武術師範、帰路に就く(前編)
翌朝。
宿屋「木漏れ日」。
荷物をまとめた四人は、一階へ降りてくる。
入口ではマールとチコが見送りに来ていた。
マールは少し寂しそうに微笑む。
「もうお帰りになるんですね」
ヤスヒコは頷いた。
「ああ、世話になった」
マールは小さく首を横へ振る。
「こちらこそです」
「本当なら、もう少しゆっくり泊まっていただきたかったんですけど」
少しだけ照れ笑いを浮かべる。
「今回は滞在が短くなってしまいましたね」
ヤスヒコは静かに答えた。
「用事が済んだからな」
「また王都へ来ることがあれば、その時は世話になる」
その一言に、マールの表情がぱっと明るくなる。
「ええ、その時にはぜひまた」
「今度はもっとゆっくりしていってください」
その横でチコが元気よく駆け寄る。
「お兄ちゃんたち!」
「もう帰っちゃうの?」
「ああ」
「さみしい!」
チコは少しだけ頬を膨らませる。
ビルがしゃがみ込んで笑った。
「また遊びに来るよ」
シャーロットも微笑む。
「今度はお土産持ってくるね」
「ほんと?」
「うん」
チコは満面の笑みになる。
「約束だからね!」
カミリーも穏やかに笑った。
「元気でな」
チコは何度も頷く。
ヤスヒコはチコの頭へそっと手を置いた。
「母親の言うことをよく聞け」
「うん!」
元気な返事が返ってくる。
マールは深く頭を下げた。
「皆さんも、お元気で」
「どうかお気を付けて」
四人も軽く頭を下げる。
宿屋「木漏れ日」をあとにし、一行は王都冒険者ギルドへ向かった。
──
王都マスティアパペルツ冒険者ギルド。
昨日までとは変わらぬ賑わいの中にも、どこか落ち着かない空気が漂っていた。
酒場では冒険者たちが朝食を取りながら談笑している。
その視線が、一人の男へ集まっていた。
ヤスヒコ。
昨日、国王より二級冒険者への特進を命じられた男。
そして、ミノタウロスを素手で討伐した張本人。
彼がギルドへ姿を現した瞬間、それまでの喧騒が少しだけ静まった。
「あ……」
「おい、あいつだ」
「本当に来たぞ」
誰かが小さく呟く。
以前なら、
『六級なのに安い依頼しか受けない奴』
そんな認識だった。
だが今は違う。
遠巻きに見つめる視線。
畏怖。
尊敬。
そして少しだけ緊張。
誰一人として不用意には近寄らなかった。
ヤスヒコ本人は、そんな視線に気付いている様子もなく、普段通り受付へ歩いていく。
その後ろを歩くビルは、小さく胸を張った。
「……見たか?」
シャーロットも得意げに笑う。
「みんな先生見てる」
「当たり前だよ」
カミリーは苦笑した。
「お前たち、自分が認められてるわけじゃないぞ」
「分かってるよ」
ビルは照れ笑いを浮かべる。
「でも、なんか嬉しいじゃん」
シャーロットも何度も頷いた。
「うんうん!」
その表情は自然と誇らしげだった。
受付では、エミリアとは違う王都ギルドの受付嬢がヤスヒコを見るなり、柔らかく微笑んだ。
「ヤスヒコ様、昨日は、お疲れさまでした」
「今日はご出発と伺っております」
「ああ」
短く答える。
受付嬢は少しだけ嬉しそうな顔になった。
「その前に、一つだけお礼を言わせてください」
ヤスヒコは静かに耳を傾ける。
「ヤスヒコ様が王都へ来られてからの数週間」
「薬草採取」
「荷物運び」
「迷子探し」
「畑の害獣駆除」
「皆さんが敬遠するような依頼を、一つずつ丁寧に引き受けてくださいました」
「そのおかげで、滞っていた依頼が本当に減ったんです」
隣の受付嬢も続けた。
「私たちも、とても助かりました」
「本当にありがとうございました」
深く頭を下げる。
ヤスヒコも小さく頭を下げ返した。
「依頼を受けただけだ」
「礼を言われることではない」
「それでもです」
受付嬢は穏やかに笑う。
「皆さん、危険な依頼ばかり受けたがります」
「ですが、街はそういう小さな依頼も多いのです」
「それを誰より理解してくださった冒険者でした」
ヤスヒコは少しだけ考えたあと、小さく頷いた。
「そうか」
それ以上は何も言わない。
だが受付嬢たちには、その一言で十分だった。
受付を離れると、酒場の奥から一人の中年冒険者が立ち上がった。
「ヤスヒコさん!」
少し緊張した様子で近付いてくる。
「……あの時は助かった」
「俺ぁ西地区にいたんだ」
「本当にありがとう」
そう言って頭を下げた。
それをきっかけに、周囲の冒険者たちも次々と立ち上がる。
「ありがとう」
「王都を守ってくれて助かった」
「また王都へ来てくれよ」
ヤスヒコは一人ひとりに小さく頭を下げた。
「できることをしただけだ」
それだけだった。
だが、その飾らない言葉が、かえって彼らの胸へ深く残った。
やがて四人はギルドをあとにする。
石畳を踏みながら王都の城門へ向かう。
今日で王都とも別れだった。
ビルが後ろを振り返る。
「短かったけど……」
「いろんなことがあったな」
シャーロットも笑う。
「最初は王都って怖いと思ってた」
「でも結構好きになったかも」
カミリーも静かに頷く。
「また来ることもあるさ」
ヤスヒコは何も言わず歩き続ける。
やがて巨大な城門が見えてきた。
門番へ通行証を見せ、四人が王都の外へ出ようとした、その時だった。
「ヤスヒコーーー!」
聞き覚えのある元気な声が響く。
四人が振り向く。
街道脇へ停められた馬車の荷台から、一人の少女が勢いよく飛び降りた。
金色の髪を揺らしながら、満面の笑みで駆け寄ってくる。
特級冒険者。
アリア・グラン。
「やっと来た!」
「待ちくたびれたよ!」
ビルたちは目を丸くした。
「アリアさん!?」
「なんでここに!?」
アリアは悪びれる様子もなく笑う。
「決まってるじゃん!」
「面白そうだから!」
「エンターサンドまで一緒に行く!」
そう言って胸を張る。
ヤスヒコは一瞬だけアリアを見つめ、小さくため息をついた。
「……好きにしろ」
「うん!よろしく!」
アリアは満面の笑みを浮かべた。
こうして、五人となった一行は、エンターサンドへの帰路につくことになった。




