↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
武術師範は異世界でも道を示す  作者: 白玉男爵
第四章 武術師範、神の力に触れる
PR
50/59

武術師範、豊穣祭を歩く

秋。


エンターサンドの街には、いつもとは違う賑わいが広がっていた。


収穫の季節。


この街では毎年、秋になると豊穣祭が行われる。


街の広場には色とりどりの飾りが吊るされ、通りには数多くの屋台が並んでいた。


焼いた肉の香り。


甘い菓子の匂い。


果物を使った飲み物。


通りのあちこちから、楽しそうな笑い声が聞こえてくる。


子供たちが走り回り、大人たちも普段より少しだけ浮かれていた。


そんな街の中を。


依頼帰りのヤスヒコは一人で歩いていた。


肩には。


小さなカーバンクルが乗っている。


「……」


ヤスヒコは周囲を見回す。


人が多い。


屋台も多い。


いつもより騒がしい。


そして。


どうにも落ち着かない。


「……帰るか」


そう呟いた時だった。


「先生!」


後ろから声がした。


振り返る。


ビル。


カミリー。


シャーロット。


そして。


アリア。


四人がこちらへ駆けてくる。


「やっぱりここにいた!」


アリアが嬉しそうに言う。


「祭りだよ!」


「分かっている」


「じゃあ行こう!」


「俺は別に――」


ヤスヒコが言いかける。


その腕を。


アリアが掴んだ。


「行こう!」


「……」


ビルたちも笑っている。


「今日はもう依頼もないですし」


「先生、一緒に回りましょうよ」


「せっかくの豊穣祭なんですから」


シャーロットも言う。


「去年は参加できなかったんでしょ?」


「……ああ」


前年。


依頼が重なっていた。


祭りに参加する余裕などなかった。


今年は違う。


依頼ももうない。


時間もある。


それでも。


ヤスヒコには、祭りへ行くという発想そのものがなかった。


「……」


四人が見ている。


「……分かった」


「やった!」


アリアが笑った。


「じゃあ、最初はあっち!」


「待て」


「早く!」


アリアに引っ張られるように。


ヤスヒコも歩き始めた。



「これ、美味しい!」


屋台で買った焼き肉を、アリアが頬張っている。


「ヤスヒコも食べる?」


「俺はいい」


「美味しいよ?」


「そうか」


「じゃあ私が食べちゃうね!」


「……」


アリアは嬉しそうに食べ続ける。


ビルたちも、それぞれ屋台を回っていた。


「これ、去年より美味しいな」


カミリーが串焼きを食べながら言う。


「こっちの菓子も美味しいわよ」


シャーロットが皿を持っている。


「先生もどう?」


「……甘いものはあまり食わん」


「一口だけ!」


「……」


シャーロットが差し出す。


ヤスヒコは少し考えて。


一口だけ食べた。


「どう?」


「……普通だ」


「絶対美味しいと思ったでしょ」


「思っていない」


「嘘」


三人が笑う。


ヤスヒコは何も言わなかった。


肩のカーバンクルが。


「キュッ」


と鳴く。


「お前も欲しいのか?」


ヤスヒコが肩へ顔を向ける。


カーバンクルが、屋台の方を見ている。


「……」


ヤスヒコは少し考えた。


「食べられるものなのか?」


「カーバンクルって何食べるんだろう?」


ビルが首を傾げる。


「魔物のことなんて分からないわよ」


シャーロットも困った顔をする。


アリアが屋台の店主へ聞いてみる。


「これ、魔物でも食べられる?」


「ん?」


店主がカーバンクルを見る。


「おお……珍しいな」


「カーバンクルか」


「食べられるものなら、少しくらいなら大丈夫だろ」


そう言って、小さな果物を渡してくれた。


ヤスヒコがカーバンクルの前へ差し出す。


「ほら」


カーバンクルが鼻を近づける。


そして。


「キュッ」


小さな口で果物を齧った。


「食べた!」


アリアが嬉しそうに声を上げる。


ビルたちも笑った。


ヤスヒコは。


そんな四人と一匹を見ていた。


「……」


不思議なものだった。


自分は。


こういう場所とは無縁だと思っていた。


祭りを楽しむ。


誰かと食事をする。


笑いながら歩く。


そんな時間が。


自分にもある。


「先生?」


ビルが声を掛ける。


「どうしました?」


「いや」


ヤスヒコは首を振る。


「何でもない」


そして。


また歩き始めた。



祭りが始まってから、しばらく。


街の一角で。


白い衣装を身につけた一団が歩いていた。


聖教会の者たちだった。


「怪我をした方はいませんか?」


「気分が悪くなった方はこちらへ」


祭りでの事故や怪我人が出ていないか。


彼らは街を巡回していた。


その中に。


見覚えのある姿があった。


「……」


ヤスヒコが足を止める。


向こうも。


こちらに気づいた。


「あ……」


少女が目を見開く。


そして。


柔らかく微笑んだ。


「ヤスヒコさん」


「……マリアか」


マリアだった。


以前、出会った聖教会の少女。


「こんにちは」


「ああ」


「お元気そうですね」


「お前もな」


マリアはヤスヒコの肩を見る。


そこには。


小さなカーバンクル。


「まあ……」


マリアが目を丸くする。


「その子は……?」


「カーバンクルだ」


「そうでしたか」


マリアが少し近づく。


カーバンクルは逃げない。


むしろ。


ヤスヒコの肩からマリアを見つめている。


「……」


マリアの表情が。


僅かに変わった。


「どうした?」


ヤスヒコが尋ねる。


「いえ……」


マリアはカーバンクルを見つめている。


そして。


感じた。


微かなもの。


神気の残滓。


ほんの僅かな。


温かい気配。


「……神気」


小さく呟く。


「何か言ったか?」


「いいえ」


マリアは首を振る。


そして。


カーバンクルへ手を伸ばした。


「触ってもよろしいですか?」


「ああ」


マリアの指が。


カーバンクルの頭に触れる。


「キュ……」


カーバンクルは嫌がらなかった。


むしろ。


目を細める。


マリアは微笑んだ。


「優しい子ですね」


「そうか?」


「はい」


その言葉の裏に。


マリアだけが知るものがあった。


この子に残っている神気。


そして。


その神気を宿しているヤスヒコ。


以前、マリアが感じたものと同じだった。


ヤスヒコ自身が望んだわけではない。


それでも。


彼のそばには。


今も使徒がいる。


姿は見えないが。


ずっと彼を見守っている。


マリアは。


そのことを確信していた。


そして。


カーバンクルから感じる温かな気配に。


胸の奥が、静かに温まっていく。


――使徒様。


心の中で。


そう呼びかける。


この人のそばに。


今もあなたはいるのですね。


マリアは微笑んだ。


「どうかしましたか?」


ヤスヒコが尋ねる。


「……いいえ」


「ただ」


マリアはカーバンクルを撫でながら言う。


「とても可愛らしい子だと思いまして」


「そうか」


ヤスヒコはそれ以上聞かなかった。



「ところで」


マリアが顔を上げる。


「私たちは明日、この街を発つ予定なんです」


「そうか」


「次の街へ向かうことになっています」


「大変だな」


「慣れました」


マリアは笑った。


「聖教会の仕事ですから」


「これからも各地を回るのか?」


「はい」


「あと二ヶ月は回る予定です。」


「そうか」


ヤスヒコは頷いた。


「ヤスヒコさんは」


「冒険者を続けるんですね」


「ああ」


「それなら……」


マリアは少し嬉しそうに笑う。


「また、どこかでお会いできるかもしれませんね」


「そうだな」


少しの沈黙。


祭りの喧騒が二人の間を流れていく。


そして。


マリアが頭を下げた。


「もし気が向きましたら」


「聖教会にも、ぜひいらしてください」


「……分かった」


「またお会いしましょう」


「ああ」


マリアは笑った。


「お元気で」


「お前たちもな」


マリアは聖教会の一団へ戻っていく。


その途中。


一度だけ振り返った。


ヤスヒコの肩。


そこには。


カーバンクルがいる。


そして。


そのすぐそばに。


見えない誰かがいるような気がした。


マリアは小さく微笑んだ。


そして。


今度こそ歩き去っていった。



「ヤスヒコ!」


声がする。


「次、あっち行こう!」


アリアだった。


ヤスヒコが振り返る。


「……分かった」


「早く!」


「待て」


アリアが先に走っていく。


ビルたちも続く。


「先生、置いていかれますよ!」


「走らんでもいいだろう」


「祭りですよ!」


カミリーが笑う。


ヤスヒコは。


少しだけ呆れた顔をしながら。


その後を歩いた。


肩には。


カーバンクル。


人の波。


屋台の明かり。


笑い声。


秋の夜。


しばらく歩いたところで。


ヤスヒコは空を見上げた。


星が見える。


その向こうに。


ふと。


一人の女性の姿が浮かんだ。


穏やかに笑う人。


自分が振り返れば。


いつもそこにいた人。


「……」


以前なら。


その名を思い出せば。


胸の奥に痛みがあった。


失った悲しみ。


取り戻せない時間。


もう二度と会えないという現実。


だが。


今は違った。


寂しさはある。


それでも。


その記憶は。


自分を苦しめるだけのものではない。


むしろ。


今の自分を。


静かに支えている。


「先生?」


ビルが振り返る。


「どうかしましたか?」


「いや」


ヤスヒコは空から視線を戻す。


「何でもない」


そして。


歩き出す。


肩の上で。


カーバンクルが身体を寄せる。


「キュ……」


「……眠いのか」


小さな頭を。


ヤスヒコが撫でる。


カーバンクルは目を細めた。


前を歩いていたアリアが振り返る。


「ヤスヒコー!」


「早く!」


「ああ」


ヤスヒコは歩みを速める。


ビルたちも笑っている。


祭りの明かりが。


夜のエンターサンドを照らしていた。


秋の豊穣祭。


その夜。


特別な出来事が起きたわけではない。


誰かが傷ついたわけでも。


強敵が現れたわけでもない。


ただ。


仲間と食事をして。


笑って。


知り合いと再会して。


そして。


大切な人を思い出した。


それだけの夜だった。


けれど。


ヤスヒコにとっては。


そんな何気ない時間こそが。


いつの間にか。


大切なものになっていた。


肩には。


小さな命。


前には。


共に歩く仲間たち。


そして。


見えない場所には。


今も。


自分を見守ってくれている存在がいる。


ヤスヒコは。


ほんの僅かに笑った。


「……悪くないな」


「何が?」


アリアが聞く。


「何でもない」


ヤスヒコは答える。


そして。


祭りの明かりの中を。


皆と一緒に歩いていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。