武術師範、奥義を披露する(後編)
ジェイムが剣を構え直した、その時だった。
「ジェイムーーー!」
明るい少女の声が夜空から響く。
全員が反射的に空を見上げた。
屋根の上を、一人の少女が軽やかに駆けてくる。
金色の長い髪が夜風になびく。
真紅のマント。
背中には、自身の身長を遥かに超える巨大な魔法銃。
砲身だけで二メートルを超える、異形の武器だった。
屋根から飛び降りる。
ドンッ。
軽い着地。
しかし、その衝撃だけで石畳が蜘蛛の巣状にひび割れる。
ジェイムは苦笑した。
「相変わらず派手な登場だな」
少女はにかっと笑う。
「えへへ」
「間に合った?」
「ああ、助かった」
少女――
特級冒険者アリア・グラン。
十九歳。
十六歳で史上最年少の特級冒険者となった天才だった。
周囲の騎士達は安堵の表情を浮かべる。
「アリアさんだ……!」
「これで助かる!」
「特級冒険者……!」
だが。
アリア本人はそんな期待など気にも留めない。
「んー」
「じゃ、やっちゃうね」
背中の巨大な魔法銃を片手で持ち上げた。
騎士達が息を呑む。
何度見ても異常だった。
魔法銃は使用者自身の魔力を弾丸へ変換する武器。
魔力量が少なければ小型拳銃程度しか扱えない。
小銃級を扱えるだけでも一流。
対物ライフル級となれば国家戦力。
だが。
アリアが構えるそれは――
身の丈を優に超える砲台。
もはや兵器だった。
「おい」
ジェイムが嫌な予感を覚える。
「待て、街中だぞ」
アリアは首を傾げた。
「うん?」
「でも撃たないと倒せないじゃん」
「いや、そういう問題では――」
アリアは笑った。
「気にしない気にしない!」
その一言と同時に、
魔法銃全体へ巨大な魔法陣が展開される。
青白い光。
空気が震える。
騎士達は思わず耳を塞いだ。
「発射ーーー!」
轟ッ!!
閃光。
凄まじい魔力砲が一直線に夜空を裂く。
ミノタウロスへ直撃。
大地が揺れた。
衝撃波が建物を襲う。
窓ガラスは一斉に砕け、
屋台は吹き飛び、
石畳には巨大なクレーターが刻まれる。
爆炎。
轟音。
土煙。
数秒後。
煙が晴れる。
そこには――
上半身をほぼ失ったミノタウロスが倒れていた。
「やった!」
アリアは満面の笑み。
巨大な魔法銃を肩へ担ぐ。
「これで終わり!」
ジェイムは周囲を見渡した。
半壊した民家。
倒れた街灯。
粉々になった石畳。
深いため息を吐く。
「……お前は」
「加減という言葉を知らんのか」
アリアは首をかしげる。
「え?」
「倒せたからいいじゃん」
「気にしない気にしない!」
「報告書を作るこちらの身にもなってくれ……」
ジェイムは思わず呟く。
騎士達は苦笑するしかない。
これが。
王国最強戦力の一人。
特級冒険者アリア・グランだった。
その時。
「先生!こっちです!」
遠くから若い声が響く。
ジェイムが振り向く。
瓦礫を避けながら走ってくる四人の姿。
ヤスヒコ。
ビル。
カミリー。
シャーロット。
ようやく現場へ到着したのだった。
「先生!」
ビルたち三人が惨状を見渡す。
瓦礫が散乱し、建物は半壊。
焦げた臭いが辺り一面に漂っていた。
シャーロットは思わず息を呑む。
「すごい……これ全部……」
カミリーも周囲を見回した。
「魔法か」
一方、ヤスヒコだけは何も言わない。
ゆっくりとミノタウロスの亡骸へ歩み寄る。
しゃがみ込み、静かに傷口を見つめた。
上半身はほとんど消し飛んでいる。
普通なら、生きているはずがない。
しかし――
ヤスヒコの眉がわずかに動く。
(……これは)
飛び散った肉片。
その一つが、ほんの僅かに蠢いた。
まるで呼吸をするように。
(生きている)
ヤスヒコは勢いよく立ち上がった。
そして、この世界へ来てから初めて――
腹の底から声を張り上げた。
「ビル!」
「逃げ遅れた住民を避難させろ!」
「シャーロット!」
「負傷者の救護を急げ!」
「カミリー!」
「ここに人を立ち入らせるな!」
「「「はい!!」」」
三人は迷いなく走り出した。
「え?なに?」
アリアは呆気に取られ、
ジェイムは思わず尋ねる。
「何が起きている」
ヤスヒコは死体から目を離さない。
「来るぞ!」
その瞬間だった。
ぐちゃり。
飛び散っていた肉片が動いた。
「なっ!?」
騎士たちが息を呑む。
肉片同士が勝手に集まり始める。
骨が伸びる。
筋肉が繋がる。
皮膚が再生する。
わずか数秒。
完全に吹き飛んでいた上半身が元へ戻った。
「グォォォォォォッ!!」
ミノタウロスは再び立ち上がった。
騎士たちの顔から血の気が引く。
「そんな……!」
「再生した……!」
アリアですら笑顔を失っていた。
「うそ」
「さっきので倒せなかったの?」
――
その頃。
王都から遥か離れた山中。
巨大な水晶玉を覗き込む一人の魔族がいた。
長い黒髪。
紅色の瞳。
魔族幹部――ギラン。
水晶に映るミノタウロスを見ながら、口元を歪める。
「ヒッヒッヒ!成功だ!」
「やはり私の最高傑作!」
「再生能力も完璧だ!」
その笑みは、
妖しく、
そして残虐な影を落としていた。
――
王都。
ジェイムが叫ぶ。
「総員再度攻撃!」
騎士たちが突撃する。
剣。
槍。
魔法。
次々と浴びせられる。
アリアも巨大な魔法銃を構え直した。
「もう一発!」
轟音。
再び魔力砲が炸裂する。
ミノタウロスの胴体が吹き飛ぶ。
しかし。
肉片が再び集まり始めた。
「えぇぇ!?」
アリアが叫ぶ。
「また!?」
ジェイムは歯を食いしばる。
「死なないのか……!?」
「どうなっている!」
怒り狂ったミノタウロスは何度目かの雄叫びを上げる。
「グオオオオオォォッ!!」
石畳を砕きながら一直線に住宅へ向けて突進する。
質量。
速度。
誰も止められない。
ミノタウロスの突進、その射線上にヤスヒコは立っていた。
ジェイムが叫ぶ。
「避けろ!」
アリアも思わず身を乗り出す。
「危ないって!」
しかし。
ヤスヒコは一歩も退かなかった。
静かに息を吸う。
(巨大な体躯)
(力も速さも十分)
(だが――)
拳を握る。
腰を落とす。
ミノタウロスの右足が地面へ着いた、その瞬間。
「神楽守道流……」
ほんの半歩だけ踏み込む。
巨体が生み出す力の流れ。
重心。
踏み込み。
その全てを見切る。
――一の理【崩】
ヤスヒコの左手がミノタウロスの腕へ軽く触れた。
押さない。
引かない。
ほんの僅か。
重心へ指先を添えただけ。
次の瞬間。
巨体がぐらりと傾く。
「グォッ!?」
ジェイムが目を見開いた。
「何をした……?」
数トンはあるはずの魔物が、
信じられないほど自然に体勢を崩した。
――
ミノタウロスは自分が何故倒れているのか分からなかった。
ただ、目の前の小さな存在に軽くいなされた事だけは分かる。
武器も持たない、
自分に敵意すら向けていない、
それが何より許せなかった。
―この人間の四肢をもぎ、
―叩き潰し、
―細切れにして喰う。
自分に惨たらしく殺さなければならない。
そうでなければ腹の虫が収まらないのだ。
――
「グォォォオオオオオオオ!」
ミノタウロスは怒りに任せながら、その巨大な腕を振り上げる。
――二の理【流】
ヤスヒコは真正面から受けない。
肩を半身に開く。
右腕を滑らせるように添える。
ただ、それだけ。
ミノタウロス自身の勢いが、
そのまま前方へ流れる。
「グアァッ!」
自らの力で前のめりになる巨体。
完全に隙が生まれた。
アリアが思わず笑う。
「えっ!」
「今のを流しちゃうの!?」
騎士たちも息を呑む。
「あの質量を……」
ヤスヒコは一歩踏み出す。
ミノタウロスの巨体を静かに見つめる。
(終わりだ)
その瞬間。
視界が僅かに変わる。
まるで霧が晴れるように、
ミノタウロスの全身が透けて見えた。
筋肉でもない。
骨でもない。
心臓でもない。
全ての存在には、必ず一つだけ――『崩れる一点』がある。
師である神楽ゲンリュウでさえ辿り着けなかった、
ヤスヒコだけが見ることのできる境地。
存在そのものが最も脆くなる一点。
そこだけが、静かに光って見えた。
「……そこか」
右拳を握る。
力は入れない。
振りかぶらない。
腰だけが僅かに回る。
――三の理【穿】
放たれた拳は、
音もなく、
その一点へ吸い込まれた。
ドッ。
小さな音。
それだけだった。
その刹那――
ミノタウロスが止まる。
全身が硬直する。
「グ……?」
やがて。
身体中へ無数の亀裂が走った。
パキ……
パキパキ……
白い光が漏れ始める。
「な……」
ジェイムが言葉を失う。
アリアも笑顔を忘れていた。
「え……?」
ミノタウロスは悲鳴すら上げない。
そのまま全身が光へ変わる。
さらさらと。
砂のように。
肉片一つ残さず、夜風へ溶けて消えていった。
⸻
山中。
水晶球を見つめていたギランが立ち上がる。
「神気だと……?」
「馬鹿な!!」
拳を叩きつける。
「あり得ん!」
「アレは神に連なる者だけの力のはずだ!」
水晶球は、武器を持たずにミノタウロスを撃破した男が映し出されていた。
⸻
ヤスヒコはゆっくりと右拳を見つめる。
「……?」
確かに崩は決まった。
流も成功した。
『崩れる一点』を捉え、穿を打ちこんだ。
そこまでは理解できる。
だが――
「ここまで綺麗に消えるものか……?」
武術で人を倒した経験は数え切れない。
獣も。
魔物も。
この世界へ来てから何度も拳を交えてきた。
しかし。
今の感触だけは違った。
拳を通して、
ほんの一瞬だけ。
温かな何かが身体を巡ったような感覚。
不思議だった。
「……ふむ」
深く考えることはやめた。
ヤスヒコは静かに拳を下ろし、
再び前を向いた。
⸻
それを見ていたアリアは、次の瞬間、満面の笑みで駆け出していた。
「すっごーーい!!」
「ねぇねぇ!」
「今の何!?」
「めちゃくちゃ面白いじゃん!」
そのまま勢いよくヤスヒコへ飛びつく。
「友達になろ!」
ヤスヒコは突然抱きつかれ、困ったように眉を寄せた。
「……離れろ」
「気にしない気にしない♪」
それを見たジェイムは額を押さえ、大きくため息をついた。
「……また面倒なことになったな」
王都に再び静けさが戻る。
だが、その夜に生まれた幾つもの縁は、静かに未来へと繋がっていく。




