですの? ……なぜ家を出ていきますの? それに、わたくしは夫に名前で呼ぶことを許してさしあげますけど?」
小鳥のように愛らしく首を傾げるダリアへと、ヘルマン・ウェルザーは主張した。
曰く。
一、王太子に不服申し立てをして、結婚を白紙にする。
二、男女が同じ屋根の下で生活していると、世間はふたりが一線を越えたと思うだろう。
三、ゆえに、ヘルマン・ウェルザーは邸宅を出て庭に天幕を張り、そこで寝る。
――と。
領地には数日のうちに新聞が出回り、ウェルザー夫妻は「貴族社会の政略結婚の暗黙の了解をまったく理解せず王族相手に反発する成り上がり英雄と、望まれないのに押しかけてきてなんとか返品されようとしている粗悪な花嫁」と悪意たっぷりに書かれたのだった。
――なお。
「長いわ。もっと短くて格好いいキャッチフレーズで書いてちょうだい」
「はっ……ウェ、ウェルザー夫人⁉」
記者は、その日のうちに夫人からじきじきに指導され、記事は即刻回収された。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
新興貴族のウェルザー伯爵家が治めるよう命じられた領地は、王国南西部の辺境に位置する。
王都からは遠く、目立った名産も鉱山もない。
交易路からも外れた貧しい土地だ。
治安も悪く、盗賊や裏組織が蔓延り、領民の多くは困窮している。
ダリアがウェルザー伯爵家に嫁ぐ際、社交界では「あんな領地に嫁ぐなんて」という声が囁かれたものだ。同情や好奇心、愉悦が入り混じる囁きだった。
ダリアが思うに、社交界の貴族令嬢たちは茶会やパーティで会うたびに友好的に談笑するが、基本的に浅いうわべだけの仲だ。世間話を楽しむ相手の成功や幸せを願う心はなく、失態や不幸こそを願っている。
もしも相手が不幸になった際には、同情的な表情と言葉で優しい自分を演出するか、仲間内で話のネタにして盛り上がる。
(そんな腹黒貴族たちと比べて、ヘルマンのなんて真っ直ぐで潔癖なことでしょう。白い結婚生活を世間に証明してわたくしが再婚しやすいようにしているのね)
辺境の空気は美味しい。
ダリアは両手をうんと伸ばして深呼吸してから、その動きで乱れた黒い外套を直した。大きなフードがすっぽりと美貌を覆うと、遠目には小柄な黒衣の不審人物の出来上がりだ。
(純情で善良なヘルマンには悪いけど、王族は一度出した命令を撤回したりしないのよ。ですから、わたくしはのびのびとこの都市で暮らしますっ)
空と都市の堺に太陽が白い光の帯を伸ばす夜明けの刻。
外套に身を包み、単身、新居を抜け出したダリアは、伯爵領の中心都市カルドアの街外れにいる。
ダリアが事前に調べた情報によると、ここのボロい酒場の地下には、《黒犬》と呼ばれる地下組織のアジトがある。
組織が手を染めているのは人身売買や街道での盗賊行為、暗殺業。わかりやすい悪党の巣だ。
ダリアはこの都市を治めるウェルザー伯爵夫人だ。
伯爵である夫が認めていなくても、王太子が命じて両家が手続き済なのである。
よって、夫をスルーして布告を出す手配をした。
『カルドアはわたくしとヘルマンの愛の巣なの。愛の巣で悪事を働いちゃ、だめ。カルドアの闇組織はわたくしが調教して差し上げます。みなさんの毒沼夫人ダリアより』
夫人の名で布告を出し、見せしめに有名な悪党組織を潰してあげる。きっと治安はよくなるでしょう!
悪党は夜に動き、朝には眠るもの。
闇稼業の名門キンツェル伯爵家出身のダリアは彼らの生活スタイルをよく知っている。
悪党が仕事を終えたタイミングを狙い――
「おはようございます。朝のお掃除にまいりました」
酒場の戸を叩き、声を上げると、中から警戒気味の男が顔を覗かせる。
大柄で、ひげもじゃ。顔にも腕にも傷があり、人相が凶悪だ。
「掃除だあ? 寝ぼけてんじゃねえぞ……」
唸るような声が途中で途切れる。
油断していたわけではないのに、その喉元には気づけば短剣の切っ先があてられていた。短剣を突き付けたダリアは、甘やかに囁く。
「《黒犬》のアジトで間違いありませんわね?」
晨風がフードを後ろへと払い、美貌のかんばせと光を無限に吸い込むような漆黒の長い髪が男の目を奪う。
その深紅の瞳は裏稼業の者にとって、特別な意味を持つ。
「キンツェルの深紅の瞳……!」
「辺境のごろつき風情にも、我が家の特徴はちゃんと知れ渡っているのね。褒めて差し上げましょう」
闇の名門の特徴として有名な深紅の双眸を綻ばせ、ダリアは高らかに宣言した。
「あなたたちの新しい女主人が挨拶にまいりました。ひれ伏しなさい。躾をしてあげる――《黒犬》ちゃんは、わたくしの夫を守る番犬になるのよ」
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
ひと仕事終えた後の紅茶はかぐわしく、テーブルに活けた真っ赤な薔薇は見ているだけで活力が湧く。ダリアは毒のないティータイムと美しい花が好きだ。
闇稼業の名家に生まれたので、毒は幼少期から慣らされて「嫌だと言わずに好きだと言いなさい」と教えられてきた。最初はつらかったが耐えて慣れていき、「わたくし、毒も痛いのも好きですわ」と言えるようになった。
人の輪の中にいると感じる悪意の毒気も社交界でうんざりするほど味わい、「うふふ。楽しいですわ」と笑い合える社交性を持ち合わせている。
ただ、そういうのは少し疲れるときもあって、疲労を癒すのは良い匂いと綺麗なもの、「本当に好きなもの」だけを供にしてゆったりと過ごす寛ぎの時間なのだった。
「奥様。今朝もおつかれさまでございます」
「紅茶をありがとう、メルフェ。新聞と鋏と糊もお願い」
働き者の侍女メルフェは、赤毛のおさげを揺らしながら頼んだものを運んでくる。
「どうもこの都市にはアリの巣のように小さな組織がいくつも点在するみたいね。すべてわたくしの配下にしましょう」
「奥様は健気でいらっしゃいますね。あの男のせいで貴族令嬢としての名誉が大きく傷ついていますのに……ああ、本当においたわしい……」
「メルフェ。わたくしは別に……まあ、いいわ」
メルフェは涙ぐみながら「ひどい書かれようです」と訴える。主人は境遇を苦に思っていないしご褒美くらいに思っているが、侍女は自分の主人がひどい目に遭っていると思っていて、不満でいっぱいなのだ。主人思いの忠義もの、でも主人の心を熟知はしていない。そんな可愛い侍女である。
想われているのに、わかってもらえていない。いちいち説明するのも面倒だから、誤解されるままにしてしまう。
それは少しだけ滑稽で、ダリアはくすっと笑って優雅にティーカップを傾けながら、新聞を一瞥する。
『英雄ヘルマン・ウェルザー、結婚拒否! 「毒沼令嬢は王太子に背いてでも突き返す!」』
『ヘルマン氏、同衾拒否。王太子命令による婚姻に異議申し立て。新妻を屋敷に迎えず、騎士鍛錬場の天幕で生活中』
上品な所作でカップを置き、ダリアは鋏を躍らせた。膝には、スクラップブックがある。
「素敵なお写真ね」
しゃきり。しゃきり。ぺたっ。
ダリアは新聞の記事に掲載されている夫の写真をいそいそと切り抜き、スクラップブックに貼っていった。
腕を組み、氷のような表情で何かを考えている横顔。聖剣を握り、騎士と鍛錬する雄々しい姿。
「……ふふ」
ダリアは頬を押さえた。
「この上から見下ろす角度と冷酷な目付きのお写真、格好いいわ」
メルフェは「さようでございますか?」「顔だけではありませんか?」「こちらの半裸のお写真はなかなか逞しくてよいですね」とコメントをして紅茶のお代わりを淹れてくれる。素直な気質で、忠実で、可愛い侍女だ。
「ええ、ええ。メルフェにも良さがわかったようね。ヘルマンはただの美形ではないの。筋肉が素敵なのよ」
「ですがダリア様。それですと、やはり外見だけの男……」
「メルフェ。あなたは巷に流通している『英雄聖騎士物語』や『商人騎士の成り上がり英雄伝』を読んでいないの? 命令よ。読んでちょうだい。読んだら感想も聞かせて」
「ダリア様。流通している物語は脚色されているものではないでしょうか?」
ダリアはひとしきりメルフェと一緒に写真や物語を愛でてから、満足して机の上の別の紙束に目を落とした。そこには、人名が並んでいる。
誰かが暗殺される時は、その人物が死ぬことで喜ぶ誰かが存在するものだ。
――ヘルマン・ウェルザーがいなくなることで喜ぶのは、誰か。
社交界や国際情勢、彼のこれまでの人間関係。ライバルと噂される騎士や彼にふられたと噂の他国の姫君。
戦地で敵対した他国の傭兵に将軍。戦死者の家族。商人としての商売敵。
「……わたくしの夫って、敵が多いわね。出る杭は打たれる、ですわねえ」
自分のことを棚に上げ、ダリアは夫の敵の多さに呆れた。
この人物をコロセウムに集めてぐるぐるに縄で縛って麻痺毒でへにゃへにゃにしたヘルマンを放り込んだら、どうなるかしら。
……ふにゃふにゃのとろとろのへにゃへにゃヘルマン、見てみたい。
ああ、でも見たくないような気もするわ。夫には格好よくあってほしいの。
でも、蕩けたお顔でセクシーな感じなら……ちょっとだけボロボロになってもらって……。
涼しい顔の内心でありとあらゆる妄想を楽しみながら、ダリアは優雅なティータイムを満喫したのだった。




