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武術師範は異世界でも道を示す  作者: 白玉男爵
第五章 武術師範、変わりゆく日々
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武術師範、教えを請われる

ビルたちが。


王都へ向かってから。


数日が過ぎた。


――


朝。


エンターサンドの街。


その一角にある小さな稽古場。


ヤスヒコは一人で立っていた。


「……」


静かだった。


いつもなら。


この時間には何人かの声が聞こえている。


「先生!」


「ちょっと待って!」


「ビル、早すぎ!」


「遅いぞ、シャーロット!」


そんな声。


今は何も聞こえない。


「……静かだな」


ヤスヒコは。


小さく呟いた。


分かっていたことだった。


ビル。


カミリー。


シャーロット。


三人は王都へ向かった。


五級冒険者への昇級審査。


二週間。


場合によっては。


一か月ほどこの街へ戻ってくることはない。


「キュ」


足元から。


小さな声が聞こえた。


ヤスヒコが見る。


ティルがこちらを見上げていた。


「お前もそう思うか」


「キュ!」


どこか。


得意そうな声だった。


「……そうか」


ヤスヒコは。


少しだけ笑う。


この日、ヤスヒコには依頼がなかった。


指名依頼も。


長期依頼も。


特に入っていない。


だから、久しぶりに早朝から稽古場へ来ていた。


「始めるか」


「キュ」


ティルは。


いつもの場所へ移動する。


ヤスヒコが。


ゆっくりと構えた。


――崩。


足を踏み出す。


身体を動かす。


一人で行う稽古。


昔は。


これが当たり前だった。


日本にいた頃。


師範として。


多くの弟子たちへ武術を教えていた。


その一方で。


誰もいない時間には。


こうして一人。


自分自身と向き合っていた。


「……」


身体を動かす。


一つ。


また一つ。


技を繰り返す。


そして。


ふと足を止めた。


「……」


『先生』


そんな声が聞こえたような気がした。


「……」


ヤスヒコは。


振り返る。


誰もいない。


「キュ?」


ティルが首を傾げた。


「何でもない」


ヤスヒコは再び前を見る。


その時だった。


「……あの」


稽古場の入口。


遠慮がちな声が聞こえた。


ヤスヒコがそちらを見る。


一人の青年が立っていた。


見覚えがある。


「お前は」


「はい」


青年が少し緊張した様子で頭を下げた。


「以前、森で助けていただいた……」


「ああ」


ヤスヒコは思い出した。


以前。


森の中で魔物に襲われていた若い冒険者。


仲間を守ろうとして無理な戦い方をしていた。


「ヤスヒコさん」


青年が言った。


「……少しだけ」


言葉を探す。


「戦い方を教えていただくことはできませんか?」


「……」


ヤスヒコは。


青年を見た。


「弟子を取るつもりはない」


「はい」


青年はすぐに頷いた。


「それは分かっています」


「俺は」


ヤスヒコが言う。


「道場を大きくするつもりもない」


「はい」


「弟子を何人も抱えて有名になるつもりもない」


「はい」


青年は何度も頷いた。


「……ただ」


青年が言う。


「俺、あの時」


ヤスヒコを見る。


「助けてもらってから」


少しだけ言葉を止めた。


「自分の戦い方を考えるようになりました」


「……」


「以前は」


青年が苦笑する。


「強くなればいいと思っていました」


「もっと力があれば」


「もっと速く剣を振れれば」


「仲間を守れるって」


「……」


ヤスヒコは。


何も言わない。


青年は続けた。


「でも」


「あの時」


「ヤスヒコさんは、俺より強かった」


「なのに」


「俺みたいに剣を振り回したりしなかった」


「……」


青年が自分の手を見る。


「無駄に力を使わない」


「相手を見て」


「周りを見て」


「仲間を守って」


「……」


そして。


ヤスヒコを見る。


「俺にも」


「そういうことを、少しだけでも教えてほしいんです」


「……」


稽古場に静かな時間が流れた。


「キュ」


ティルが。


小さく鳴く。


ヤスヒコは青年を見る。


そして、短く息を吐いた。


「……少しだけだ」


「!」


青年の顔が明るくなる。


「ありがとうございます!」


「ただし」


ヤスヒコが青年の持つ剣を見る。


「剣の振り方を教えるわけじゃない」


「それでもいいか」


「はい!」


迷いのない返事だった。


「……なら」


ヤスヒコは。


青年へ手招きをする。


「入れ」


「はい!」


青年が稽古場へ入ってきた。


「まず」


ヤスヒコが言う。


「構えてみろ」


青年は剣を構える。


「……」


ヤスヒコはしばらく見ていた。


「力が入りすぎだ」


「……はい」


「肩」


「……」


青年が自分の肩を見る。


「力を抜け」


「はい」


「抜きすぎるな」


「……」


青年が困った顔をする。


「力を入れるところと」


ヤスヒコが言う。


「抜くところを分けろ」


「……」


「全部に力を入れれば」


「動けなくなる」


「全部を抜けば」


「今度は力が伝わらない」


青年は何度か構えを変える。


「……こうですか?」


「違う」


「……はい」


「もう一度」


「はい!」


「今度は少し良い」


「本当ですか?」


「まだだ」


「……はい」


「足元を見ろ」


「足元?」


「そこから力は伝わる」


「……」


青年は真剣な表情になった。


何度も構えを繰り返す。


ヤスヒコはそのたびに短い言葉をかけた。


「違う」


「はい」


「そこはいい」


「はい!」


「肩の力を抜け」


「はい!」


時間が過ぎていく。


やがて。


「今日はここまでだ」


「……はい!」


青年は息を整えながら頷いた。


「ありがとうございました!」


深く頭を下げる。


「ああ」


「……ヤスヒコさん」


青年が顔を上げる。


「また」


言葉を止める。


「……」


ヤスヒコが見る。


青年は苦笑した。


「いや」


「今日は本当にありがとうございました!」


「明日は依頼がある」


「明後日にまた来い」


「……はい!」


青年は嬉しそうに帰っていった。


「……」


稽古場には再び静けさが戻る。


「キュ」


ティルがヤスヒコを見る。


「……なんだ」


「キュ!」


ティルは満足そうに鳴いた。


――


翌日。


ヤスヒコには街の近くで行う短い依頼があった。


荷車の護衛。


半日ほどで終わる依頼だった。


その日の稽古は行わない。


そして翌々日。


再び依頼のない早朝。


ヤスヒコは。


稽古場にいた。


「……」


構える。


身体を動かす。


「キュ」


ティルがいつもの場所で見ている。


その時。


「ヤスヒコさん」


声が聞こえた。


ヤスヒコが。


振り返る。


先日教えた青年。


そして。


その後ろに二人の若者が立っていた。


「……何だ」


「えっと」


青年が少し申し訳なさそうに言う。


「俺」


「その…すみません……」


「別に」


ヤスヒコが言う。


「怒っているわけじゃない」


「……はい」


「その二人は」


「仲間です」


「……」


二人の若者が頭を下げた。


「初めまして」


「……ヤスヒコさん」


「俺たちも」


一人が少し緊張した様子で言う。


「もし迷惑でなければ」


「少しだけ教えてもらえませんか」


「……」


ヤスヒコは三人を見る。


「昨日」


最初の青年が言った。


「ヤスヒコさんい教えてもらったことを仲間に話しました」


「そしたら……」


「俺たちも」


もう一人が言葉を続ける。


「強くなる方法だけじゃなくて」


「どう戦うべきなのか」


「そういうことを知りたいと思って」


「……」


「弟子にしてほしいとか」


「そういうわけじゃありません」


「……」


「ヤスヒコさんの時間がある時だけでいいんです」


「……」


ヤスヒコは少し考えた。


「俺は」


ゆっくりと言う。


「弟子を増やすつもりはない」


「はい」


「だが」


三人を見る。


「時間がある時なら」


「少しくらい話をするのは構わん」


「!」


三人の顔が明るくなる。


「ありがとうございます!」


「ただし」


「はい!」


「俺の言うことを」


「そのまま覚えるな」


「……?」


「自分で考えろ」


「俺のやり方が」


「お前たちに合うとは限らん」


三人は真剣な表情になる。


「分かりました」


「なら」


ヤスヒコが言う。


「まず」


三人を見る。


「構えろ」


「はい!」


――


それから。


一週間。


ヤスヒコの稽古場を。


時折若者たちが訪れるようになった。


毎日ではない。


ヤスヒコには冒険者としての依頼がある。


指名依頼が入ることもある。


数日街を離れることもある。


そんな時はもちろん稽古をしない。


「明日は依頼がある」


「分かりました!」


「また今度お願いします!」


若者たちは。


それ以上何も言わなかった。


「……」


ヤスヒコは少し意外に思っていた。


もっと不満を言うかと思っていた。


だが。


彼らは自分たちで稽古をしていた。


ヤスヒコがいない日。


彼らは自分たちで考え。


構え。


動く。


そして。


次にヤスヒコが稽古場へ来た時。


「ヤスヒコさん」


「昨日」


「自分たちでやってみたんですが」


「……ここが分からなくて」


そんな質問をする。


「……」


ヤスヒコは。


彼らを見る。


「なら」


短く言う。


「やってみろ」


「はい!」


「……」


彼らが動く。


ヤスヒコは黙って見ている。


そして。


必要な時だけ言葉をかける。


「そこだ」


「はい!」


「今の動き」


「どうしてそうした」


「え?」


「考えろ」


「……はい」


時には。


自分で答えを教えない。


考えさせる。


日本にいた頃。


神楽ゲンリュウから教えられたことだった。


「技だけ覚えても」


「それだけでは足りん」


かつて。


そう言われた。


何度も。


自分で考えた。


なぜそう動くのか。


なぜそうしなければならないのか。


「……」


今。


ヤスヒコは若者たちへ同じことをしていた。


意識していたわけではない。


ただそれが自然なだけだった。


――


さらに数日後。


稽古場の入口に五人ほどの若者が立っていた。


「……増えたな」


「すみません……」


最初の青年が苦笑する。


「話を聞いて」


「自分たちも」


「少しだけ」


「……」


ヤスヒコは若者たちを見る。


「弟子にはできん」


「はい!」


「毎日教えるわけでもない」


「はい!」


「俺に依頼があれば」


「そっちを優先する」


「もちろんです!」


誰も不満そうな顔をしない。


「……」


ヤスヒコは小さく息を吐いた。


「なら」


若者たちを見る。


「好きにしろ」


「!」


「ありがとうございます!」


「ただ」


ヤスヒコが言う。


「俺は技を教えるために」


「ここにいるわけじゃない」


「……」


「強くなりたいなら」


「自分で考えろ」


「自分で動け」


「俺は」


「必要な時に少し言うだけだ」


若者たちは一斉に頷いた。


「はい!」


「……」


ヤスヒコは。


少しだけ昔を思い出した。


日本にいた頃。


道場には多くの弟子がいた。


幼い子供。


学生。


大人。


それぞれ。


武術を学ぶ理由は違った。


強くなりたい者。


誰かを守りたい者。


自分を変えたい者。


「……」


今。


目の前にいる若者たちもきっと同じだ。


理由はそれぞれ違う。


それでも。


前へ進もうとしている。


「……」


ヤスヒコは。


一度周囲を見た。


「キュ」


ティルが。


いつもの場所で鳴く。


「……」


ヤスヒコは小さく息を吐いた。


「始めるぞ」


「はい!」


若者たちが一斉に構える。


「まず」


ヤスヒコが。


ゆっくりと歩きながら言う。


「戦う時」


「相手だけを見るな」


「……」


「周りを見ろ」


「仲間を見ろ」


「自分の立っている場所を見ろ」


若者たちは真剣な表情で聞いている。


「強い奴に勝つことだけが」


「戦うことじゃない」


「生き残ること」


「守ること」


「逃げること」


「それも全部」


「戦うことだ」


「……」


「覚えておけ」


短い言葉。


だが若者たちは。


誰一人聞き逃すまいとしていた。


――


「そこは足を止めるな」


「はい!」


「力を入れすぎるな」


「相手を押すんじゃない、力を流すイメージだ」


「……こうですか?」


「違う、もう一度だ」


そんな声が続く。


そして。


ふと。


ヤスヒコの視界が重なる。


――


畳。


道着姿の弟子たち。


神楽守道流の道場。


『先生!』


『もう一度お願いします!』


『さっきより腰が高いぞ!』


『はい!』


若い弟子。


年上の弟子。


子供。


それぞれが汗を流している。


道場の隅では誰かが笑っている。


『師範、休憩にしませんか!』


『まだ早い』


『ええ!?』


そんな。


もう戻ることはないはずだった日々。


――


「……ヤスヒコさん?」


その声で。


ヤスヒコは我に返る。


目の前には。


こちらを不思議そうに見ている若者たち。


「どうしたんですか?」


「……いや」


ヤスヒコは静かに首を振る。


「何でもない」


そして稽古場を見る。


ここは日本ではない。


畳もない。


道着もない。


聞こえてくる言葉も。


あの日とは違う。


それでも。


人に教えるということだけは変わらない。


「続けるぞ」


「はい!」


若者たちが声を上げる。


その声を聞きながら。


ヤスヒコはほんの少しだけ懐かしそうに笑った。


――


一週間後。


夕方。


稽古場には、再び静けさが戻っていた。


「……」


ヤスヒコは中央に立っていた。


この日。


若者たちは。


それぞれ自分たちで依頼へ出ている。


「……」


ティルが。


ヤスヒコを見る。


「キュ」


「どうした」


「キュ?」


「……いや」


聞いても分からない。


ヤスヒコは小さく息を吐いた。


弟子を増やすつもりはない。


道場を大きくするつもりもない。


今でもその気持ちは変わらない。


それでも。


時間がある時。


少し話をする。


少し見てやる。


それだけで。


あの若者たちは。


自分たちなりに考え。


前へ進んでいる。


「……」


ヤスヒコは稽古場を見回した。


以前と変わらない小さな稽古場。


それなのに。


少しだけ違って見えた。


「……教えるのも」


小さく呟く。


「悪くないか」


「キュ!」


ティルが。


嬉しそうに鳴く。


「何でお前が喜ぶんだ」


「キュ!」


「……そうか」


ヤスヒコは少しだけ笑った。


――


夕方。


ヤスヒコとティルは街を歩いていた。


「ヤスヒコさん!」


後ろから声がする。


ヤスヒコが振り返る。


稽古場に来ていた若者の一人。


「何だ」


「いえ」


青年は少し照れたように笑った。


「今日は」


「自分たちだけで稽古してきました!」


「……そうか」


「まだ」


「上手くできませんでしたけど」


「また」


「時間がある時に」


「見てもらってもいいですか!」


「……」


ヤスヒコは少し考えた。


「時間があればな」


「はい!」


青年の顔が明るくなる。


「ありがとうございます!」


青年はそのまま走っていった。


「……」


ヤスヒコはその後ろ姿を見る。


「キュ」


ティルが隣で鳴いた。


「……」


ヤスヒコは再び歩き始める。


ビルたちは王都にいる。


自分の知らない場所で。


自分たちの力を試している。


そして。


この街にも。


前へ進もうとしている者たちがいる。


「……変わっていくな」


「キュ?」


「何でもない」


ヤスヒコは。


少しだけ笑った。


一人だったはずの稽古場。


いつの間にか。


誰かが訪れるようになった。


弟子にするつもりはない。


大きな道場を作るつもりもない。


それでも。


誰かが前へ進もうとするなら。


ほんの少し。


その背中を押すくらいなら。


「……まあ」


ヤスヒコは。


静かな声で呟く。


「それくらいなら、いいだろう」


「キュ!」


夕陽の中。


一人と一匹は。


ゆっくりと歩いていった。


エンターサンドの街は。


今日も穏やかだった。


誰かが働き。


誰かが学び。


誰かが前へ進む。


ヤスヒコは。


その中心に立つつもりなどない。


誰かを導く存在になろうと考えているわけでもない。


それでも。


気づかないうちに。


彼の背中を見て歩き出す者がいる。


変わりゆく日々。


その中で。


ヤスヒコ自身もまた。


少しずつ。


変わっていこうとしていた。

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