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隣の彼女は異世界の妻でした  作者: 佐々木勇二


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病院の玄関 再会と決別

病院の自動ドアが、静かな音を立てて開いた。

夜の間に染み付いた硝煙と血の匂いを薄めるように、冷たく澄んだ朝の空気が流れ込んでくる。

先に姿を現したのは、内山だった。

その腕の中には、クロが抱えられている。いつもなら誇り高く自らの足で歩くはずの黒犬は、今はピクリとも動かなかった。毛並みを覆っていたあの神秘的な青銀の光は完全に消え失せている。呼吸はある。でも、それだけだった。限界を超えて命の火を燃やした反動が、その小さな身体を縛り付けていた。

その背後から、柊が出てきた。

全身が泥と埃にまみれ、右肩には痛々しく血の滲む包帯が巻かれている。外套も焦げ、足取りはひどく重い。

だが、顔を上げた瞬間、柊の足がピタリと止まった。

玄関の前のポーチに、澪が立っていた。

少し離れた横にはヴェルナーが控えている。

澪は、内山を見た。そして動かないクロを見た。最後に、ボロボロになった相棒の姿を、真正面から見つめた。

「……柊」 柊は澪を見た。

昨夜、狂乱の中でホテルの窓から一緒に落ちた時の、青ざめて意識を手放していた顔じゃない。いつもの、芯の通った真っ直ぐな澪だった。少し顔色は悪いが、その瞳の光は完全にしっかりと前を見据えている。

「起きたのか」 「さっき」 「……そうか」

柊は、二歩、歩み寄った。 そこには何の迷いもなかった。

澪の目の前まで来ると、血と泥に汚れた腕で、そのまま彼女の細い身体を強く抱きしめた。

澪が、小さく息を呑んだ。

突然のことに、腕の中で一瞬だけ身体が強張る。だが、突き飛ばしはしなかった。避けもしなかった。

やがて彼女はゆっくりと力を抜き、柊の泥だらけの胸に、そっと額を預けた。

それだけだった。 言葉はなかった。

柊も何も言わなかった。ただ「生きて、再び会えた」という事実を確かめるように、痛む右肩を庇うことも忘れて、もう少しだけ腕に力を込めた。

柊の速い心臓の音が伝わる。澪の静かな温もりが伝わる。

しばらくして、柊の腕の中で、澪がくぐもった声で小さく言った。

「……特別だからね」

照れ隠しのような、でも少しだけ泣き出しそうな、ひどく不器用な声だった。

柊は答えなかった。

でも、その温もりを心に刻みつけるように、もう数秒だけ、決して腕を離さなかった。

内山はクロを抱えたまま、無言で二人を見ていた。

野暮なちょっかいを出すことも、急かすこともしない。ただ静かに視線を外し、都市の上に広がり始めた眩い朝の光を見上げていた。

ヴェルナーもまた、その光景を見守っていた。

彼の瞳は、今朝だけは底知れぬ微笑みではなく、ただ純粋に穏やかだった。悲しくも、計算高くも、申し訳なさそうでもなく、ただ一組の男女の確かな結びつきを祝福するように、穏やかだった。

「……さて」 やがて、内山が静かに空気を切り替えた。 「次へ行くぞ」

その声を聞いて、澪が柊の胸からそっと離れた。見上げたその顔はほんの少しだけ朱に染まっていたが、すぐにいつもの凛とした表情を作った。

「……どこへ」 「俺は博士のところだ。クロを連れていく」

内山は腕の中の小さな命を確かめるように抱え直し、それから鋭い視線を柊と澪へ向けた。

「お前たちは七塔だ。禁書庫へ向かったレム達と合流しろ。お互い、急ぐぞ」

ここで二手に分かれる。

激しい夜を乗り越えたばかりの身には過酷な指示だったが、柊も澪も一切の反論はしなかった。頷き一つで、互いの覚悟は完了した。

澪は、歩き出そうとする前にふと振り返り、ずっと傍らに立っていたヴェルナーを見た。

夢の中で見た若き日の彼と、今の掴みどころのない微笑みが重なる。

「……行かないんですか」

澪の静かな問いかけに、ヴェルナーはいつものように口角を上げた。

「私は、後から行きます」

それは、丁寧で柔らかな響きだった。だが、澪の鋭い直感は、その言葉の裏にある「決別」のような、不吉な静けさを感じ取っていた。

澪は何かを言いかけたが、やがて唇を引き結び、深く一礼した。

柊も内山も、それぞれの目的地へ向かって踵を返す。

朝の光が都市を白く染め上げる中、彼らは互いの背中を見送ることなく、残された最後の戦いへと足を踏み出していった。


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