セザールとルミアの話1
コンコンコン、と適当にドアをノックすると、はーい、と同じ明るく元気な声が聞こえてくる。失礼しまーすと声をかけて入ると、なんだあ、セザールさんか、と部屋の主は振り向いた。その残念そうな言いぐさの割には、にっこり笑顔で出迎えられた。まったく、こーんなに忠実で優秀な専属執事に対して失礼な物言いだと言うのに、そう笑いかけられるだけで俺もつられて笑ってしまうのだから、何かずるい気がする。この卑怯者め!
なんて心の声は置いといて、俺はルミア様に負けじと目一杯の笑顔で彼女に呼び掛けた。
「どうもー、王妃(仮)様ー! 妃教育でお疲れだろうと思って、この世界一有能な執事が軽食をお持ちしましたよ!」
「色々言いたいことはあるけど、まず(仮)じゃないからね! (仮)つけるくらいだったら普通に呼んでくれないかな! 話はそれからだ!」
うん、ルミア様が何か言ってるけど、しれっと中に入りますよっと。ここ、カルティエ家じゃないから周囲からの目が痛いんだよなぁ。カルティエ家が俺に優しい世界すぎたのもあるとはいえ、俺を咎める空気がひしひしと伝わってくる。主人に無礼な口を叩いてるのはちゃんと自覚してるし、何ならルミア様がルドヴィン……様と結婚なされたのを気に、こういうの直そうとしてみましたよ? 俺だって、一応最高権力者のお膝元で視線を気にしないほど、豪胆でもないんでね。
んで、ちゃんとしてみたけどさ、できないんだよ。だって、ルミア様はともかくイリスまで気味が悪いって言いやがる。あれは本気で言ってた。物理的に距離取られたし。じゃあどうするってなったら、戻すしかないんですよね。俺には周囲の視線よりも親しい人との距離感の方が大事なんで。というわけで、俺は今でもこんな調子なわけだ。それこそ、ルミア様と仲良くなる前しか粛々としてなかったんじゃねぇかな。
思えば、あの頃からルミア様も変わったもんだよなぁ。いや、あの頃から変わらないと言うべきか。それも、もうずーっと遠い昔の話だけど。いやー、懐かしい。俺もあの頃から変わった変わった。というか変えられたんだよな。
……そうだなー、そういえば俺とルミア様が仲良くなった頃って、割りと俺にとって大事な時期だったよな。そこそこ黒歴史で思い出したくなかったけど、ここは一度、順を追って思い出してみてもいいか。
さて、俺が暗殺者として、生きてきたのはご存じでしょう。俺ってやつは、そんな血生臭くて汚れた世界でも優秀だったので、その組織ではリルナと一緒にナンバーワンツー争ってたわけで。リルナの言ってた通り、俺みたいな脱走者も、何人も何人も逃がさず殺して……なーんて、そんな最底辺みたいなことをやってた俺が、今日はどうしてルミア様に絆され、カルティエ家に仕えるようになったか。ま、大部分はルミア様が原因だ。
確か、最初にルミア様を見たのは、まだ5歳の時でしたかね。でもって、ルミア様にこれといった感情はなかった。ただ、今のルミア様じゃなくて、あの頃のお嬢様の世話役をしていたメイド、それがイリスだったわけだが、いつも失敗して怒られてんな、って思ってただけだったな。俺ならあんな失敗せずに上手いこと、あの世間知らずのガキのくせに偉そうな態度でふんぞり返ってるお嬢様のご機嫌を取れるだろうに、不器用なやつだなって。
まあ、あの時は正直、ルミアという人間に興味なかったんだよな。俺が殺すべきはカルティエ侯爵。けど、ただ忍び込んで殺すのは無理だったから、潜入して自分が真っ先に疑われないくらいに馴染んで、それから機を見て殺すのが、上からの指示だった。なんですぐ殺そうとしたらダメかって、そりゃあ執事長がいたからだ。誰にも見つからないようにやろうとしても、あの頃は執事長が旦那様の秘書だったから、他の暗殺者はさぞ酷い目にあったことであろう。はーよかった、俺に命令がくる前に犠牲者が出てくれて。お陰で俺は幸せだぜ。
暗殺者としての機会が訪れたのは、そんな執事長が、養子として連れてこられたアンドレ様の世話役になったときだったなー。カルティエ侯爵のガードが一気に半減したと言って良いほど、がらりと環境が変わっただけだし。
だけど、俺は冷静沈着で理性的な、パーフェクト暗殺者だったので、しばらくは様子を見ようとしたわけだ。焦ったらしくじる暗殺者なんて、案外たくさんいるもんなんだよな。俺はナンバーワンだったので、そんなことしなかったですけどね! いや、まあ、結果裏切り者にはなったわけだが、それはそれとして。
お嬢様が、何だっけ、頭痛で倒れたんだったか。その前日に、俺はカルティエ侯爵はあと数日で殺そーって思ってた。きっかけは……今思い出しても恥ずかしいんですけどねぇ、実はイリスなんだよな。
あの頃の俺、昼は何でもそつなくこなす完璧執事でしたが、夜には極めて優秀な暗殺者の顔を覗かせてたので、ちゃんと間取りやアリバイ工作の計画、誰にも見つからない逃走経路とかを、こっそり脳内シミュレーションしながら屋敷の中を歩いてたことも多々あった。そしたらね、いるんだよ。お嬢様に怒られないよう必死に苦手な仕事を練習してるメイドが。
ある日は台所で紅茶を淹れては飲むのを繰り返し、またある日はマネキンをお嬢様に見立てて身だしなみを整える……そんな様子を見ない日は一日だってなかった。今でこそルミア様の近くで堂々としてるが、あの頃のイリスは相当苦しんでたのが、端から見てもよくわかった。
その時、なんかその光景が嫌に目についたんだ。いっつも非道徳的な行いをしてるくせに、真人間みたいなことを思っていた。だから、もういいかって思ってしまった。ちょうど今がチャンスなんだから、様子見するのも止めにしちまおうってな。ある意味、慈善事業をしているような気分にさえなった。カルティエ公爵を殺すことで、あいつも解放してあげよう、なんて、馬鹿な考えで本格的に計画を立てていた。
そんで、いざ実行に移そうってなった段階で、お嬢様が別人になった、なんて話を聞いた。俺はすぐにその話の真偽を確かめた。すると、どうだ。あのお嬢様が太陽の下、日焼け対策もせずに少年みたいな格好で走り回ってるし、イリスもそれも見て、前とは比べ物にならないほど柔らかな笑みをたたえていた。
ありえないと思った。これは夢なのかと疑った。だがそれは確かに現実で、お嬢様も笑ってイリスも笑っている。それが俺の見た現実だ。二人は日が照って暑い中でも、楽しそうに笑い合っていた。度々、イリスがお嬢様に注意する声が聞こえてきた。それに対して、お嬢様は機嫌を損ねることなく、はーいと元気に返事をしていた。
俺は計画を実行する気になれなくなってしまった。この時点で暗殺者としては失格なんだが、それでもまだ俺はやり遂げようとは思ってはいたんだ。だって、俺の居場所はあの黒と赤しか色のない世界しかないのだから。あそこにもいられなくなったら、後は死ぬだけだ。別に生きていたいとも思ってなかったけど、わざわざ死にたいほどでもなかったもので、俺はちゃんと帰ろうとしていた。諦めていたと言ってもいいかもしれない。気は乗らないが、任務は完了してやるつもりだった。執事長はまだまだアンドレ様に付きっきりで、殺れる機会ならばごろごろ転がっていた。頃合いを見て、公爵を殺してしまおうと、本気で思っていた。
でも、そんな時に、俺は声をかけられてしまった。
「あの! セザールさん、ですよね。ボクとイリスさんといっしょに遊んでくれませんか?」
別人になったお嬢様に声をかけられたのは、それが初めてだった。今まででは考えられないほど下手に出た態度を見て、俺の頭は一瞬混乱した。何故俺に声をかけてきたのか。俺の名前を認識していたのか。そもそもこいつ、本当にすりかわってるんじゃないか、なんてことを、瞬時に頭の中に浮かべていた。
けれど次の瞬間には、俺は肯定の言葉で返事をした。決してパニックになったから反射的に、ではない。この機会に観察して、見極めてやろうと思ったんだ。
それなのに、俺がそう考えてると一瞬たりとも思わずに、彼女は俺の手を奪い取った。
「やった! ありがとうございます! セザールさんとも遊んでみたいなーって思ってて! じゃあさっそく庭に行きましょう! イリスさーん! 今日は三人でキャッチボールだー!」
窓から庭に向かってそう言うお嬢様に、イリスが危険ですので窓から乗り出すのはお止めください、と叫んでいた。だがその顔は困ったようだったが、笑っていた。
そしてそのまま俺は、お嬢様に庭へと手を引かれていった。




