武術師範、縁を結ぶ(後編)
神殿清掃を終えたヤスヒコは、冒険者ギルド本部へ戻っていた。
受付嬢は報告書へ目を通し、深く頭を下げる。
「ありがとうございました」
「確認いたしました、これで正式に依頼完了です」
銀貨一枚が入った小さな革袋を受け取る。
決して多い報酬ではない。
それでもヤスヒコは頷いた。
「世話になった」
受付嬢は柔らかく微笑む。
「またよろしくお願いいたします」
ヤスヒコは軽く会釈し、ギルドを後にした。
⸻
王都の街は相変わらず賑わっていた。
石畳の道。
何本にも分かれた路地。
見慣れない建物。
人の流れ。
ヤスヒコは一度立ち止まる。
「……」
静かに辺りを見回す。
「どちらだったか」
エンターサンドなら迷うことはない。
しかし王都は昨日来たばかりだ。
目印になる建物もまだ覚えていない。
適当に歩けば余計に分からなくなる。
「ふむ…」
珍しく困ったように頭を掻いた。
その時だった。
「兄ちゃん、迷ったか?」
突然声を掛けられ、ヤスヒコは足を止める。
振り向くと、一人の大柄な男が笑っていた。
短く刈り込まれた髪。
日に焼けた肌。
がっしりとした体格。
肩には荷物を担ぎ、いかにも街の人間という気さくな雰囲気を纏っている。
ヤスヒコは素直に答えた。
「……分かるか」
男は豪快に笑った。
「分かるさ」
「この辺りをキョロキョロ見回してる奴は、大体迷子だからな」
「兄ちゃん、王都は初めてか?」
「ああ」
「なるほどな」
男は腕を組みながら頷く。
「王都は無駄に広い」
「俺でもたまに迷うくらいだ」
ヤスヒコは少しだけ笑った。
「そういうものか」
「そういうもんだ」
男はニヤリと笑う。
「どこへ行きたい?」
「宿だ」
「宿?」
「昨日泊まった場所だ」
男は思わず吹き出した。
「それじゃ余計分からねぇだろ」
「宿の名前は?」
ヤスヒコは少し考える。
「……知らん」
「聞いてなかった」
男は腹を抱えて笑い始めた。
「兄ちゃん!」
「そりゃ迷うわ!」
豪快な笑い声につられて、周囲の通行人まで苦笑している。
ひとしきり笑うと、男は肩を叩いた。
「よし、俺が案内してやる!」
ヤスヒコは軽く頭を下げた。
「助かる」
「その代わり」
男は悪戯っぽく笑う。
「少し付き合え」
「付き合う?」
「酒だ」
ヤスヒコは空を見上げた。
まだ日は落ちていない。
「……まだ明るいぞ」
男は豪快に笑う。
「だからいいんだよ」
少しだけ考えた後、ヤスヒコは静かに頷いた。
「では少しだけだ」
「決まり!」
男は満足そうに歩き出した。
⸻
案内された酒場は、市場から少し離れた場所にあった。
扉を開けた瞬間。
店内から一斉に声が飛ぶ。
「おう、ロブさん!」
「今日は早いな!」
「またこんな時間から飲みに来たのか!」
「今日は違う連れか?」
店主までもが笑顔で迎える。
「ロブさん、いつもの席空いてるぞ!」
男――ロブは手を振った。
「悪い悪い」
「今日は客付きだ」
店中が笑いに包まれる。
ヤスヒコは静かに席へ座った。
ロブが向かいへ腰を下ろす。
「俺はロブ」
「兄ちゃんは?」
「臼井ヤスヒコ」
ロブは屈託のない笑顔で返す。
「そうか、よろしくなヤスヒコ!」
店主が酒を運んでくる。
「はいよ、いつもの!」
ロブは礼を言いながら杯を受け取る。
「おう、ありがとよ」
ヤスヒコが静かに口を開く。
「街の者に慕われているようだな」
ロブは照れくさそうに頭を掻いた。
「ここには長く住んでるんだ」
「顔見知りが増えただけだ」
「そうか」
「ヤスヒコは?」
「旅ばかりか?」
ヤスヒコは少しだけ考えた。
「昔はそうだった」
「今は違う」
「ほう?」
「守りたい場所ができた」
ロブは静かに頷く。
「いい顔するじゃねぇか」
その後も二人は他愛もない話を交わした。
これまでの依頼のこと。
酒のこと。
街のこと。
どちらも多くを語らない。
それでも、不思議と会話は途切れなかった。
やがて日が傾き始める。
ロブが立ち上がった。
「さて、約束だ」
「宿まで送ってやる」
「助かる」
「また縁があったら飲もうぜ」
ヤスヒコは静かに頷く。
「ああ」
宿の前まで送り届けると、ヤスヒコは軽く一礼した。
「世話になった」
「気にすんな、また会おうぜ」
「ああ」
ヤスヒコは宿へ入っていった。
ロブはその背中を見送り、小さく笑う。
⸻
王都の裏路地。
(ウスイ・ヤスヒコ……)
(報告書の特徴と一致する、武器を持たない妙な服装の男)
「あいつがグロムをねえ……」
ロブは少し考え、笑い飛ばした。
「はっはっは!面白ぇ男だ!」
その時だった。
「団長」
背後から落ち着いた声が響く。
「見つかっちまったか……」
ロブは憂鬱そうに振り返る。
一人の騎士が恭しく頭を下げ、大切そうに畳まれたマントを差し出していた。
「ええ、ようやく見つけました」
「会議のお時間です」
ロブは苦笑しながら受け取る。
「飲む時間くらい、好きにさせろってんだ」
そうぼやきながら肩へ羽織る。
夕風が吹く。
翻ったマントの背には――
第四騎士団の紋章が、静かに刻まれていた。




