17、私のお嬢様は、この世でもっとも可愛らしい!
「今朝は夢見が悪かったんですよ。ですが、きっと悪いものを全部私の夢が吸い取ったので、お嬢様は本日幸せいっぱいの絶好調です!」
「ありがとうメルフェ」
舞踏会の日、侍女のメルフェ・ヴォルニエはお仕えするダリア・ウェルザー伯爵夫人の身支度に張り切って腕を振るった。
美しいドレスに身を包んだお嬢様の黒く豊かな髪は両サイドで一部を結い上げて、残りはゆったりと流している。あとは化粧だけだ。
化粧をせずとも透き通るような白い肌。そこに、最高級の毛筆を使って化粧を施していく。
意思の強そうな眉に、印象的な深紅の瞳。
薔薇色の頬に、潤いのある綺麗な唇。
私のお嬢様は、この世でもっとも可愛らしい!
三つ編みの赤毛と青みがかった灰色の瞳が特徴の侍女メルフェは、貴族令嬢だ。
実家であるヴォルニエ家は盾持ち騎士の末裔である小貴族。
武門の家柄で、家族は兄や弟が多く、むさくるしい家だった。
兄弟は脳みそまで筋肉に冒されているのではないかというほどの筋肉マニア。
ちょっとした隙間時間を見出しては腕立て伏せだのスクワットだの、し始める。そのせいか、家中どこにいてもなんとなく汗臭い。
そんな家庭で育ったメルフェの好きなものは、「可愛い」「おしゃれ」「綺麗」だ。
自分の部屋を男子禁制の聖域と定めて、綺麗なドレスやハンカチ、いい匂いのする香水やお花、容器が綺麗だったり可愛かったりする化粧品をコレクションして愛でていた。
そして、「あのヴォルニエ家からどうしてこんなに女子力の高い令嬢が生まれたのか」と驚かれるくらいの女子力を身につけて、主家筋にあたるキンツェル伯爵家の令嬢の侍女の座を獲得したのである。
もっとも、キンツェル伯爵家の使用人の仕事は不人気で、競争率は低かった。
「キンツェル伯爵家は血のように赤い瞳の一族で、祖先は吸血鬼だと囁かれているんだ。恐ろしい方々だよ」
「実はあの一族は全員吸血鬼で血を啜って生きているという話だぞ」
「何代か前までは国王陛下の懐刀として暗部を牛耳っていた闇の一族だぞ。いまだに一族は幼少期から暗殺者として訓練されているというし、危険すぎる……」
実際、務めてみると、確かにお坊ちゃまやお嬢様は暗殺者としての訓練を受けていたが、吸血鬼ではないし、恐ろしくはない。
むさくるしい実家と違い、キンツェル伯爵家は没落してはいたが、格式の高さを感じさせる上品な家だった。
調度品は古く、全体的に質素だが、趣味はいい。
伯爵夫妻はちょっと頼りない雰囲気だが、優しかった。
令嬢令息は人形のように美しく、特にダリアお嬢様は気が強そうな顔立ちで、華がある方だった。理想のお姫様だ。
メルフェはひとめで気に入った。
「お初にお目にかかります、ダリアお嬢様。本日よりおそばでお仕えいたします、ヴォルニエ家のメルフェと申します」
「可愛いお名前。ふわふわしていて気に入ったわ。それに、髪の色も素敵ですわね。わたくしの瞳の色とお揃い……と言ったら、ご不快?」
「とんでもありませんお嬢様! 私は自分の髪色を気に入っておりますし、お嬢様の瞳の色も特別で憧れます。お揃いとは光栄で……恐れ多くも嬉しいお言葉です!」
「うふふ。あのねメルフェ、わたくし、あなたの瞳の色も好きよ。詩情がそそられる淡い色合いですもの」
詩作は苦手だけど、と呟くダリアお嬢様は、メルフェよりも3、4歳年下だ。
ころころと表情が変わり、舌もよくまわる。声は無垢なソプラノで、聞き心地がいい。
高貴さや自信をきっちりと持っていて、かつ、貴族令嬢らしからぬ下々への思いやりや人格尊重の気配を醸し出しているところに、女主人としての魅力があった。
「ダリアお嬢様にふさわしい化粧品を集めてまいりました。どれを使うか、お好みなどはございますか? こちらのクリームは保湿効果に優れているのだそうですよ。それに、こちらも素敵ですねえ、いい香りです」
メルフェは張り切って日々のお世話を始めた。
化粧品は特に、体質との相性もある。何種類も最上級の品物を買い、ひとつひとつを手に取って説明するところから始めてみた。
毒を扱う家でもあるキンツェル家の令嬢は、得体のしれないものを肌に塗られるのを絶対に警戒すると思ったのだ。
どきどきしながらプレゼンテーションをしていると、お嬢様は気さくに腕を出してクリームを試すように塗った。鼻を近づけて香りを楽しむ表情は、なんだかとても親近感を覚える……化粧品にわくわくしている女の子の顔だ。
「メルフェ、一緒に試してみましょう。気に入ったものがあれば、あなたにもプレゼントしますわ」
「えっ……私にプレゼント……?」
にっこりと微笑んでくれたあの日から、メルフェはダリアお嬢様に心酔している。
もしもお仕えするダリアお嬢様が王太子に反逆して国に追われることになれば、自分も一緒に逃げる。
万一のときには、自分の身を盾にしてお嬢様をお守りする。
それくらいの覚悟はできているのだ。
「……さあ、準備ができましたよ、お嬢様。今宵はいつにもましてお美しいです。会場の誰もがお嬢様に見惚れること
間違いなしです!」
その言葉を裏付けるように、着飾った妻を見たヘルマン・ウェルザー伯爵は目を見開いて数秒間、見惚れていたので、メルフェはこっそりとガッツポーズをした。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
光溢れる絢爛な会場に夫婦が入場すると、入口を中心にざわめきが広がっていく。
流星のごとく人々にその存在を知られ、あっという間に成り上がった英雄伯爵。
没落しているが歴史ある名家の、美しくも不穏な毒沼令嬢。
王太子の命令による政略結婚を果たした早々に離婚を申し出たとか、白い結婚だとかいう噂。
領地にダンジョン被害が出たが、すぐさま解決したとか、領内の闇組織を掌握して治安を一気に改善したとか、周辺の野心ある領地に次々と交渉しているとか……さまざまなゴシップの尽きない夫妻は、今宵、ふたりでひとつの至高の芸術品のように美しく完成されたペア姿だった。
「ダリア嬢は美しさに磨きがかかっているな。これは沼だ、間違いない」
「見ろ、英雄伯の熱いまなざしを。すっかりハマっている様子ではないか」
「離婚の噂はデマということか……?」
――まあ、まあ。皆さまがわたくしたちを見て褒めてくださっていますわ。お似合いですって。彼がわたくしを溺愛しているですって。べた惚れですって。うふふふ。
周囲から聞こえる声に上機嫌になりながら、ダリアは目的の人物を見つけて目をぎらりとさせた。
「ヘルマン。王太子殿下がいらっしゃるわ。ご挨拶にまいりましょう」
「お嬢様、念のために確認いたしますが、いきなり暗殺はなさいませんよね?」
「わたくしを何だと思っていらっしゃるの?」
夫と話しているうちに、王太子はのこのこと近づいてくる。
こちらから行く暇が省けてなによりだ。
ダリアは優雅に微笑み、この国で一番高貴な王子に挨拶をした。




