2、離婚しましょう、お嬢様
馬車が停まる。
ダリアは棺桶の中で外の会話に耳を澄ませて、ゆっくりと息を整えた。
「ダリアお嬢様が棺桶におられるとはどういうことですか、侍女どの?」
「はいっ、私はメルフェと申します。お嬢様は生まれ直すと仰り……」
「自害なさったと?」
「いえ、そんな」
メルフェには「わたくしの作戦は相手に伝えちゃダメよ」と伝えておくべきだったかもしれない。ダリアは目を閉じるのを忘れて眉尻を下げた。
「お嬢様なりの好意の表明のようです。心機一転あなたの妻になります、みたいな。あと、イタズラの意図もあるのかも……」
やめて、メルフェ。本当のことを言わないで。
棺桶の重い蓋がきしんだ音を立てて開く。
隙間が広がり、眩しい光が差し込んだ。眩しさに手で目を覆いかけたダリアは、ハッと動きを止める。
――ヘルマン!
棺桶を覗き込むのは、長身で精悍な聖騎士ヘルマンだ。間違いない。
白い陽光を背負うようにして金髪をきらきら輝かせている。世界に祝福されているみたい。眩しい。実に眩しい。
腕を組み、棺桶を見下ろす立ち姿は、格好よかった。
体格は筋骨隆々として逞しい。
少年の面影はすっかり消え、氷のような碧眼はより研ぎ澄まされて鋭くなっている。「奇行が理解できない」といった怪訝そうな顔をしているが、目が合うと端正な顔に少し困ったような微笑を湛えてくれた。
冷たかった印象か一気に和らぎ、花の香りを含んだ春風が優しく甘く吹き抜ける。
ダリアの脳内で、氷に閉ざされていた雪山が噴火して雪が消え、もりもりと緑が生い茂る。
山はあっという間に一面の花畑に覆われた。
「ごきげんよう!」
ダリアは棺桶から軽やかに飛び出して、まるで舞踏会の中央に立つかのように優雅にカーテシーをしてみせた。そして、豊かに波打つ黒髪をハーフアップに留めている髪留めを抜き、庭木に向けて投擲した。
ウェルザー家の門の内側は、春先だというのに殺風景だ。一秒遅れてどさりと落ちるネズミは黒づくめで口元を布で覆い隠し、毒塗りの短剣を持っていた。
ひとめでわかる暗殺者のいでたちに、周囲が騒然となる。
「きゃああっ」
「奥様がご乱心だ!」
「いや、違う! 賊だ! 侵入者だ!」
お、く、さ、ま?
ダリアの目がぎらりと輝く。
なんて素敵な響きなんでしょう!
今までは社交界の毒沼とかいう意味不明な二つ名(命名者不明)をまあまあ気に入っていたけれど、奥様という肩書は素晴らしく特別な感じがするわ。
ダリアは浮かれそうになりつつ、自分の目指す夫婦の方程式を思い出した。
妻←←←←←夫
これよ。
最初はツンよ。
「ごきげんよう、ヘルマン伯爵。あなたの妻がまいりましたわ。あちらのネズミは麻酔針を差し上げたので、お好きに尋問なさって」
優雅に扇を開いて口元を奥ゆかしく隠し、冷ややかに流し目を送る。これだわ。できたわ。
ヘルマンは微笑を崩さなかった。
「到着早々、棺桶に侵入者駆除と破天荒すぎて驚いています」
「わたくしは面白い妻でしょう? これからの夫婦生活でも毎日楽しませてあげますわ」
妻←←←←←夫の方程式は、妻が夫を魅了するのが肝である。
ではどのようにして魅了するのか?
やはり美しさ。圧倒的な美は武器だ。
そして教養。知性。刺激的で他の令嬢ができないことをする……そして簡単には靡かない!
わたくし、全部パーフェクトですわ。いかが?
反応を待つと、ヘルマンは薄い唇を開いた。
「遠路お疲れさまでした、お嬢様」
ああっ――美声……!
けれど、発せられた内容はあまりにも酷いものだった。
「早速で恐縮ですが、離婚しましょう、お嬢様」
「……りこん?」
ダリアの頭上に大量の?が浮かび、増殖する。増えた?はウェルザー伯爵家の庭を埋め尽くし、使用人が全員疑問符に溺れかける事態となった。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
「わたくしの疑問符が失礼しましたわ」
「お嬢様は感情表現が豊かでいらっしゃいますね」
王太子の命令で遠路はるばる嫁いできた貴族令嬢に、なんたる妄言。
ダリアは耳を疑い、周囲に視線を巡らせた。ウェルザー家の使用人はかしこまった姿勢で頭を下げていて、表情が窺えない。
わたくしが意表を突こうとしたように、彼も新妻を驚かそうとしているのかしら。
ということは、コミュニケーションを取ろうとしてくれているのよね?
嬉しいけれど、この冗談のセンスでは貴族社会で笑ってもらえるかしら。心配だわ。
濁流のように思考が流れて、リアクションを決めるまで、一秒。ツン一択。
「つまらないわね。社交界では通用しませんわ」
ダリアは瞳を伏せて言い捨てた。
こうしてツンを積み、いつかデレを見せて夫のハートを揺さぶりたい。
夫婦関係は戦いだ。
衝動のまま、何も考えずに「あなた♡ しゅき♡」なんて言っていたら、「つまらない女め」と軽くあしらわれるだけだろう。「あなた。死んでくださる?」的な殺意を向けるくらいでちょうどいい。そして、ベッドで「生意気な妻め」とお仕置きされたりする。そういうプレイがしたい。
ダリアは冷たく整った表情の下で熱い妄想を滾らせているが、夫はリアクションが薄くて何を考えているのかわからない。
つまらない男? いいえ、違うわ!
ダリアは夫の表情に百万点を付けてあげたい心地だった。ペンが手元にあれば、白い頬にでも花丸を描いてあげただろう。
社交界では何を考えているのかわからないのが武器になる。
腹芸だらけの場で食い物にされるのは、内心を包み隠さずストレートに出してしまう無防備な者なのだ。
わたくしの夫は社交の場でも侮られない不動のオーラがありますわ! 好き!
けれど、好き好きオーラは出しません!
夫婦関係は最初が肝心。舐められるのは寝室の営みだけで結構……。
ダリアはエスコートを待たず、勝手にウェルザー家の内部へと突き進んだ。
「お嬢様。どちらへ?」
「応接間が適切ではなくて?」
「我が家には初めていらしたはずですが、場所がわかるご様子ですね?」
「奥様ですもの」
間取りは事前に間者を送り、頭に入れている。
この邸宅は新築だと聞いているが、隙が多い。
これでは間者を潜らせ放題、暗殺者も気軽に暗殺し放題だ。
これから女主人としてネズミ一匹潜りめない鉄壁の邸宅に作り替えてあげよう――ダリアはウェルザー家改革案を脳内で練り上げながら通路を歩き、潜んでいた暗殺者を三匹ほど仕留めてあげた。多くない?
「物騒ね。でも大丈夫よ。内助の功といいますから、これからわたくしが女主人として邸宅を生まれ変わらせてあげましょうね」
有資格者以外に反応する魔法仕掛けのスイッチを絨毯の下に仕込んで、シャンデリアが落下する罠を作りましょう。
階段を上ったところに落とし穴も作りたいわ。
思いつくままに構想を語りながら、ダリアは応接間の扉を開けてソファに座った。
「さあ、お茶を淹れてちょうだい。それから、夫婦生活のルールを決めましょう。きゃっ……♡」
語尾に♡が付いたのは、夫が突然自分に迫り、顎クイをしたからだ。
社交界、それも令嬢ばかりが集まる花の界隈で、美男子の顎クイは「好きな貴公子にされてみたいアプローチランキング十位」に入っていた。
「突然何をなさるの? 野蛮ね」
「お嬢様に集中して話を聞いていただこうと思いまして。いつまでも自分の仰りたいことだけ気持ちよく捲し立てていそうでしたので」
「わたくし、気持ちいいのは好きよ」
ああっ、花の界隈のみなさん!
わたくしは顎クイ経験者になりましたわ!
次のお茶会では経験者として熱く語らせていただきましょう……顔が近くてどきどきします。
ダリアが脳内で同志たちに実況していると、ヘルマンは眉間の皺を深めた。
「お嬢様におかれましては、離婚した方が御身のため……と、ご忠告いたしましょう。再婚相手は王太子などがお勧めです。なぜなら、私は一年後に何者かに殺される運命だからです」
「なんですって? 誰があなたを殺すというのよ。第一、傷物の令嬢が王太子と再婚できると思うの?」
「刺客がどこの誰かはわかりませんが、私は死の運命を受け入れているので、あなたを未亡人にしてしまいます。参考までに、王太子はお嬢様を溺愛なさっていますよ」
「わたくし、王太子なんてお庭の雑草と同じくらいにしか認知していませんのよ」
窓の外を見ると、雑草が伸び放題だ。
手入れをしなさい、手入れを。……いいえ。わたくしがしましょう。
「決めた。ヘルマン、わたくし、まずは雑草を綺麗にしますわ」
「王太子を暗殺などと軽々しく口になさらないでいただきたい」
「まあ。わたくしがいつ暗殺すると言ったの? 実は暗殺してほしいのでしたら、してあげても構わなくてよ?」
遠巻きに見守る使用人たちは顔を見合わせ、「このおふたりは大丈夫なのだろうか」と不安そうにしている。
こうして一風変わった夫婦生活は幕を開け、数日同じやり取りを繰り返した末に、ダリアは「この夫はどうも本当に自分が死ぬと思っているようだ」と理解する。そして、幸せな夫婦(自分たち)の未来のために夫を長生きさせようと決意するのであった。




