2、離婚しましょう、お嬢様
馬車が停まる。
ダリアは棺桶の中で外の音に耳を澄ませて、ゆっくりと息を整えた。
――来たわね。
棺桶の重い蓋がきしんだ音を立てて開く。
隙間が広がり、眩しい光が差し込んだ。
上から覗き込むのは、長身で精悍な聖騎士だ。
太陽光を背負うようにして金髪をきらきら輝かせている。金髪美男子は発光しやすい。しかも聖騎士だ。世界に祝福されているみたいに隙あればきらきらする。眩しい。実に眩しい――ああん、恍惚。
腕を組み、見下ろすその眩しさを見られただけで、ダリアは「死んだふりをした甲斐があった」と悶えた。
ヘルマンは六年前より背が伸びて、体格も筋骨隆々として逞しい。社交界、とりわけ令嬢たちの集まる花の界隈では、マッチョな騎士をめでるときに使う表現がある。「雄みがある」だ。ヘルマンは雄みがある。みんながそう言って頬を染めていたのを思い出し、ダリアは優越感で胸を熱くさせた。
花の界隈のみなさん! わたくし、みなさんの憧れの雄み騎士の妻になりますの! 悪いわね!
時よ、止まれ。汝は美しい。
少年の面影はすっかり消え、氷のような碧眼はより研ぎ澄まされて鋭くなっている。悲しんだり動揺したりしてくれたら嬉しいと妄想していたが、そんな気配は皆無だ。ただただ「解せぬ」といった怪訝そうな顔をしているが……その顔がまた、イイ。
(まあ、ヘルマン。本物だわ。そうよね、ヘルマンってこんな人よね)
当人を目の前にすると、彼が自分の偽装死を信じ込んだり、わずかでも動揺するのはイメージと違う気がした。
どちらかというと、簡単に騙されたりめそめそされたら残念な気もしてくる。夫は格好いい方がいい。クールでいい。冷たくていい。
(しょんぼりされるより、こっちのほうがいいわ!)
ダリアは棺桶から軽やかに飛び出して、まるで舞踏会の中央に立つかのように優雅にカーテシーをしてみせた。
ウェルザー家の門の内側は、春先だというのに殺風景だ。木の上には殺意を隠すのがへたくそなネズミもいる。ダリアは豊かに波打つ黒髪をハーフアップに留めている髪留めを抜き、ネズミに向けて投擲した。一秒遅れてどさりと落ちるネズミは黒づくめで口元を布で覆い隠し、毒塗りの短剣を持っている。ひとめでわかる暗殺者のいでたちに、周囲が騒然となった。
「きゃああっ」
「奥様がご乱心だ!」
「いや、違う! 賊だ! 侵入者だ!」
お、く、さ、ま?
ダリアの目がぎらりと輝く。
なんて素敵な響きなんでしょう! 今までは社交界の毒沼とかいう意味不明な二つ名(命名者不明)をまあまあ気に入っていたけれど、奥様という肩書は素晴らしく特別な感じがするわ。
「ごきげんよう、ヘルマン伯爵。あなたの妻がまいりましたわ。あちらのネズミは麻酔針を差し上げたので、お好きに尋問なさって」
「到着早々、棺桶に侵入者駆除と破天荒すぎて驚いています」
「わたくしは面白い妻でしょう? これからの夫婦生活でも毎日楽ませてあげますわ」
わたくしを気に入りなさい! 面白がりなさい!
ふんぞり返りそうになる乙女心を淑女心で制御して、ダリアは澄まし顔で手を前に出した。
エスコートよ、ヘルマン。
それくらいわかるわね? わたくし、エスコートを所望します。
さあっ、手を取って。わたくしの手をあなたの腕に絡めさせて。その腕の盛り上がり部分がどれだけ硬いかを確かめさせて。じっくり触れさせて。おくさまの特権よ。
うずうずしながら待っていると、ヘルマンは薄い唇を開いた。
「遠路お疲れさまでした、お嬢様」
ああっ――なんてイイ声。
低く、よく通り、独特の色気があって、しゅてき……!
けれど、発せられた内容はあまりにも酷いものだった。
「早速で恐縮ですが、離婚しましょう、お嬢様」
「……は?」
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
王太子の命令で遠路はるばる嫁いできた貴族令嬢に、なんたる妄言。
ダリアは耳を疑い、周囲に視線を巡らせた。ウェルザー家の使用人はかしこまった姿勢で頭を下げていて、表情が窺えない。
わたくしが意表を突こうとしたように、彼も新妻を驚かそうとしているのかしら。やだわん。冗談がおへた。
でも、コミュニケーションを取ろうとしてくれているのよね? 嬉しいけれど、この冗談のセンスでは貴族社会で笑ってもらえるかしら。心配だわ。
濁流のように思考が流れて、リアクションを決めるまで、一秒。
「つまらないわね。社交界では通用しませんわ」
ダリアはわざと冷たく言い放った。ツンデレだ。いつかデレを見せて夫のハートを揺さぶりたい。夫婦関係は戦いだと思う。衝動のまま、何も考えずに「あなた♡ しゅき♡」なんて言っていたら、「つまらない女め」と軽くあしらわれるだけだろう。「あなた。死んでくださる?」的な殺意を向けるくらいでちょうどいい。そして、ベッドで「生意気な妻め」とお仕置きされたりする。そういうプレイがしたい。
ダリアは冷たく整った表情の下で熱い妄想を滾らせているが、リアクションの薄い夫は、何を考えているのかわからない。
つまらない男? いいえ、違うわ!
ダリアは夫の表情に百万点を付けてあげたい心地だった。ペンが手元にあれば、白い頬にでも花丸を描いてあげただろう。
社交界では何を考えているのかわからないのが武器になる。
腹芸だらけの場で食い物にされるのは、内心を包み隠さずストレートに出してしまう無防備な者なのだ。
わたくしの夫は社交の場でも侮られない不動のオーラがありますわ! 好き!
けれど、好き好きオーラは出しません!
夫婦関係は最初が肝心。舐められるのは寝室の営みだけで結構……。
「ヘルマンは社交界用に貴族の冗句を練習中なのかしら。エスコートが習得できたら、もっとよろしいのですけど」
出来ないなら仕方ないわね、と寛容な妻(力関係は上を希望)の微笑を浮かべて、ダリアは勝手にウェルザー家の内部へと突き進んだ。
「お嬢様。どちらへ?」
「応接間が適切ではなくて?」
「我が家には初めていらしたはずですが、場所がわかるご様子ですね?」
「奥様ですもの」
間取りは事前に間者を送り、頭に入れている。
ウェルザー家は隙だらけだ。これでは間者を潜らせ放題、暗殺者も気軽に暗殺し放題だと思う。
これから女主人としてネズミ一匹潜りめない鉄壁の邸宅に作り替えてあげよう――ダリアはウェルザー家改革案を脳内で練り上げながら通路を歩き、ネズミを三匹ほど仕留めてあげた。
「ヘルマンはお家をあまり気にしていないのかしら。でも大丈夫よ。内助の功といいますから、これからわたくしが女主人として邸宅を生まれ変わらせてあげましょうね」
有資格者以外に反応する魔法仕掛けのスイッチを絨毯の下に仕込んで、シャンデリアが落下する罠を作りましょう。
階段を上ったところに落とし穴も作りたいわ。
思いつくままに構想を語るダリアは、ヘルマンの反応の薄さに不満を覚えつつあった。
ちょっと情けないわね。
わたくしはリードして欲しいのに。
心の中で不満を覚えつつ、ダリアは応接間の扉を自ら開け、ソファに座った。
「さあ、お茶を淹れてちょうだい。それから、夫婦生活のルールを決めましょう。しょれから、こ、こ、子作りの計画も建てたいわ。大切なことですからね――きゃっ……♡」
語尾に♡が付いたのは、夫が突然自分に迫り、顎クイをしたからだ。
社交界、それも令嬢ばかりが集まる花の界隈で、美男子の顎クイは「好きな貴公子にされてみたいアプローチランキング十位」に入っていた。
「突然何をなさるの? 野蛮ね」
「お嬢様に集中して話を聞いていただこうと思いまして。いつまでも自分の仰りたいことだけ気持ちよく捲し立てていそうでしたので」
「わたくし、気持ちいいのは好きよ」
ああっ、花の界隈のみなさん!
わたくしは顎クイ経験者になりましたわ!
次のお茶会では経験者として熱く語らせていただきましょう……顔が近くてどきどきします。
ダリアが脳内で同志たちに実況していると、ヘルマンは眉間の皺を深めた。
「お嬢様におかれましては、離婚した方が御身のため……と、ご忠告いたしましょう。再婚相手は王太子などがお勧めです。なぜなら、私は一年後に何者かに殺される運命だからです」
「なんですって? 誰があなたを殺すというのよ。第一、傷物の令嬢が王太子と再婚できると思うの?」
「刺客がどこの誰かはわかりませんが、私は死の運命を受け入れているので、あなたを未亡人にしてしまいます。参考までに、王太子はお嬢様を溺愛なさっていますよ」
「冗談が本当におへた。わたくし、王太子なんてお庭の雑草と同じくらいにしか認知していませんのよ」
窓の外を見ると、雑草が伸び放題だ。
手入れをしなさい、手入れを。……いいえ。わたくしがしましょう。
「決めた。ヘルマン、わたくし、まずは雑草を綺麗にしますわ」
「王太子を暗殺などと軽々しく口になさらないでいただきたい」
「まあ。わたくしがいつ暗殺すると言ったの? 実は暗殺してほしいのでしたら、してあげても構わなくてよ?」
遠巻きに見守る使用人たちは顔を見合わせ、「このおふたりは大丈夫なのだろうか」と不安そうにしている。
こうして一風変わった夫婦生活は幕を開け、数日同じやり取りを繰り返した末に、ダリアは「この夫はどうも本当に自分が死ぬと思っているようだ」と理解する。そして、幸せな夫婦(自分たち)の未来のために夫を長生きさせようと決意するのであった。




