武術師範、冒険者になる
エンターサンドの街。
ヤスヒコは、人の流れの中を歩いていた。
露店から聞こえる呼び声。
馬車が行き交う音。
見知らぬ言葉。
見知らぬ服。
見知らぬ種族。
すべてが、彼の知る世界には存在しなかったものだった。
しかし、ヤスヒコは足を止めることなく歩く。
驚きはある。
疑問もある。
だが、恐れはなかった。
知らないならば、知ればいい。
それだけのことだった。
門番の兵士に教えられた建物。
大きな看板が掲げられている。
《冒険者ギルド》
ヤスヒコは、その文字を見る。
読める。
一瞬だけ、目を細めた。
「……」
おかしい。
この世界の文字など、見たことすらない。
それなのに意味が分かる。
ふと考えてみれば街の人間と会話もできている。
まるで、最初からこの世界の言葉を知っていたかのように。
「誰かの力なのか……」
小さく呟く。
だが、今は答えを探す時ではない。
生きるために必要なことをする。
ヤスヒコは扉を開いた。
ギルド内部は賑わっていた。
依頼書を見る冒険者。
武器を整備する者。
酒を飲み笑う者。
荒々しい空気。
だが、不思議と嫌な感じはしなかった。
昔、道場に集まった者たちの空気に少し似ている。
強さを求める者たち。
己を磨こうとする者たち。
形は違えど、本質は変わらない。
受付へ向かう。
「いらっしゃいませ」
受付嬢が笑顔で迎える。
「冒険者登録をご希望ですか?」
「ああ」
ヤスヒコは頷いた。
手続きを進める受付嬢。
その視線が、ヤスヒコの服装で止まる。
「失礼ですが……」
「その服は?」
ヤスヒコは袴を見る。
「珍しいか」
「はい。この辺りでは見かけないものなので」
ヤスヒコは少しだけ目を伏せる。
「長く身につけてきたものだ」
「大切なものなんですね」
「ああ」
短く答える。
それ以上、説明はしなかった。
受付嬢は紙を差し出す。
「こちらに必要事項をお願いします」
ヤスヒコは紙を見る。
やはり知らない文字。
だが読める、そして書ける。
手は迷わず動いた。
「……」
ヤスヒコは筆を置く。
やはり不思議だった。
この世界に来てから、理解できないことばかりだ。
しかし、今の自分に必要なのは、答えではない。
生きる場所を作ることだ。
「何か気になることでも?」
受付嬢が尋ねる。
「いや」
「少し不思議に思っただけだ」
「知らない文字が読める」
「この街の者と話もできる」
「理由は分からん」
受付嬢は驚いた顔をする。
「異国の方なのですね」
「ああ」
ヤスヒコは答える。
「そういうことになる」
受付嬢はそれ以上聞かなかった。
説明できないことを無理に聞く必要はない。
その距離感を、ヤスヒコは少し心地よく感じた。
「では、魔力測定を行います」
受付嬢が小さな水晶を取り出す。
「これは?」
「魔法具です」
ヤスヒコは兵士から初めて聞いた言葉を思い出す。
「これが魔法具……」
「魔法を扱うための道具です」
魔法。
この世界には、自分の知らない力がある。
ただ、それだけである。
水晶へ手を置く。
淡い光が――
出ない。
受付嬢が確認する。
もう一度。
結果は変わらない。
「……魔力反応がありません」
周囲がざわつく。
「魔力なし?」
「初めて見たぜそんな奴」
「そんな事ありえるのか?」
ヤスヒコは静かに水晶を見る。
「俺には魔力とやらがないということか」
「はい…」
「そうか」
ヤスヒコは頷く。
「ならば、あるものを使えばいい」
受付嬢は目を瞬く。
「気にされないのですか?」
「何をだ?」
「その…魔力がないことを……」
ヤスヒコは少し考える。
「ないものを悔やんでも、変わらん」
「己にあるものを磨くさ」
受付嬢は、その言葉を静かに聞いていた。
――時を同じくして。
森の奥地の洞窟。
一人の男が、暗い洞窟の中に立っていた。
ジェイム・ヘルフィード。
メタリア王国第二騎士団団長。
数多くの魔物討伐と戦場を経験してきた男。
彼の前には一体のゴブリンの亡骸があった。
通称『黒牙のグロム』
危険指定個体。
多くの商人や冒険者を葬ってきたネームドモンスター。
騎士団が討伐へ赴いた目的だった存在。
そこにグロムはいた。
朽ちた姿で。
ジェイムは静かに近づく。
「……」
剣による傷はない。
槍による傷もない。
魔法の痕跡もない。
ただ胸部から背中へ抜けるほどの、一撃の跡。
「……拳か」
部下達が息を呑む。
「団長……」
「そんなことが……」
ジェイムは傷跡を見る。
長く剣を握ってきたから分かる。
これは力任せの攻撃ではない。
相手の身体を理解し、最小の動きで最大の結果を出す。
極限まで磨かれた技。
「周囲を調べろ」
「「はっ!」」
しばらくして、部下の一人が戻る。
「足跡がありました」
「数は?」
「……一人です」
沈黙。
ジェイムは目を閉じる。
黒牙のグロムを一人で。
それも拳だけで倒した者がいる。
「報告書を作る」
ジェイムは言った。
「黒牙のグロムは討伐された」
「だが――」
洞窟の出口を見る。
「討伐者は不明だ」
―――――――――――――――――――――――――
騎士団が洞窟を後にした頃。
エンターサンド。
冒険者ギルドでは一人の男が登録を終えていた。
魔力を持たない奇妙な服を着た男。
臼井ヤスヒコ。
まだ誰も知らない。
その拳が、王国を揺るがす出来事を起こしたことを。
よーし、お父さん今日は六話まで投稿しちゃうぞー。




