商会令嬢、再び
王都からエンターサンドへ戻ってきて、数日。
ヤスヒコ達にも、少しずつ以前の日常が戻り始めていた。
そんなある日の朝。
エンターサンド南門。
一台の馬車が、ゆっくりと門をくぐった。
馬車の側面には、商会の紋章が刻まれている。
その後ろには、一人の女性が馬に乗って続いていた。
馬車が止まる。
扉が開いた。
「着きましたね」
栗色の髪を揺らしながら、エイブリル・ラブが降りてくる。
続いて、護衛兼侍女のアンジーも馬から降りた。
アンジーは周囲を見回す。
「ここがエンターサンドですか」
「ええ」
エイブリルは街を見渡す。
表向きは商会の視察。
実際、ラブ商会の支店拡大候補地として、エンターサンドが候補に挙がっている。
だが。
「……」
エイブリルの視線は、商店街ではなく。
街の奥へ向いていた。
アンジーがそれに気付く。
「お嬢様」
「何かしら?」
「視察でしたら、まず商業区へ向かわれるのでは?」
「……そうだったわね」
エイブリルは慌てて視線を戻す。
「もちろん、そのつもりよ!」
アンジーは何も言わない。
ただ、静かにため息を吐いた。
(分かりやすい……)
今回のエンターサンド行きについて、エイブリルは父親にこう説明していた。
――エンターサンドの商業規模を確認し、支店拡大の可能性を調査したい。
父親はしばらく娘を見つめ。
『そうか』
とだけ答えた。
そして。
『ならばアンジーを連れていきなさい』
それだけだった。
エイブリルは、それ以上何も言われなかった。
だが。
出発する直前。
父親が小さく笑っていたことだけは覚えている。
(お父様も、応援してくださっているのね)
エイブリルはそう解釈していた。
アンジーは、その横顔を見ていた。
(……違いますよ、お嬢様)
(お父上も全部分かっています)
⸻
エンターサンド冒険者ギルド。
「いらっしゃいませ」
受付にいたエミリアが顔を上げる。
「本日はどのようなご用件でしょうか?」
エイブリルは丁寧に頭を下げた。
「ラブ商会のエイブリルです」
「街の視察で、このエンターサンドへ参りました」
「それに伴い、周辺地域の案内と護衛をお願いしたいのですが」
「指名依頼ですね」
「はい」
エミリアが依頼書を確認する。
「指名される冒険者はお決まりですか?」
「ええ」
エイブリルは迷いなく答えた。
「カミリーさんたちにお願いしたいです」
エミリアの表情が少しだけ緩む。
「承知しました」
「それでは確認を取りますね」
⸻
しばらくして。
ギルドの奥から、三人がやってきた。
「指名依頼?」
ビルが首を傾げる。
「俺たちにですか?」
エミリアが頷く。
「はい」
「ラブ商会のエイブリル様からです」
「……」
カミリーが固まった。
「エイブリルさん?」
その声を聞いたエイブリルの表情が、一瞬で明るくなる。
「はい!」
「お久しぶりです、カミリーさん!」
「どうしてここに……」
「商会の視察です」
「そうなんですか」
「はい!」
エイブリルは嬉しそうに頷く。
その横で、ビルとシャーロットが顔を見合わせる。
そして。
二人とも、何も言わずに笑った。
「……何だ?」
カミリーが尋ねる。
「いや」
「何でもない」
「そう?」
「うん」
シャーロットだけは、エイブリルの顔を見ていた。
(絶対、お兄ちゃんに会いに来たでしょ)
⸻
街の視察が始まった。
エイブリルは商店街を歩きながら、店の規模や客層、街道からの物流について質問していく。
最初こそ、確かに商会の視察だった。
しかし。
「カミリーさん」
「はい?」
「この街で好きな場所はありますか?」
「え?」
「よく行くお店とか」
「そうですね……」
「好きな食べ物は?」
「……」
「槍の手入れはどのくらいの頻度で?」
「……」
「普段はどんな鍛錬を?」
カミリーの顔が少しずつ引きつっていく。
ビルが小声でシャーロットへ話しかける。
「これ、視察だよな?」
「一応は」
「一応?」
「八割くらい違うと思う」
「……だよな」
カミリーは困ったように笑っている。
しかし、エイブリルを邪険にすることもできない。
護衛対象の依頼主でもある。
「カミリーさんは――」
「エイブリルさん」
「はい?」
「その……」
「はい」
「少し、質問が多いような……」
「す、すみません!」
エイブリルの顔が真っ赤になる。
「つい……」
「つい?」
「……いえ、何でもありません」
アンジーは後ろで静かに目を閉じた。
(お嬢様)
(完全にバレていますよ)
⸻
昼を過ぎる。
街道の視察へ移る。
しばらく歩いたところで、草むらが揺れた。
カミリーが槍を構える。
「止まってください」
ビルとシャーロットも即座に反応する。
「何かいる?」
「おそらく魔物だ」
次の瞬間。
角兎が飛び出した。
「ビル!」
「任せろ!」
ビルが前へ出る。
角兎が跳ねる。
木剣が一閃。
角兎が地面へ転がった。
「一匹だけ?」
シャーロットが周囲を確認する。
「……いや」
カミリーが視線を動かす。
「右」
草むらから、今度はスライムが現れた。
「シャーロット」
「分かった!」
カミリーが周囲を見ながら指示を出す。
「ビル、左から回れ」
「了解!」
「シャーロットは距離を取って」
「オーケー!」
三人が動く。
スライムがビルへ向かう。
その動きをシャーロットが魔法で牽制。
ビルが横から叩き。
最後にカミリーの槍が突き抜けた。
魔物の息が絶える。
「終わりました」
カミリーが槍を下ろした。
「お見事でした」
アンジーが感心したように言う。
エイブリルも目を輝かせている。
「すごい……」
「カミリーさん」
「はい?」
「やっぱり素敵です!」
「……」
カミリーが固まる。
ビルが無言で空を見上げた。
シャーロットは額を押さえる。
(もう隠す気ないじゃん……)
エイブリル本人だけが気付いていなかった。
⸻
夕方。
ギルドへ戻る。
エミリアが依頼完了の処理をする。
「本日の護衛、お疲れ様でした」
「ありがとうございました」
エイブリルが頭を下げる。
「視察はいかがでしたか?」
「とても有意義でした」
エイブリルは笑顔で答える。
そして。
「それで、エミリアさん」
「はい?」
「今回の視察ですが」
「一週間ほど滞在する予定なんです」
「そうなんですね」
「その間、できれば……」
エイブリルがカミリーたちを見る。
「引き続き、皆さんに護衛をお願いしたいのですが」
「一週間?」
ビルが目を丸くする。
シャーロットも苦笑した。
「随分と気に入られたわね」
「……」
カミリーは何とも言えない表情を浮かべる。
エイブリルは笑顔のままだ。
「駄目でしょうか?」
「いや……」
カミリーは困ったように笑う。
「俺たちでよければ」
「ありがとうございます!」
エミリアも嬉しそうに微笑んだ。
「信頼を得られているようで、良いことですね」
「……」
ビルとシャーロットが顔を見合わせる。
カミリーは何も言わなかった。
⸻
ギルドを出る。
夕方の街を、五人が歩いていく。
前をビルとカミリー。
後ろにシャーロット、エイブリル、アンジー。
しばらく歩いたところで。
「シャーロットさん」
エイブリルが小声で話しかけた。
「何?」
「実は……お願いがあるんです」
「お願い?」
エイブリルは少し恥ずかしそうに頬を染める。
「カミリーさんと……」
「はい」
「もっと仲良くなりたいんです」
「……」
シャーロットは前を歩くカミリーを見る。
「それで?」
「何か協力していただけないでしょうか」
「うーん……」
シャーロットは腕を組む。
「どうしようかな」
エイブリルは少し考える。
「お礼はします」
「お礼?」
「欲しいものはありますか?」
シャーロットの目が変わった。
「……新しい杖」
「分かりました」
「本当に?」
「はい」
シャーロットは即答した。
「交渉成立」
アンジーが思わず吹き出す。
「シャーロットさん、切り替えが早すぎませんか?」
「仕方ないでしょ!」
「魔法杖って高いんだから!」
「なるほど……」
エイブリルは嬉しそうに笑う。
「では、よろしくお願いします」
「任せて!」
二人は固い握手を交わした。
その前方。
カミリーが振り返る。
「何を話してるんだ?」
「何でもない!」
シャーロットが即答する。
「そうか?」
カミリーは首を傾げる。
そして再び前を向いた。
夕陽が街を赤く染めている。
その後ろで。
アンジーは小さく笑っていた。
(……お嬢様)
(もう十分、仲良くなっていると思いますが)
⸻
―その夜。
エンターサンド。
白い法衣をまとった巡礼団が、宿の一室に集まっていた。
部屋の中央。
一人の少女が窓辺に立っている。
聖女。
彼女は静かに目を閉じた。
「……やはり」
小さく呟く。
周りの者たちには聞こえないほどの声。
「この街には……神気がある」
少女がゆっくりと目を開く。
その瞳は、夜のエンターサンドを見つめている。
「とても……強い」
少女は静かに息を吐いた。




