21、わたくしは名もなき暗殺者でございます
「悲しみ、怒り、恨み、執着。そういったものが途方もなく長い年月分、蓄積している。ふたり、三人……四人か……いや、もっとか。とにかく、この国は複数人の怨念や妄執が絡み合って面倒なことになっているんだ」
バティストの声には疲労が滲んでいた。
彼は愛国心が高いと国民に人気の王太子で、そういえばダンジョンが湧くたびに陣頭指揮を執って攻略しているのだった。
「中心にあるのが竜騎士王バロンと魔術師アルチュールが相互にかけあった呪いだ。それを解くのが、この国とお前たちを正常化する第一歩になる」
「そこまではわかりますわ」
バティストの魔法で、二人の右側の空間が変わる。
広い王城の中だ。
「ウェルザー伯爵夫人。人間は、他人を許さない。他人の幸福を喜ばない。それが敵なら、なおのこと」
バティストが物憂げに言って右に続く通路を歩き出す。
ここは彼がよく知っている場所で、きっと竜騎士王バロンが住む城なのだ。ダリアはそう予感した。
「では何に喜ぶか……ウェルザー伯爵夫人は、どう思う。俺はずっと考えてきた。憎み合う二者の心を晴らすには? 誰かのせいで苦しむ者の感情を救うには?」
ふたり一緒に右の通路を歩いていき、扉を開けて寝室に立ち入ると、天蓋付きの寝台に座って壁に掛けた姿絵をぼんやりと見つめる青年が目に入る。
緑色の髪をしていて、バティストに似ている。
「許さない、許さない。我が愛しの娘を奪っただけでなく、来世で結ばれるつもりだと」
声にはヴィクトリアを喪失したことへの悲嘆とアルチュールへの怒りが渦巻いていた。
「輪廻転生の魔法など、許さない。ヴィクトリアは渡さない。ふたりで幸せになど、させるものか」
ぶつぶつと呟く青年は、アルチュールの悪あがきにいら立つ竜騎士王バロンだ。
姿絵に飾られているのは、少年少女。
彼が保護して育てた吸血鬼の兄妹。
妹の手には可愛いぬいぐるみが抱かれていて、ダリアは他人事のような目で床に転がるぬいぐるみを見た。
ダリアの心に寒々とした風が吹く。
ダリアはいくつもの英雄物語を好んできたけれど、現実を生きてきて「美しい夢は、しょせん夢だ」と理解せざるをえない出来事が、たくさんあった。
憎み合うのをやめましょう、相手のことを理解したらわかりあえます、みんなで一緒に幸せになりましょう……そんなおきれいごとで人間は「はい、わかりました」なんて言わない。
ひとは、自分が見たいものだけを見て、聞きたい言葉だけを聞き、わかりたいことだけを「わかった」と思う生き物だ。
相手の身になったりなんて、したくない。
自分を省みるより自分以外を憎みたい。
自分だけが幸せでいい。
嫌いな相手は不幸になると胸が空く。自分を少しでも不快にさせた相手が幸せなのは許せない。
絶対に相手になにかしらのダメージを与えないと満足できない。
「殿下。答えましょう。他者の不幸ですわ。それが、幸せを起こすのです。それによって、彼の心はすっきりとするのです」
ダリアが答えると、バティストは二人の左側の空間を別の場所に変えた。
左に顕れた舞台は、時計と魔法陣が所狭しと並ぶ研究室だ。
名もなき時計屋と呼ばれる男が、呪いの仕掛けを作っている。彼は、転生したアルチュールだ。
「右を見ればバロン、左にはアルチュール。殿下の魔法は刺激的ですわね」
ダリアはバティストの魔法の実力に舌を巻いた。
魔法には詳しくないが、右と左とで異なる時代の人物が存在する場所を同時に成立させている技術は素晴らしい。
名もなき時計屋は、目の下に濃い隈を作り、ほの暗く壊れた笑みを浮かべていた。
「許さない、許さない。転生した後にまで干渉して……」
憎悪と殺意にあふれた声は、この時代にはもう存在しない宿敵をただただ恨んでいた。
「竜騎士王バロンめ。お前の国がただで済むと思うなよ」
呪い合う両者の怨嗟に挟まれて、ダリアは虚しくなった。
隣に立つ王太子バティストは嘆く。
「俺が前世を思い出さなければ、俺の勝ち逃げと言えたのだよ。だが、俺は思い出してしまったのだなあ……」
「前世を思い出すって、どんな感じかしら」
ダリアは「わたくしも前世を思い出せたりしないかしら」と記憶を探ってみた。
けれど、前世らしきものはさっぱり思い出せる気がしなかった。
左右で恨み節を連ねている悲しい過去の人物たちは、自分とは会ったことも話したこともない他人だと思える。
彼らが執着するヴィクトリアと、彼女の過去の転生体も、まったく自分だとは思えない。
他人の話だ。
物語を読んで「まあ、なんだかドロドロしていておつらいわね」と同情するような気分で、ダリアは今みんなを見ている。
「先に俺を暗殺しようか。お前がこっぴどく振って俺を傷つけて殺してやれば、アルチュールの怨念がましになるだろう。アルチュールへの愛を唱えるのも効くかもしれんな。『アルチュールのおかげでこれから幸せになります』とか言ってみろ」
バティストが怠そうに言うので、口を挟まずにいられない。
「殿下。竜騎士王バロンは殿下ではありませんわ。前世と今世の人格の区別をつけたほうがよろしくてよ」
くたびれた王太子の袖をつかむと、バティストは驚いたような目になってダリアをまじまじと見つめた。
そして、少しの間、思案顔になってから「そうだな」と呟いたのだった。
右側へと歩き出しながら、ダリアは夫にもらった贈り物にキスをした。
「ヘルマン。わたくし、あなたに楽しいショーを見せてあげますわ」
光る蝶々はひらりと舞い、魔法の空間を抜けてどこかへと飛んでいく。
そして、数秒で戻ってきてダリアの肩に留まり、夫の声で囁いた。
「お嬢様の場所がやっとわかりました。探していたのです。すぐにまいりますから、私が行くまで良い子にしてお待ちください。こちらにはドラゴンが出ていたのですが、すでに討伐いたしました。のちほどドラゴンの肉をステーキにしていただきましょう」
夫は何を言っているのだろう。
良い子にしてお待ちください、ですって。
ダリアはふわふわとした微笑みを零し、近くにあった燭台を床に落とした。
炎が絨毯に燃え広がると、竜騎士王バロンが驚いた顔で立ち上がる。
その瞳が間違いなく侵入者を見て警戒の色を浮かべたので、ダリアは優雅に淑女の挨拶をした。
「ごきげんよう、二代目竜騎士王陛下。わたくしは名もなき暗殺者でございます。あなたの御心を傷つけ、尊厳を踏みにじり、お命をいただきにまいりました」




