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ようこそ最前線の地獄(職場)へ。 軍師リナ、8歳です  作者: 輝夜
第十一章:『一年という名の礎』

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第366話:『白銀の波濤(はとう)と見えざる手枷』

 

 決戦の朝は重く冷たい鉛色の雲に覆われていた。

 荒野の空気を切り裂くように斥候の放った早馬が北辰同盟の陣へと駆け込んでくる。


「――報告! 覇国軍の歩み、想定以上に鈍滞どんたいしております! 本陣がこちらの防衛ラインに到達するのは天中(昼)を過ぎ、夕刻前にずれ込む見込みです!」


 その報せに陣幕の前で腕を組んでいたバラクは、隣のゴードとエルラと視線を交わした。

「……見えざる恐怖と飢えで足並みが完全に崩壊しておるな」

 バラクが顎を撫でながら低い声で唸る。

「ええ。ですが来ることは間違いない。……間延びした死に損ないの群れですわ」

 エルラの冷静な分析にゴードが鼻を鳴らす。

「チッ、じれったい野郎どもだ。……だが好都合だ。たっぷり休んで腹ごしらえをする時間があるってことだ!」


 ゴードの号令で北辰同盟の戦士たちは陣の設営を一旦止め、早めの昼飯の準備に取り掛かった。

 張り詰めた緊張の中にも、温かいスープを啜り武具の手入れを行う彼らの顔には静かな闘志が満ちていた。クルガンの恐怖支配を自らの手で終わらせる。その覚悟が冷たい風の中で熱く燃え上がっている。


 だがその荒々しくも勇ましい空気を、遠くから迫る地響きが唐突に塗り潰した。


 ズ、ズ、ズ、ズ、ズ……!!


 北辰同盟の戦士たちが一斉に南の地平線へと振り返る。

 土煙は上がっていない。

 ただ、大地そのものを正確なリズムで叩き据えるような異常なまでに重く、そして一糸乱れぬ足音が迫ってきていた。


「な、なんだ……!?」


 丘の向こうから姿を現したのは陽光を反射して眩く輝く白銀の波濤だった。

 帝国軍の精鋭たち。

 数千の歩兵と騎馬が誰一人口を開かず、半駆け足という速度でありながら文字通り「寸分の狂いもない」完璧な隊列を組んで迫ってくる。

 足の運び、槍の角度、盾の揺れ。そのすべてがまるで一つの巨大な機械仕掛けの生き物のように統制されていた。


「ひっ……!」

 北の戦士たちの背筋に冷たい汗がツーッと伝い落ちた。

 彼らも歴戦の勇士だ。だがこの圧倒的な規律と暴力の統制は、荒野の戦いしか知らない彼らの本能に絶対的な「格の違い」を否応なく叩き込んでくる。これまでの「合同演習」で肌を合わせた時とは違う本物の戦場における帝国軍の威容。


 ザッッッ!!!


 耳をつんざくような鋭い金属音と共に、帝国軍の行軍が北辰同盟の陣の眼前で一斉に停止した。

 凄まじい風圧が吹き抜け、北の戦士たちが思わず目を細める。


 次の瞬間、無言のまま白銀の兵の波がまるでモーゼの十戒のごとく左右に真っ二つに割れた。

 その中央にできた真直ぐな道を通って一際巨大な軍馬が悠然と進み出てくる。


 騎乗しているのは北壁の守護神・シュタイナー中将。

 そしてその巨漢の前にちょこんと同乗しているのは、深い濃紺のドレスと銀の仮面を纏った『天翼の軍師』だった。

 夜明け前の風を切り裂くような颯爽とした登場に北辰の戦士たちは息を呑み静まり返る。


 シュタイナー中将は馬を止めると音を立てて軽々と下馬し、そのまま振り返って両腕を差し出した。

 リナはその分厚い両腕にふわりと抱え上げられ、まるで羽毛のように音もなく大地へと降ろされる。その所作には猛将の軍師に対する過保護なまでの敬意が滲み出ていた。


 私は仮面の下で冷や汗をかきながらバラクたち三族長の前に進み出た。

(……シュタイナー中将、気合い入りすぎです。兵士の皆さんの足並み、怖いくらい揃ってましたよ……)

 心の中でツッコミを入れつつ、私は軍師としての威厳を保ち凛とした声で告げた。


「――バラク殿、ゴード殿、エルラ殿。予定通り我ら帝国軍はこれより両翼の丘陵へ下がり、後背に陣を構えます」


 私の言葉に三人は深く頷く。

「我々の役目はあくまで周囲からの『威圧』。覇国軍に退路がないことを悟らせるための巨大な壁です」

 私は一歩近づき彼らにしか聞こえない声に落とした。

「……この戦いの主役はあくまで貴方たち北辰同盟です。敵はすでに内部から崩壊しかかっています。最後の一押し……本陣が崩れれば雪崩を打って総崩れになるはずです」


 私は両手を胸の前でぎゅっと握りしめた。

 仮面の裏側で私の顔は痛切な思いに歪んでいた。彼らに血を流してくれと頼んでいるのだ。

「……ですから、どうか。……将軍格や腕に覚えのある敵と相対する時は誇りよりも命を優先し、出来れば多勢で……囲んですり潰すように確実に戦ってください。……絶対に無理はしないでください」


 バラクはその仮面の奥で揺れる私の瞳の光を正確に読み取り、豪快に、しかしどこか優しく笑って見せた。


「がっはっは! 判っておるわい、天翼殿。我らとて死に急ぐつもりはない。無理はせんよ」


 その言葉の直後、シュタイナー中将がギロォォッ! と凄まじい眼光でバラクを睨み据えた。

『軍師殿をこれ以上不安にさせるような真似をすればわしが貴様らをすり潰すぞ』とでも言いたげな物理的殺気を伴う睨み。


「うおっふ」

 バラクは一瞬怯み慌てて咳払いをした。

「し、しませんので! 安心召されよ、軍師殿! 中将閣下!」


 私はその言葉にホッと息を吐き出し、深く頭を下げてから、シュタイナー中将と共に背を向け両翼の丘へと向かって歩き出した。


 その後ろ姿を見送りながら。

 バラク、ゴード、エルラの三族長は周囲の兵に気づかれぬようひそかに視線を交わした。


(……そうならんかもしれんがな)

(……ああ。相手はあのクルガンだ。多勢で囲んで済むようなヤワな獣じゃあるまい)

(我らの手で引導を渡す。……その覚悟はとうにできている)


 老獪な狼たちは軍師の優しい願いを胸にしまい込みながらも、戦士としての最後の死闘へ向けて静かに牙を剥き出しにしていた。


 ◇◆◇


 私たちが両翼の丘陵へ布陣を終え圧倒的な「光の壁」として待機している間にも、斥候からの情報は刻一刻と作戦室の代わりとなる本陣の天幕へと届けられていた。


「――敵軍、第一防衛線を通過! 足並みは依然として乱れていますが、クルガンの本陣だけは突出して速度を上げています!」


 私は地図盤の上で黒い駒の動きを冷ややかに見つめていた。

 いよいよだ。

 戦闘はもう間近に迫っている。


 その緊張感が極限に達しようとしていた時。

 私は天幕の隅の暗がりへ向けて、か細い震える声を絞り出した。


「……ゲッコーさん」


 音もなく闇からゲッコーが片膝をついて現れる。

「はっ」


 私は両手を固く握りしめ彼の無表情な顔を真っ直ぐに見つめた。

 これから下す指示は軍師としての合理性から外れた私の完全な「我儘」だ。


「……もしも。万が一の事態です」

 声が微かに震える。

「敵の覇王クルガンが。……私の想定を遥かに超える、シュタイナー中将やハヤトさんに迫るような……人外の強さだった場合」


 ゲッコーの隻眼がスッと細められた。


「その時は。……あらゆる嫌がらせをしてください」

 私は奥歯を噛み締めた。

「石を投げても罠を張っても構いません。クルガンの脚を引っ張りバラク殿たちへの決定打を何としてでも防いでください。……場合によっては」


 私は残酷な言葉を口にする己の罪深さに目を伏せた。


「……手足をもいででも。……バラク殿たちを死なせないでください」


 沈黙が落ちる。

 ゲッコーは何も言わずただ深く頭を垂れたままだ。

 私は彼に向けて最も重要な最後の命令を付け加えた。


「――但し」

 顔を上げ、涙の滲む瞳で彼を射抜く。


「ゲッコーさん。貴方自身の安全は絶対です。貴方の命を懸けてまで彼を守る必要はありません。……もし手に負えない化け物なら無理せずに即座に撤退してください」


「……無茶を言ってごめんなさい」


 か細い謝罪の声が天幕の冷たい空気に溶けていく。

 ゲッコーはゆっくりと顔を上げ、その傷だらけの顔にほんのわずかだけ主君を案じるような柔らかな光を宿した。


「……御意に」


 短い返答と共に彼は再び影の中へと溶け、完全に気配を消した。


 私は地図盤の上に置かれた白い駒と黒い駒を見下ろした。

 風が遠くから土煙の匂いを運んでくる。


 刻は満ちた。

 北の荒野の運命を決する最終決戦が今まさに幕を開けようとしている。


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― 新着の感想 ―
 輝夜さん、こんにちは。 「ようこそ最前線の地獄(職場)へ。 軍師リナ、8歳です 第366話:『白銀の波濤(はとう)と見えざる手枷』」拝読致しました。  決戦当日。  しかし、クルガン軍の歩みは遅々…
 ついに覇王クルガンとの決戦、楽しみですね。どれほど策を講じても、戦場では何が起きるかわかりません。一人で千人に匹敵する英雄がいてもおかしくはありません。最悪の事態を想定し、臨機応変に対応する必要もで…
更新お疲れ様です。 『威圧』は『便所掃除』の『威光?』の過剰な裏返し・・・・(^^;; 『北辰同盟』の戦士達 「あんなのと良く相対していたなぁ・・・・(遠い目or((((;゜Д゜))))ガクガクブル…
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