22、ヴィクトリアはあなたのせいで大変迷惑いたしましたので
床に転がるぬいぐるみが愛らしい声でしゃべりだす。ダンジョンのときと同じだ。
「おかえりなさいませ、ヴィクトリア様♪ あなた様はヴィクトリア様として振る舞い、……あれ? おかしいな、ルールが変わって……暗殺をしなければ、なりません……?」
月が美しい夜だった。
こんな夜には、炎が似合う。ダリアは不思議な舞台の上で微笑んだ。
「ルール了解。お任せあれ」
これは過去に見えるが、過去ではない。
アルチュールという魔術師が造りだした『ごっこ遊び』だ。
遊戯の魔法仕掛けにバティストが干渉して、暗殺ゲームに変えただけ。
だって、左側にアルチュールがいる。
亡霊のように半透明な姿で、ぽかんとした顔でこちらを見ている。
ダリアは高らかに声を上げた。
「わたくしが思いますに、竜騎士王陛下はとんでもない暴君ですわね。ご自分の御代だけ荒らすのではなく、後世にまで影響を及ぼすなんて。巻き込まれた子孫の国民が大迷惑ですわ」
竜騎士王が低く唸る。まるで本当に過去の人物と相対していると錯覚してしまいそうな、生々しい気配だ。
「目が赤い……貴様、闇の眷属か。どのようにして居室に侵入したのかはわからぬが、至高の人間様に牙を剥くなら容赦はせぬぞ」
「わたくしはあいにく人間様です。でも、人間様って言い方は思いあがっていて恥ずかしくなりますわ。人間だからなんなのです? 人間でなければ、なんだというのです?」
月光がカーテンの隙間から差し込み、豪奢な寝台に横たわる竜騎士王の姿を淡く照らしている。
光り輝くような存在感を持つ夫を見慣れたダリアの目には、その姿は霞んで見えた。
竜騎士王が言い返そうとしたとき、ほんの一瞬、ダリアの姿と声がヴィクトリアのものに変貌する。彼は動揺した様子で呟いた。
「今一瞬……ヴィクトリア……? いや、違う。錯覚だ」
「いいえ。わたくしはヴィクトリアです。正確に申しますと、生まれ変わった後の人物ですが」
「妄言を!」
「ヴィクトリアはあなたのせいで大変迷惑いたしましたので、大嫌いなあなたに仕返しをしにきましたの」
竜騎士王の手がサイドテーブルに置かれている聖剣を手繰り寄せるのを見ながら、ダリアは毒針を放った。王はそれを聖剣で弾き、寝台から転がり落ちながら窓の向こうへと吠えた。
「ドラゴンよ! 緊急の折である。力を貸せ!」
そういえば彼にはドラゴンがいた。
飛翔する巨大なドラゴンは、外にいるのだろうか。
巨大なドラゴンが外から魔法で援護でもするのか、と思った瞬間、部屋の中央に灼熱の炎が渦巻き、火球となってダリアに向かって押し寄せる。
その魔力は圧倒的だった。
普通の暗殺者なら、避ける間もなく灰になっていただろう。
だが、暗殺者の背後で、バティストが静かに対抗魔法を繰り出している。
「ご先祖様がうらやましい。当代の王族はドラゴンの守護を失っていて、もうこんな風に力を貸してもらえないのだよ」
対属性の冷気魔法が発動し、王の炎を瞬時に中和する。ついでに、ダリアが燭台を倒して燃やした火まで消されてしまったが。
「無為にものを燃やすのは心が痛むよ。暗殺とはもっと密やかにするものではないのかね、ウェルザー伯爵夫人?」
「わたくしは華麗な演出を好むのですわ、バティスト殿下」
火球が白い霧となって視界を不明瞭にする中、ダリアは軽やかに身を翻した。
「竜騎士王陛下、ヴィクトリアはアルチュールをとっても愛していました。ふたりは愛し合っていて、あなたが間に割り込む余地はありませんでしたの」
「……! 何を言う!」
「相手に逃げられて、追いかけて破滅させて。せめてそれで満足すればいいですのに、生まれ変わっても幸せになるのを許さないなんて……あなたにとって彼女は本当に大きな存在なのですね?」
王の聖剣を紙一重でかわし、床を蹴って低く滑り込むように接近する。
王の気持ちは、ダリアにとってわかるような気もする。
自分はどうだろう、と考えてみたりする。
「相手を不幸にして、留飲を下げずにいられない。ええ、ええ、わかりますわ。泣き寝入りしたくない。自分が勝ったと言って幕を引きたい。共感しますわ。ですからわたくしヴィクトリアにも、あなたに復讐してすっきりする権利があるのです」
袖から滑り出した黒い短剣を王の喉元を狙い、深く抉る。これでおしまい。そう思った刹那。
ガキィッ!
刃が肉を裂く手応えの直後、硬質な抵抗が来た。
「……鱗?」
ダリアは目を瞬かせた。
王の喉に、竜の鱗のような硬い輝きが浮かび上がり、短剣を弾いていた。
「まあ、まあ。あなたさまも、人外のような状態ではありませんか。驚きましたわ」
「これがドラゴンの加護だ。王とは特別な存在である。見くびるでない!」
鮮血は噴き出したが、致命傷には程遠い。
ダリアは舌打ちしながら後ろに跳び、距離を取った。
「加護か……うらやましい」
「バティスト殿下、わたくしの刃に魔法の加護を付与したりできませんこと?」
「ドラゴンの加護を俺の加護が破れると思うかね?」
自信なさそうになさらないで、と呆れたところへ、王が怒りの咆哮を上げ、聖剣を手に突進してくる。
そこに、金色の髪をなびかせた騎士が割り込んだ。
どうやら駆けつけることができたらしい、ヘルマンだ。
「王太子が増えているではありませんか。何事ですか、この茶番は?」
「似ているけど別人ですわ、ヘルマン。ご先祖様なのですって」
ヘルマンは聖剣を軽く振り上げ、王の胴体に強烈な一撃を叩き込んだ。
ドゴォッ!
王の体が浮き上がり、吹き飛ばされる。
その勢いは凄まじく、壁に激突した王は、豪奢な石壁に放射状の亀裂を走らせながらめりこんだ。
「うう……っ! あ、新手だと……」
竜騎士王は苦痛の呻きを漏らして壁から滑り落ち、床に崩れ落ちる。
その手にあったはずの聖剣は、いつの間にか消えていた。
「ヘルマン。わたくしたちのショーへようこそいらっしゃいましたわね」
ダリアは竜騎士王に見せつけるようにヘルマンに抱き着いた。
「ご紹介します。アルチュールは何度か転生した末に、こんなに素敵になりましたの。とっても高名な国家の英雄、聖騎士様なのですわ。そして、ヴィクトリアの旦那様です」
「アルチュール? ヴィクトリア?」
ヘルマンは不思議そうに首をかしげている。彼は「ヘルマン」としての自分しか知らないので、まったくの他人事なのだ。
バティストと比べて、その点がヘルマンの精神的な救いといえよう。
ダリアは夫の様子に安堵しつつ、燃えるような妬心と憎悪で瞳をぎらつかせる竜騎士王に短剣の切っ先を向けた。
「バティスト殿下、がんばってくださいまし」
「わかっている。俺のせいいっぱいの加護だ。受け取れ、ウェルザー伯爵夫人」
バティストの魔法で、短剣の切っ先はきらきらと光を帯びた。
これで無理だったらヘルマンにお願いしよう、と思いながら振り下ろしたダリアの刃は、竜の鱗を切り裂き、その下の人間様の柔い肉を断つことに成功した。
鮮血が噴き出し、王が恐怖と絶望の中でもがき、苦しみ、やがて動かなくなる。
それを見て、左側に見えていた半透明のアルチュールは名もなき時計屋の姿へと変わり、呟いた。
「死んだ。奴が死んだ……」
その声には喜びが滲んでいて、ぬいぐるみが「ミッション、クリア」と寿いでくれる。
「ざまあみろ。竜騎士王め。ざまあみろだ……」
黒い笑顔で仇敵の死を喜ぶ名もなき時計屋。
ヘルマンはそれを見て「なんですか、あのうさん臭いのは」と眉を寄せた。
「なにやら正気を失っているようで、気味が悪いですね」
ヘルマン、あれはあなたの前世よ。
ダリアはそっと真実を心に仕舞い、「気にしてはいけませんわ」とごまかした。
「ヘルマン。わたくし、思いますの。知らないほうがいいことも、人生にはたくさんあるのですわ」
「お嬢様。私が推測しますに、あのぬいぐるみはお嬢様の縁者ですね」
「どうしてそんな推理をしたのか気になるけど、今はそれどころじゃないから追及しないであげますわ、ヘルマン」
ダリアは短剣を構え直し、名もなき時計屋へと視線を巡らせた。
さあ、次は、あなたの番。
「哀れで、一生懸命で、けれど道を誤り、大勢の民を巻き込む呪いを生み出したひと。あなたのおかげでわたくしは素敵な旦那様とめぐりあえて幸せですわ。でも、あなたのせいで苦しみ、不幸になった無辜の民を思えば、その復讐方法を咎めずに感謝して幕を下ろすことはできなくてよ」
バティストの魔法で彼が愛した姿に変身して批難すると、名もなき時計屋は冷水を浴びせられたような顔になった。
「き、君がたくさん苦しんだ。私もだ。だから、だから……」
復讐対象の死去を確認した彼は、にわかに己の所業の悪質さに気づいた様子で口ごもり、顔色を失っていった。
そうして、彼は自らの罪を悟った顔のまま、ダンジョンごと霧散していった。
「ヘルマン、わたくしは道を踏み外してしまう弱いあなたも素敵だと思いますの。人間らしさというものですわ」
「お嬢様、なぜ私の話になるのです?」
「あなたが何もわからないって顔をなさっているのが楽しいからですわ」
ダリアは夫にかがむように手で合図をした。
彼がずっと前世を思い出さなければいい。
心からそう願って、おまじないのように彼の額にキスをした。
「わたくしは、あなたが好きですの。他の誰でもない、ヘルマン・ウェルザーを、ですわよ」
大切な想いを口にすると、彼はダリアの手を取り、「よくわかりませんが」と困り顔になった。
その顔が可愛らしく思えて、ダリアはくすくすと笑った。
「呪いが解けた、ということですわ、旦那様!」




