武術師範、街に入る
森を抜けてから、さらに歩いた。
陽が傾き始めた頃。
ヤスヒコは足を止める。
遠くに、それは見えた。
巨大な壁。
大地に根を張るように築かれた、鋼で補強された城壁。
その中心には、大きな門がある。
「……街か」
久しく見ていなかった光景だった。
前世では当たり前だった。
人の声。
馬車の音。
誰かが生きている気配。
だが今のヤスヒコにとって、それは新鮮なものだった。
森の中で一人、生きることだけを考えていた数日間。
その静けさとは違う。
人が集まり、支え合い、争いながらも暮らしている場所。
ヤスヒコはゆっくりと門へ向かった。
――――――――――――――――――――――――
門の前。
二人の兵士が槍を交差させる。
「止まれ」
低い声。
ヤスヒコは素直に足を止めた。
「ここはメタリア王国、エンターサンドの街門だ」
「入街には身分証、または所属を示すものが必要になる」
ヤスヒコは黙る。
身分証。
初めて聞く言葉だった。
「……持っていない」
兵士の目が鋭くなる。
「名前は」
「臼井ヤスヒコ」
「この辺りでは聞かない名だが、出身は?」
「……遠い場所だ」
兵士の眉が動く。
「どこの国だ」
ヤスヒコは少し考える。
「……説明が難しい」
沈黙。
兵士は警戒する。
だが、ヤスヒコの表情にはふざけた様子も、敵意もない。
気を取り直し、兵士は続ける。
「武器は?」
「ない」
「魔法具は?」
「……それは何だ?」
兵士の動きが止まった。
「魔法具を知らないのか?」
「ああ」
ヤスヒコは頷く。
兵士は困惑した。
あり得ない。
この世界で生まれた者なら、幼い頃から魔法という言葉を聞いて育つ。
火を灯す道具。
水を生み出す道具。
遠くへ声を届ける道具。
魔法は特別なものではない。
生活の一部だ。
「……失礼だが」
兵士は慎重に尋ねる。
「本当に知らないのか?」
「初めて聞いた」
ヤスヒコは答えた。
兵士は目の前の男を見る。
奇妙な服。
武器を持たない姿。
そして、魔法を知らないという言葉。
まるで、この世界そのものを知らないようだった。
「魔法具というのは」
兵士は説明を始めた。
「魔力を込めた道具だ」
「魔力……」
ヤスヒコは静かに繰り返す。
また知らない言葉。
しかし。
未知であることに恐れはなかった。
知らぬものは、学べばいい。
それが武を極める者の姿勢だった。
「つまり、人の力を道具に宿したものか」
「……そうだ」
兵士は少し驚く。
理解が早い。
「怖くはないのか?」
兵士が聞く。
ヤスヒコは静かに答えた。
「拳も剣も、扱う者次第だ」
「力そのものに善悪はない」
「それをどう扱うかは、使う者が決めることだ」
兵士は黙った。
その言葉には、長い年月を生きた者だけが持つ重みがあった。
――しばらくして。
「もう一つ」
兵士が続ける。
「冒険者ギルドへ行くといい」
「……冒険者ギルド?」
ヤスヒコは聞き返す。
兵士は思わず苦笑した。
「それも知らないのか」
「ああ」
「本当にどこから来たんだ……」
兵士は説明する。
「冒険者ギルドは、依頼を仲介する組織だ」
「魔物討伐」
「護衛」
「薬草の採取」
「遺跡探索」
「人々が困っている仕事を引き受ける者たちが集まる場所だ」
ヤスヒコは静かに考える。
魔物と戦う者。
人を守る者。
この世界にも誰かを助けるために動く者たちがいる。
「……なるほど」
ヤスヒコは頷く。
「この世界には、この世界なりの守り方があるのだな」
兵士はしばらくヤスヒコを見る。
そして、槍を戻した。
「一時入街許可を出す」
「ただし、問題を起こすな」
「必ず冒険者ギルドか役所で身元確認を受けてくれ」
ヤスヒコは深く頭を下げる。
「助かる」
兵士は少し驚いた。
「疑われているのに、怒らないのか?」
ヤスヒコは顔を上げる。
「お前たちは、この街を守るために立っている」
「ならば、警戒するのは当然だ」
兵士はしばらく黙り。
小さく笑った。
「……変わった奴だな」
門をくぐる。
その瞬間。
多くの視線がヤスヒコへ向いた。
理由はすぐに分かった。
―服装。
この世界では、誰も見たことのない衣服。
「何だ、あの服」
「貴族か?」
「いや……見たことがない」
「武器も持っていないぞ」
ざわめきが広がる。
しかし、ヤスヒコは気にしなかった。
この袴は。
神楽守道流と共に歩んだ証。
師から受け継いだ道。
愛する人と過ごした時間。
そのすべてが詰まっている。
ヤスヒコは静かに街を見る。
鋼の国、メタリア。
辺境都市、エンターサンド。
知らない世界。
知らない文化。
知らない人々。
それでも。
ここには、生きている者たちがいる。
ヤスヒコは歩き出す。
己が何を成すべきかを探すために。
この爺さん環境適応力高杉内




