聖女、武術師範と邂逅する
ある日の夕方。
エンターサンド冒険者ギルド。
扉が開き、ヤスヒコが入ってくる。
手には、薬草の入った籠。
いつもと変わらない。
「お帰りなさい、ヤスヒコさん」
受付のエミリアが笑顔で迎える。
ヤスヒコは相槌を打ち籠を受付へ置いた。
「今回も薬草ですね」
「ああ」
エミリアが一つずつ確認していく。
「状態も良好です」
「ありがとうございます」
「こちら、報酬になります」
ヤスヒコは受け取った袋を懐へしまう。
それで用事は終わった。
帰ろうとする。
その時。
「あ、そういえば」
エミリアが顔を上げた。
「今、聖教会の方々が街を回っているみたいですよ」
ヤスヒコが足を止める。
「聖教会?」
「はい」
「巡礼団の方々ですね」
エミリアは書類を整理しながら続ける。
「病気の方や怪我をされた方を集会所に集めて、治療をしているそうです」
「ほう」
「かなり評判になっていますよ」
「ああ」
「聖女様もいらっしゃるのではないか、という噂もあります」
「そうか」
エミリアは苦笑した。
「……興味、ありませんか?」
「特にないな」
即答だった。
「そうですか」
ヤスヒコはそのままギルドを出ていく。
エミリアはその背中を見送る。
「本当に、変わらないですね」
小さく笑った。
⸻
ヤスヒコがギルドを後にした同じ頃。
街の集会所には、多くの人々が集まっていた。
椅子に座る老人。
腕を怪我した職人。
熱を出した子供。
長く病に苦しんでいる者。
その中央に、一人の少女が立っている。
白い法衣。
胸元には聖教会の紋章。
その周囲には、侍女や神官たちが控えていた。
少女は静かに目を閉じる。
そして。
両手を組んだ。
「……神よ」
静かな声。
「ここに集いし者たちへ、癒しをお与えください」
集会所の空気が変わる。
淡い光が少女を中心に広がっていく。
それは強い光ではない。
むしろ、穏やかな温かさだった。
老人の顔から苦痛が薄れていく。
職人の腕に残っていた痛みが消えていく。
子供の荒かった呼吸が、少しずつ落ち着いていく。
病に苦しんでいた者たちの顔色も、ゆっくりと戻っていった。
やがて。
少女が目を開く。
「……これで、大丈夫です」
人々が顔を上げる。
「ありがとうございます……!」
「聖女様……!」
「本当に、ありがとうございます!」
少女は微笑んだ。
「お大事になさってください」
祈りを終えた人々は、次々に少女の前へ進み出る。
そして。
それぞれが持ってきたものを差し出していく。
銅貨を数枚。
銀貨を一枚。
中には、ほんの少しの食料を差し出す者もいた。
少女は一人一人から、それを受け取る。
「ありがとうございます」
「どうか、無理をなさらないでくださいね」
「はい……!」
「ありがとうございます、聖女様」
少女は最後まで笑顔を絶やさなかった。
⸻
集会所を出る。
待っていた馬車へ乗り込むと、少女は窓の外を眺めた。
侍女が隣へ座る。
「お疲れ様でした」
「ありがとうございます」
少女は穏やかに微笑む。
だが。
ふと、遠い昔のことを思い出した。
まだ自分が幼かった頃。
祈りの力を授かり始めたばかりの頃だった。
「どうして、お金をいただくんですか?」
少女が尋ねたことがある。
「私は、病気や怪我を治せるのでしょう?」
「だったら……」
「無料で治してあげれば、もっとたくさんの人を助けられるのではありませんか?」
その時。
傍にいた侍女は、少し困ったような顔をしていた。
そして。
一人の高位神官が答えた。
「確かに、今すぐ目の前にいる者だけを考えれば、それが最善かもしれません」
「ですが、それを当たり前にしてしまえば……」
「人は、今より危険な仕事へ向かうようになるかもしれません」
「怪我をしても治してもらえる」
「病気になっても治してもらえる」
「そう考えてしまえば、自分の身を守ることを軽んじる者が出るでしょう」
幼い少女は黙って聞いていた。
さらに。
「それだけではありません」
「薬師や治療師の仕事も減ってしまいます」
「人々が自分で薬を買い、身体を治すという仕組みそのものが崩れてしまう」
少女は、すぐには理解できなかった。
けれど。
何度も教えられるうちに、少しずつ考えるようになった。
助けること。
それは、何もかもを与えることではない。
人が自分の力で生きていくために必要なものを残すこともまた、救いなのだ。
だから。
今の少女は、決して高額な金銭を求めない。
その人が払えるだけ。
払えないなら、それでもいい。
無理をしてまで捧げる必要はない。
それでも。
「ありがとうございます」
そう言って、受け取る。
それが今の彼女の考えだった。
「次の集会所までは、あとどのくらいでしょうか?」
少女が尋ねる。
侍女が答える。
「三十分ほどかと」
「そうですか」
少女は再び窓の外を見る。
エンターサンドの街並みが流れていく。
穏やかな午後。
その時だった。
「……!」
少女の表情が変わった。
「どうされました?」
侍女が気付く。
少女は答えない。
ただ。
じっと一点を見つめている。
「……何か……」
胸の奥が震えていた。
神殿で長く祈り続けてきた。
多くの聖職者と出会ってきた。
多くの人々へ祈りを捧げてきた。
その中で感じてきた神気。
それとは、明らかに違う。
もっと強い。
もっと深い。
そして。
どこか温かい。
「……止めてください」
「え?」
「馬車を止めてください」
「聖女様?」
少女は立ち上がる。
「早く!」
侍女が慌てて御者へ声を掛ける。
「お待ちください!」
馬車が完全に止まる前に。
少女は扉を開けた。
「聖女様!」
制止する声を背中に受けながら、少女は飛び降りた。
そして。
走り出す。
「聖女様!」
侍女が追いかけようとする。
だが。
少女は止まらない。
感じる。
確かに感じる。
この先に。
あの神気がある。
⸻
街の一角。
ヤスヒコは、一人で歩いていた。
薬草の採取を終えた帰り道。
その背中には依頼で使った空の籠が揺れている。
「……」
夕方の風が、頬を撫でる。
いつもの帰り道。
その時。
「……はぁ……!」
遠くから、誰かが走ってくる。
ヤスヒコが足を止める。
白い法衣。
少女。
息を切らしながら、こちらへ向かってくる。
「……?」
ヤスヒコは首を傾げた。
少女が立ち止まる。
そして。
ヤスヒコを見る。
「……」
少女の目が、大きく見開かれた。
全身が震える。
今まで感じたことのないほど強い神気。
それが。
目の前の男から感じられる。
なのに。
その男には、魔力がない。
それどころか。
何の力も誇示していない。
ただ。
そこに立っているだけ。
「……あ……」
少女の目から、涙がこぼれた。
一粒。
頬を伝う。
「……どうして……」
声にならない。
もう一粒。
涙が落ちる。
ヤスヒコは困惑した。
「……どうした?」
少女は答えられない。
ただ。
一歩。
ヤスヒコへ近づく。
そして。
もう一歩。
その瞳に映るのは、恐怖ではない。
畏れでもない。
ただ。
深い感動。
そして。
言葉では説明できないほどの、懐かしさだった。
少女はゆっくりと膝をついた。
両手を顔の前で組む。
祈るように。
涙を流しながら。
目の前の男を見上げる。
ヤスヒコは、ただ立ち尽くしていた。
「……?」
なぜ。
この少女は、自分に祈っているのか。
その答えを。
ヤスヒコは、まだ知らなかった。




