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武術師範は異世界でも道を示す  作者: 白玉男爵
第五章 武術師範、変わりゆく日々
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武術師範、小さな異変を知る

朝。


エンターサンドの街。


ヤスヒコはギルドへ向かう前に、ティルをジャスティンの家へ預けていた。


「ティル!」


「キュ!」


一人と一匹の元気な声を背に、ヤスヒコは冒険者ギルドへ向かった。


――


冒険者ギルド。


扉を開けると。


「おはようございます」


聞き慣れた声が聞こえた。


「ああ、おはよう」


ヤスヒコは受付へ向かう。


そこには、いつものようにエミリアがいた。


「今日は依頼を探しに来られたんですか?」


「ああ」


ヤスヒコは依頼板へ目を向けた。


その時。


「……どうした」


「え?」


エミリアが少し驚いた顔をする。


「何か考え事をしていたように見えた」


「……分かりますか?」


「顔に出ていた」


「そうですか」


エミリアは少し苦笑しながら、依頼板の方へ目を向けた。


「最近、少し困ったことが増えているんです」


「困ったこと?」


「大きな問題というほどではありません」


「ただ、以前と比べると明らかに依頼の内容が変わってきているんです」


「……」


ヤスヒコは黙って続きを待った。


「森へ薬草を採りに行った冒険者が、獣に遭遇することが増えました」


「角兎やフォレストウルフだけではなく、以前ならもっと森の奥にいた獣まで、街の近くで見かけるようになっています」


「採取依頼を受ける冒険者も減っています。以前より危険になっていますから」


「それに、周辺の村から護衛依頼も増えています」


エミリアは依頼板を見ながら続けた。


「畑を荒らす獣」


「村の近くまで下りてくる魔獣」


「街道で獣を見かけたという報告もあります」


「……」


ヤスヒコは依頼板を見る。


確かに。


以前よりも護衛依頼が多い。


柵修理依頼で畑の老人が話していたことも思い出した。


最近、畑を荒らす獣が増えた。


森の餌場が少なくなったのか。


以前なら山から下りてこなかった獣まで、街の近くで見かけるようになった。


「原因は分からんのか」


「はい」


エミリアは首を横に振った。


「今のところは」


「ただ、冒険者の皆さんには、森へ入る時は以前より注意するよう伝えています」


「そうか」


ヤスヒコは依頼板へ近づき、一枚の依頼書を手に取った。


「これにする」


エミリアが内容を確認する。


「近隣の村への護衛依頼ですね」


「ああ」


依頼内容は、近くの村へ薬や日用品を運ぶ商人の護衛。


距離はそれほど遠くなく、危険度も高くない。


「ヤスヒコさん一人で大丈夫ですか?」


「問題ない」


「分かりました。それでは、よろしくお願いします」


「ああ」


手続きを終えたヤスヒコは、ギルドを後にした。


――


街の門。


一台の荷車が停まっていた。


荷台には薬や保存食、日用品などが積まれている。


「おお!」


荷車のそばにいた商人が、ヤスヒコへ気づいた。


「今回の護衛を引き受けてくれたのはヤスヒコさんか!」


「ああ、よろしく頼む」


「助かるよ。最近は街道の様子も少し落ち着かなくてな」


「獣が出るのか」


「そうらしい」


商人は荷車を見ながら頷いた。


「俺自身はまだ襲われたことはないが、近くの村へ行く商人の中には、街道で獣を見かけた奴もいる」


「そうか」


「まあ、今回の護衛がヤスヒコさんなら安心だ」


「……そうか」


ヤスヒコはそれ以上何も言わなかった。


商人が御者台へ乗る。


「じゃあ、出発しようか」


「ああ」


荷車がゆっくりと動き始めた。


――


街を離れる。


道の両側には草原が広がり、その先には森が見えていた。


ヤスヒコは荷車の横を歩きながら、周囲へ視線を向けている。


「……」


しばらく進んだところで、ヤスヒコが足を止めた。


「どうした?」


商人が御者台から声をかける。


「……静かだ」


「静か?」


「ああ」


ヤスヒコは森の方を見る。


風が吹き、木々の葉が揺れている。


それ以外には、何も聞こえない。


鳥の鳴き声も。


獣が草を踏む音も。


何もなかった。


「何かいるのか?」


「分からん」


「……」


ヤスヒコは森から目を離さない。


その時。


――ガサッ。


草が揺れた。


「!」


商人が息を呑む。


「荷車から離れるな」


「あ、ああ」


次の瞬間。


森の中から一頭の獣が飛び出してきた。


角兎。


その後ろから、さらに二頭。


「三匹か」


ヤスヒコはゆっくりと前へ出た。


「大丈夫なのか!?」


「ああ」


商人へ短く答える。


普通なら。


この程度の獣が三頭いたとしても、ヤスヒコにとって脅威ではない。


しかし。


「……」


角兎たちは、すぐに襲いかかってこなかった。


こちらを警戒している。


だが。


それだけではない。


耳を動かし。


身体を低くして。


何度も森の奥を振り返っている。


「……怯えている?」


縄張りへ入り込んだ者を追い払おうとしているわけではない。


むしろ。


何かから逃げてきたように見えた。


ヤスヒコは一歩前へ出る。


「……来るなら来い」


角兎たちは動かない。


そして一頭が、再び後ろを振り返った。


森。


その奥に何かがいるのか。


「……」


次の瞬間。


一頭の角兎がヤスヒコへ向かって走り出した。


「!」


だが。


攻撃ではない。


ヤスヒコを避け、そのまま街道を横切ろうとしている。


「……そういうことか」


ヤスヒコは身体を動かした。


足を踏み出し。


角兎の進行方向へわずかに身体を入れる。


――流。


角兎が驚いたように跳んだ。


ヤスヒコはその勢いを受け、力を流す。


角兎の身体が大きく横へ逸れ、そのまま草原へ着地した。


残りの二頭も、一瞬だけヤスヒコを見る。


「行け」


ヤスヒコが短く言う。


角兎たちは迷うことなく、森とは反対の方向へ走り去っていった。


「……」


商人が呆然としていた。


「倒さなかったのか?」


「ああ」


「どうして?」


「襲ってきたわけじゃない」


「……」


「逃げていた」


商人も森を見る。


「何から?」


「分からん」


ヤスヒコも同じ方向へ目を向ける。


森は静かだった。


何も見えない。


何かがいる気配も感じない。


それでも。


妙だった。


街の近くまで下りてくる獣。


畑を荒らす獣。


採取に出た冒険者と遭遇する魔獣。


そして。


今。


森から逃げるように飛び出してきた角兎。


「……何かあるな」


「え?」


商人が聞き返した。


「いや」


ヤスヒコは首を横に振る。


「行くぞ」


「あ、ああ」


荷車が再び動き始めた。


ヤスヒコはしばらく、背後の森を見ていた。


――


村。


依頼は問題なく終わった。


荷車を届け、薬や物資を村の人々へ渡していく。


「助かったよ!」


村人たちが商人へ声をかける。


「最近は、一人で街道を通るのも不安でな」


「獣が増えているって話だし」


「何か起きてるのかねぇ」


「……」


ヤスヒコは、その言葉を聞いていた。


同じような話を。


最近はいろいろな場所で聞く。


少しずつ。


何かが変わっている。


そんな気がした。


――


帰り道。


夕方。


空が少しずつ赤くなっていた。


ヤスヒコは歩きながら、遠くに見える森へ目を向ける。


何もない。


ただ。


いつものように森が広がっている。


しかし。


先ほどの角兎の姿が頭から離れなかった。


あの目。


あの動き。


縄張りを守る獣のものではなかった。


何かから。


逃げていた。


「……」


何から。


その答えは、まだ分からない。


それでも。


「……何かある」


ヤスヒコはもう一度、小さく呟いた。


荷車は。


静かな街道を進んでいく。


――


夕方。


エンターサンドの街へ戻る。


街の門をくぐると、いつもの光景が広がっていた。


商人たちが店を閉め。


子供たちが家へ帰り。


人々がそれぞれの一日を終えようとしている。


穏やかな街。


少なくとも。


今は。


「……」


ヤスヒコは一度だけ振り返った。


街の外。


夕暮れの向こうには森がある。


何も見えない。


何も聞こえない。


ただ。


静かにそこにある。


「……」


ヤスヒコは視線を戻した。


まだ。


何が起きているのか分からない。


理由も。


原因も。


何一つ。


それでも。


胸の奥に残った違和感だけは消えなかった。


――


ジャスティンの家。


扉を叩く。


「はい!」


中から元気な声が聞こえた。


扉が開く。


「ヤスヒコお兄ちゃん!」


「キュ!」


ジャスティンとティルの声が、同時に響いた。


「迎えに来た」


「もう?」


ジャスティンが少しだけ残念そうな顔をする。


「また預かってくれるか」


「うん!」


その返事を聞き、ティルが嬉しそうにヤスヒコの足元へ駆け寄ってきた。


「キュ!」


「帰るぞ」


「キュ!」


ティルは。


何事もなかったかのように元気だった。


ヤスヒコは。


その姿を見て少しだけ笑う。


「……お前は変わらんな」


「キュ?」


「何でもない」


一人と一匹は。


並んで宿へ向かった。


――


夕暮れのエンターサンド。


今日も。


街には穏やかな時間が流れている。


人々は働き。


笑い。


一日の終わりを迎える。


ヤスヒコもまた。


ティルと共にその中を歩いていた。


変わらない日常。


いつもと同じように見える。


それでも。


街の外では。


森の中では。


少しずつ。


何かが変わり始めていた。


まだ誰も知らない。


何が起きているのか。


何が近づいているのか。


ただ。


小さな異変だけが。


確かに。


広がり始めていた。

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