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武術師範は異世界でも道を示す  作者: 白玉男爵
第四章 武術師範、神の力に触れる
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武術師範、歩みを振り返る

ある朝。


エンターサンドの街は、まだ静かだった。


街はずれにある、古びた空き小屋。


いつもの稽古場。


その中に。


ヤスヒコは一人、座っていた。


窓から差し込む朝の光が、床を照らしている。


肩には。


小さなカーバンクルが乗っていた。


「……」


ヤスヒコは、ぼんやりと外を眺めていた。


ふと思う。


この世界へ来て。


もう一年と数か月になる。


「……一年か」


ヤスヒコは小さく呟いた。


長いような。


短いような。


不思議な時間だった。


日本で生きていた頃。


ヤスヒコは八十七歳だった。


長い人生だった。


決して褒められた歩みではなかった。


それでも最期は家族と弟子たちに看取られた。


(俺の人生にしてはいい締めくくりだった……)


そしてある日。


寿命を迎えた。


それだけだった。


死んだ。


そう思った。


だが。


気がつけば自分は見知らぬ洞窟の中にいた。


しかも。


身体はかつての若い頃の姿に戻っていた。


ヤスヒコは苦笑する。


何が起きたのか。


なぜ、こんな場所にいるのか。


何一つ分からなかった。


考える暇もなかった。


突然。


ゴブリンが襲ってきた。


この世界で、初めて命を奪った。


心に引っ掛かりはあったものの。


ヤスヒコにとってはその程度の認識だった。


だが。


実際には。


危険指定されたネームドモンスターだった。


それを知る者がいれば。


到底、ただのゴブリンなどとは思わなかっただろう。


だが。


ヤスヒコ自身は。


そんなことを知らない。


ただ。


襲ってきたから倒した。


そして。


洞窟を出た。


その後。


ヤスヒコは森で暮らした。


人の姿を見かけることもなかった。


食べられるものを探し。


雨を避け。


夜を過ごす。


それだけの日々。


やがて。


森の中で、人の気配を感じた。


木々の向こう。


道がある。


その先へ進んでみると。


そこには大きな街があった。


エンターサンド。


それが。


この世界で、ヤスヒコが最初に出会った街だった。


「身分証を発行するなら、冒険者登録をすればいい」


門番にそう言われ。


言われるまま冒険者ギルドへ向かった。


そこで自分が何者なのかを聞かれた。


魔道具による魔力測定。


結果は魔力なし。


「……」


ヤスヒコは思い出す。


別に気にはならなかった。


魔力がない。


それなら。


持っているものを使えばいい。


それで困ったこともない。


それよりも。


街には困っている人間が多かった。


怪我をした者。


魔物に怯える者。


薬草を必要としている者。


仕事を求めている者。


ならば。


自分にできることをする。


そう思った。


それだけだった。


いつの間にか。


冒険者として依頼を受けるようになっていた。


いつの間にか。


ギルドの受付嬢。


エミリアとも話すようになった。


ギルドマスターのガレスとも。


顔を合わせれば言葉を交わすようになった。


そして。


いつの間にか。


街で顔を知っている者が増えていった。


冒険者。


商人。


宿屋の主人。


街の人々。


気がつけば。


この街には自分を知っている者がいる。


そして。


自分もその者たちを知っている。


「……」


ヤスヒコは窓の外を見る。


最初はただ困っている者を助けるためだった。


だが。


いつからだったのか。


エンターサンドの街そのものを。


守っていきたい。


そう思うようになっていた。


「……不思議なものだ」


誰かに言われたわけではない。


頼まれたわけでもない。


ただ。


ここで生きているうちに。


そう思うようになった。


そして。


弟子。


ビル。


カミリー。


シャーロット。


「……」


最初に出会った時は、まだまだ未熟だった。


魔物を前にすれば慌て、自分たちのことで精一杯。


それでも。


三人とも諦めなかった。


稽古を続ければ。


少しずつ変わっていく。


昨日できなかったことが。


今日にはできるようになる。


一つ覚えれば。


次のことへ挑戦する。


(……成長が早かったな)


ヤスヒコは。


ほんの僅かに笑った。


三人がその言葉を聞いたことはない。


直接、褒めたこともほとんどない。


だが。


内心では。


嬉しかった。


自分が教えたことを三人が吸収していく。


そして。


いつの間にか。


自分たちより後から来た者へ、それを教えるまでになった。


「……」


ヤスヒコは。


少しだけ目を細める。


自分が受け継いできたものが。


自分の知らないところで。


次へ渡っていく。


それは。


悪くなかった。


エンターサンドだけではない。


王都マスティア・パペルツ。


そこでも。


多くの人間と出会った。


宿屋『木漏れ日』。


マールと。


その娘、チコ。


第二騎士団長。


ジェイム。


そして。


飲み仲間だと思っていた男。


ロブ。


(……あれは驚いたな)


実は第四騎士団長だった。


そして。


特級冒険者。


アリア。


(……騒がしい奴だ)


少しだけ口元が緩む。


そしてあの戦い。


ミノタウロス。


その戦いの後。


二級冒険者へ特進した。


「……二級か」


だが。


階級が上がったからといって。


何かが変わったわけではない。


『階級を得るためだけに動くつもりはない』


この考えを変えるつもりもない。


困っている者がいる。


助けられるなら助ける。


それだけだ。


今までと何も変わらない。


エンターサンドへ戻ってから。


聖女マリアと会った。


聖教会の少女。


そこで初めて知った。


神気。


魔力とは違う。


神に連なる力。


そして。


その力は自分自身のものではなかった。


「……使徒、か」


マリアは言っていた。


自分のそばには、ずっと使徒がいる。


自分を見守っている存在。


女性。


おそらく着物を着ている。


「……」


ヤスヒコは。


ゆっくりと胸へ手を当てた。


そこに。


何かがあるわけではない。


ただ。


不思議と。


温かかった。


ずっと昔から。


自分の後ろにいた人。


自分が振り返れば。


いつもそこにいた人。


「……」


ヤスヒコは。


ほんの僅かに笑った。


そして。


ジャスティン。


森で遭難していた五歳の少年。


その少年から。


一匹の小さな命を託された。


カーバンクル。


「……」


ヤスヒコの肩で。


カーバンクルが小さく身体を動かした。


「起きたか」


「キュ……」


小さな声。


ヤスヒコは。


その頭を撫でる。


「……お前も」


「随分と馴染んだな」


カーバンクルは。


ヤスヒコの肩に身体を寄せた。


それでも。


分からないことはある。


なぜ。


自分はこの世界に来たのか。


なぜ。


若返ったのか。


なぜ。


魔力を持たないのか。


なぜ。


神気を宿しているのか。


そして。


なぜ。


フミエの――。


「……」


ヤスヒコは。


そこで思考を止めた。


答えは。


まだ分からない。


だが。


別に今すぐ分からなくてもいい。


この一年と数か月。


振り返ってみれば。


随分と多くのものが増えた。


出会い。


弟子。


仲間。


街。


そして。


今も自分を見守っている存在。


「……」


ヤスヒコは。


静かに息を吐く。


(俺が、なぜこの世界に来たのかは分からん)


(だが……)


窓の外を見る。


朝のエンターサンド。


街が少しずつ動き始めている。


「これも悪くない」


その時だった。


外から。


聞き慣れた声が響いた。


「先生ー!」


ビルの声。


「今日もよろしくお願いします!」


カミリーの声。


「ヤスヒコ、おはよー!」


アリアの声。


そして。


「先生、もう中にいるの?」


シャーロットの声。


「……」


ヤスヒコは立ち上がった。


肩の上で。


カーバンクルが揺れる。


ヤスヒコは扉へ向かう。


外には。


いつもの三人と。


いつもの騒がしい少女が待っている。


「先生!」


「おはようございます!」


「いっちょやりますか!」


「ヤスヒコー!」


四人の声が重なる。


ヤスヒコは。


ほんの少しだけ目を細めた。


そして。


空き小屋の中を見回す。


「……まずは」


床。


壁。


隅に積まれた道具。


「掃除からだ」


「えー!」


アリアが声を上げる。


「また掃除!?」


「稽古場だ」


「汚れていれば稽古にならん」


「でも昨日掃除したよ?」


「その後に使っただろう」


「……」


アリアが黙る。


ビルたちは苦笑する。


カミリーが箒を手に取った。


「じゃあ、はじめましょう」


シャーロットが続く。


「あ、私も」


ビルも道具を手に取った。


「よし」


四人が動き始める。


カーバンクルは。


ヤスヒコの肩に乗ったままその様子を眺めていた。


朝の光が。


空き小屋の中へ差し込む。


一年以上前。


この世界で目を覚ました時。


ヤスヒコには何もなかった。


知っている人間も。


帰る場所も。


生きる理由も。


何も。


だが。


今は違う。


「アリアさん、そこお願いします!」


「はーい」


「シャーロット、こっち!」


「分かった!」


「ビル、そこ掃いて!」


「おう!」


騒がしい声。


笑い声。


そしていつもの朝。


ヤスヒコは。


そんな日常の中へ。


静かに歩み出した。


この世界へ来た理由はまだ分からない。


それでも。


今はこの歩みを。


心地よく思い始めていた。

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