18、勲章とダンス
その昔、地上には魔性の生き物が蔓延り、人間たちは下位種族として怯えながら暮らしていた。
あるとき、ドラコンヴィル王国の王子がドラゴンと友誼を結んで竜騎士となり、次々と闇の種族を従属させていく。
闇の種族は狂暴性が抑えられ、人間と交わるうちに子孫は人間に近づいていった。
ドラコンヴィルの王は代々竜騎士が継いだが、その習わしもやがて廃れて王子の中でもっとも優秀な者が継ぐ決まりに変わった。
王太子バティスト=アンリ・ド・ドラコンヴィルは、幼い頃から大人びていて文武に秀で、将来は立派な王になるだろうとみんなに期待されている王子だ。
雨に濡れた森林のような緑髪を首の後ろで三つ編みにして垂らしていて、黄金色の瞳の左目にだけ銀縁の片眼鏡をかけている。
ダンジョン攻略愛好家として知られる彼は、よく兵士を指揮して攻略に乗り出して怪我をするらしく、肌には顔にも腕にもたくさんの傷跡があった。左目も、モンスターと戦った際に負傷して視力が低下したという話だ。
「地上を照らす太陽のごときドラコンヴィル王国のご威光に最上級の敬意を示します。わたくしたちの王太子バティスト殿下にお会いできて光栄ですわ」
ダリアが優雅に淑女の挨拶をすると、王太子バティストは機嫌よく笑った。
酒が入っているのか、頬が赤い。
「ウェルザー伯爵夫妻が仲睦まじく俺のもとを訪ねてくれて嬉しい。狩猟大会でも伯爵の活躍ぶりは素晴らしかった。どうか今宵はゆっくりくつろいでくれ」
王太子バティストが一歩距離を詰めると、ヘルマンの手がダリアの肩を抱き寄せた。
警戒するのはわかるけど、王太子相手にあからさますぎる態度は臣下として非難されるのでは――ダリアはそう危ぶんだが、周囲は好意的にざわめいた。
「ご覧になって。女性に塩対応で有名なヘルマン様が独占欲むき出しで殿下を牽制してますわ」
「王太子殿下との三角関係の噂は本当なのか……?」
まあ、独占欲ですって。三角関係ですって。
耳心地のいいざわめきにダリアは頬を赤らめた。表情筋を総動員して余裕たっぷりの微笑をキープしつつ、心の中では両手を上げて小躍りしている。
やったわ♪ 嬉しいわ♪
わたくし、こんな風に愛され夫人として社交界に認知されたかったんですの♪
今日は良い日ね♪
心の中で喜びの歌を熱唱する間に、王太子バティストは二人から一歩分離れて周囲に視線を巡らせた。
「ふむ。俺が愛妻に近寄るのを警戒しているウェルザー伯爵が微笑ましいな。みんな、そう思わないかね? 麗しく英雄夫妻の愛に乾杯!」
面白がるように言い、周囲に向かって酒杯を持ち上げる王太子を真似するように、次々と酒杯が掲げられる。
王太子バティストは勢いよく酒杯を空にして、歌うように告げた。
「そうそう。みんな、聞いてくれ。我々の残念な隣国の件だが、このたび我が国の属国とすることが決定した。それというのも、あちらの姫君が我らの英雄を暗殺しようとしたからだ」
バティストは酒杯を宙に放った。
すると、空中で酒杯が緑色の炎に包まれて、消えてなくなる。
彼は魔術師だ。それも、腕がいい。――ダリアとヘルマンはそっと視線を交わして頷き合った。
周囲の貴族たちはバティストに慣れているらしく、魔術に拍手したり国際問題を犯した姫君に憤慨したりしている。
「そもそも敗戦国の姫を俺が娶らないといけないなど、おかしいではないかね? それも、反省してしおらしく嫁ぐならまだしも要人の暗殺を企てるなど、とんでもない」
「殿下、甘い顔するとつけあがるんですよ、悪人というのは」
「そうだそうだ」
わいわいと盛り上がる会場に、優雅な音楽が流れだす。
ダンスの時間だ。
「お嬢様。せっかくの舞踏会ですから、踊りませんか」
「まあヘルマン。あなたって空気が読めるのね」
「それは素直に褒め言葉と受け取ってよろしいのでしょうね」
殺伐とした人の輪から離れて、ダリアはヘルマンと共にダンスフロアへと移動した。
「王太子殿下には、またのちほどお話を伺ってみますわ。あの様子ですと今は落ち着いてお話できそうにありませんもの」
「暗殺しにくいのですね」
「ヘルマンはわたくしが問答無用で暗殺すると思って疑わないのね」
円舞曲の三拍子に乗ってステップを踏む。
ふわりと広がる本日のドレスは、ダリアの黒髪と赤い瞳を最大限に引き立てる深紅と黒のグラデーションデザインだ。
胸元から腰にかけてはアネモネの花弁を思わせる深紅の布地を幾重にも重ね、裾に向かうほど黒の影を濃くなっていく。
首から肩を大胆に露わにしていて、耳には金色の花びらの耳飾りが揺れる。
袖は肩から肘まで黒のレースで覆い、自分でも満足のいくドレスアップ姿。
「ねえヘルマン。わたくしに何か、言うのを忘れていることがあるでしょう?」
綺麗ですね、とか、似合っていますね、とか、そんな言葉がほしかった。
目の前で手を引き、安心感のあるリードをしてくれるヘルマンは、金髪を蜜のように輝かせ、碧眼に甘い色を滲ませて微笑んだ。
「申し訳ございませんでした」
「謝ってほしいわけじゃないわ」
「王太子殿下にあなたを譲る気持ちが薄れていくのです」
「譲らないでほしいのよ?」
くるりとターンすると、周囲の景色が万華鏡のように流れて楽しい。
再び向かい合う一瞬に手を引かれて、鼻と鼻がこすれ合いそうなほど近くなる。
「お嬢様が可愛らしくて、本当は譲らなければならないと理性でわかりつつも、譲りたくないのです」
「まあ!」
夢のように素敵なセリフ!
胸を高鳴らせるダリアが表情を繕う暇もなく、ヘルマンは頬にキスをした。
「舞踏会の衣装がたいそうお似合いで、見惚れて言葉にできません」
「……!」
カアッと全身が熱くなって、黙っていられない気分になる。
何かを返さないと。でも、何を?
「あ、あ、あなたも、格好よくってよ……」
「私はお嬢様好みの男になれていますか?」
「も、もちろんよ」
「私は王太子殿下にも劣らぬ、国一番の男になりたくて……」
熱のこもった瞳で言いかけてやめたヘルマンは、そっと視線を逸らして恥じ入るように目を伏せた。
そのまま絵画にして飾りたくなるほど麗しい、深藍色の上着に黒のスラックス姿の夜会服姿の彼。
その夜会服の襟は金糸でジャスミンの花と葉の模様が刺繍されていて、白いネクタイに赤い薔薇のネクタイピンが留めてある。
胸元にはたくさんの勲章が、きらきらと光っていた。
生まれながらには持ちえなかった、社会的に認められた栄誉の証だ。
彼が何を言おうとしたのかがわかって、ダリアは息を呑んだ。
彼は、「生まれながらの高貴な身分」に近づくためのものをこの人生でありったけ集めて、ダリアと釣り合おうとしてきたのだ。
「ヘルマン? あ、あなた……」
鼻の奥がつんとして、眦が熱を帯びる。
なんだか、泣いてしまいそうだった。
「私はあなたを諦められない、困った男なのです、お嬢様」
まるで妖精の騎士めいた優美な彼が切実な目を見せるので、心臓がどきどきして堪らない。
こんな風に言ってもらえるなんて。ほしかった言葉をはるかに越える贈り物だ。
「愚かね、ヘルマン。そんなに努力したのに、わたくしを手放そうなんて言ってはいけないのよ。たとえ呪われていても、わたくしが呪いなんて吹き飛ばしてあげますわ。あなたも、そうおっしゃって」
そのほうが絶対、素敵。
「わたくし、もうツンはやめますわ。ですからヘルマンもやめるのよ!」
「ツン……?」
音楽に合わせた自然なリードで、真っ赤になってときめきながらも足を止めずに踊っていられる。
なんて楽しいダンスだろう。こんな舞踏会は、初めて。だって、ほら。
ヘルマンが笑ってくれた。
わたくしを愛しそうに見て、言ってくれる。
「努力いたします、お嬢様」
「ええ、ええ。わたくしたち、ふたりで努力して幸せになるの。夫婦って、そういうものなのですわ」
ダリアはその日いちばんの華やかな笑顔を見せて、ヘルマンの頬にキスをした。




