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セザールとルミアの話2

 庭に出て始まったのは本当にキャッチボールだった。


「セザールさん行きますよー」


「……はいー」


 いや年齢的には合ってるけど、貴族の娘としては間違ってんだろ。

 まあ俺は貴族はおろか一般的な子供が日常的にするようなことすら知らなかったから、想像で思っただけだけど、おおよそそんなことを思っていた。その間も平等にボールが飛んでくるため、キャッチしては投げる手を止めることはなかった。

 ちなみに身近な平民代表のラフィネ様に聞いたところ、一人のときは勉強か読書かの二択だったらしい。それはそれで一般的ではないよな、多分。むしろ貴族なんでは?


 それはさておき、俺はキャッチボールなんて経験がなかったが、お嬢様の投球は年相応に飛距離がたまに足りなかったり、逆に勢いが足りなかったりと、言い方は悪いが取るに足らないようなものだったし、イリスの方も取りやすいようにしてくれていて、取るのに苦戦をすることはなかった。


 逆に難しいのは自分の力の調整だ。どれだけの力で投げればいいのかなんて検証したことない。今でこそキャッチボールも対応可能な、すばらしく優秀な執事だが、あの時は初挑戦だったんだ。弱すぎるときもあれば強すぎるときもあった。幸い、強すぎると思った球は大概イリスの方に投げてたから、ルミア様に怪我させてなくてよかったけど。させてたら俺の方が旦那様に殺されてたんじゃないか? いや、結局俺も殺してないんだけどな。

 全くちょうどよくないボールを何度か投げて、何気ない調子でイリスが声をかけてきた。


「セザール、貴方強いわね」


「申し訳ありません。何分、こういうことには不慣れなもので」


「いえ、投げるのではなくて、受ける側の話よ。ルミア様の送球を取り落とさない俊敏さもあるし、私が少しずつ強めに投げてもビクともしていないみたいね。これくらいは余裕ということかしら」


 イリスに言われて、初めて徐々に球の威力が強くなっていたことに気が付いた。俺としたことがお嬢様が使用人とキャッチボールやってるという展開と、自分がいかにキャッチボールが下手かということに動揺して気付いてなかった。こんなことで動揺するなんて、暗殺者としてはそこそこ……というかかなり致命傷だ。とんだ馬鹿だった。実践だったら死んでる。

 とはいえ、実際気が付かなかったということは、余裕に等しいのではないか。確かに強くなってはいるが、所詮は貴族に仕える一メイドだしな。そんなことを考え、俺は素直に返事をした。してしまった。


「はい。これほどであれば造作もありません」


「そう。なら、貴方には本気を出させてもらうわ」


 先にネタバレすると、このすぐ後に俺は後悔することになる。


 イリスはゆっくりと深呼吸をした。深く息を吐いて、ボールを見つめる。その様子は誰が見てもわかる程に集中していた。この辺りでなんとなーく俺は嫌な予感がしていた。どれくらい嫌な予感かって言ったら、今の俺だったら、やっぱやめてくださいって言うくらい。まあ俺が言っても今のイリスはやめてくれないが。


 スッとイリスが顔を上げる。そして俺に向かってボールを投げた。切られそうな程鋭利な目に、一瞬俺は殺されるのかと思った。本気で。その時だけさっきまでよりも速く飛んでくるボールが投げナイフにすら見えた。

 反射的に避けかけて、思い直してボールを取りにかかった。だが、その球は速いだけじゃなく、重かった。


「い゛っ」


 一瞬何が起こったのかわからなかったが、そんな声を出してたことは覚えている。いつの間にか尻餅をついていた。どうやらボールの衝撃で体勢を崩したらしかった。


 いや、どんなボール投げてんだよ。とんだ馬鹿力だ。なんであそこで挑発紛いの言い方したんだ。適当に流しておけばよかった、とか考えていた覚えがある。

 だが、それ以上に、これほど自分が乱されていることに驚いていた。優秀な暗殺者が、これじゃとても目も当てられない惨めな様だ。


「セザールさーん! 大丈夫ですか!?」


 大きな声で走ってきたのはお嬢様だった。俺がボールを受けた瞬間からこっちに大声で呼び掛けながら走ってきていたのは、視界の端に映っていた。


「セザールさん、あっ、手痛めてませんか!? もう、イリスさんやりすぎですよ!」


「も、申し訳ありません、お嬢様。少々興が乗ってしまいまして……」


「きょう……? とにかく、赤くなっちゃってるし手当てしないとですね」


 そう言ってお嬢様は俺に手を差し出した。俺はそれが何を意味しているのかわからなくて、ただその手を見つめてしまった。


「えっ、と?」


「どうしたんですか? あ、いや、怪我した方をさらに痛め付けてやる、みたいな感じじゃないですよ!? ただほら、ありますよね? 座り込んでる人が立つ時に手伸ばしますよね?」


「いえ、少なくとも主が使用人に手を伸ばすことはありません」


「ないんですか!?」


 お嬢様は驚いても手を引っ込めることはなかった。俺はほぼ無意識のうちに、その手に手を重ねた。

 小さいが暖かい手だった。本当は冷たかったかもしれないが、俺にはそう感じた。


 重ねられた俺の手を見て、お嬢様は嬉しそうに笑った。実際、やったー、くらいは言っていたかもしれない。そして手に引っ張りあげられるように俺は立ち上がった。いや、現実はほとんど自分の力で立ったわけだが。


「さて、手当てしに行きましょう! ちゃんとしないとさらに痛い思いをしますからね!」


 お嬢様がそう言って俺の手を引く。別にこのくらいの怪我なら大丈夫とか思って、言おうとして、俺は言った。


「……はい、わかりました」


 自分の口から出た言葉に、自分で驚いた。俺は何を言ってるんだ。こんなこと言うはずじゃなかったのに。


「いや、その」


 咄嗟に撤回しようと思ったが、執事を演じる者として逆らうのが正しいのか、このまま従うのが正しいのか、という考えに至り、言葉が出なくなった。


 大体、こんな展開予測してなかったんだ。お嬢様とキャッチボールして、メイドの投球でぶっ飛ばされて、更にはお嬢様に心配されて? 意味がわからない。こんなはずじゃなかった。俺が見てきたのとはあまりにも変わりすぎてる。最適解がわからない。わかるわけない。こんなこと初めてだ。

 なんで、どうしてなんだ。なんで、


「はい、急ぎましょうか。セザールさん!」


 なんでそんな風に笑うんだ、あなたは。


 そんな、親愛がこもった笑顔は一度も見たことがなかった。いけすかない子供だった。興味がないはずだった!

 それなのに、急にこんな風になられたら、優しくされたら……。


「あら?」


「わ!? セザールさん泣いてます!? わわ、大丈夫ですか?」


「まさかそこまで酷いだなんて、ごめんなさい。お詫びにわたくしが運んでいきましょうか」


「えっ、イリスさん、セザールさん運べるんですか? すごい……見習いたい……」


「……ふっ」


 俺の口から息のように漏れ出た声に二人は振り向き、すぐに驚いた顔を見合わせた。そしてまた二人してこちらを見ると、お嬢様がおそるおそると言うような雰囲気で聞いた。


「セザールさん……笑いました……?」


「……いえ、幻覚では」


「いや、絶対笑いましたよ! イリスさんも見てましたよね!?」


「ええ、この目で確かに」


「ほら! わっ、すごい! セザールさんの笑顔初めて見た」


 初めて見たなんて当たり前だ。俺はこの家に来てから笑ったことなんて……いや、来る前から、笑ったことなんてあっただろうか? 仕事上、仕方なく笑顔を作ることはあっても、今みたいに笑ったことなんて、あったか?

 わからない、覚えてない。だが、もうどーでもいい。世の中全部わかった気でいたけど、こんなにもわからない人がいる。それがなんだか、意味わからんけど面白かった。


 俺はお嬢様に暖かい手を引かれて、屋敷に戻った。その間俺はずっと笑みをたたえていたらしいが、そんなこと意識すらしていなかった。

 それからお嬢様に馴れ馴れしくなったのは、旦那様に暗殺者であることを打ち明けた翌日のことだった。




 なーんてこともあったなー! 俺はめちゃくちゃ変わったし、ルミア様も、うん、厳密にこの過去回想と変わったところを述べよって言われたら、口調以外見つけれないけど、変わったよな、うん。まあでも、笑顔は変わってないな、少なくとも。


「ちょっとセザールさん? 聞いてる? ボーッとしてるけど体調悪い?」


「あー、人が不調でも慌てなくなったところは変わりましたね」


「何の話???」


 頭にまで疑問符を浮かべているルミア様に、俺は何も答えず声をあげて笑う。


「ふふ、あっははははは!」


「え? 何? 何で笑ってるの!? ボクなんかおかしい!?」


「いや……あはは、なんでもないですー!」


「なんでもないって、いや、気になるでしょ! もう、セザールさんはよく笑うなぁ」


 ルミア様はそう言って、昔と変わらない笑みを浮かべた。ルミア様だって昔の俺を忘れちゃいないだろうに、そう言ってくれるのは素直に嬉しいな。いや、忘れてるのか? そんなことないよな。俺にとってはかなり重要なことなんですけど。


 ……まあ、どっちでもいいか。今ここに俺がいるのはルミア様のお陰ってことは、俺が忘れなければいい。あなたが笑うから俺も笑える。それだけでいい。

 だから俺が世間様から見てどんだけ無礼を働いても、お側に置いてくださいね、ルミア様。

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