【追憶の覇道】第6話:『解体される故郷(ふるさと) ~奪われる石と誇り~』
注意:数年前の話です
※クルガンの起こり、カナンの受難
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鉛色の空から音もなく雪が舞い降りていた。
かつては各地から珍品が集まり商人たちの活気ある声が絶えなかったカナンの中央広場。そこには今、重苦しい沈黙と馬車の車輪が凍った石畳を軋ませる音だけが響いている。
「――さっさと乗れ! 北の兄弟たちが貴様らの知恵を待っているのだぞ!」
兵士が怒鳴り声を上げ、槍の石突で歩みの遅い老人を小突いた。
広場には街の外へと続く長い馬車の列ができている。それはこの街の心臓であり頭脳であった知識人や有力商人たちを、北の果ての各部族へと強制連行するための生きた葬列のようだった。
「これは覇王陛下から賜った名誉ある任務だ」と兵士たちは嘯く。だが、すし詰めにされた荷台から覗く市民たちの顔に浮かんでいるのは名誉などではない。二度とこの愛する故郷の土を踏むことはないのだという底知れぬ絶望だった。
「お父さん! 嫌だ、行きたくないよぅ!」
「あなた、しっかりして……!」
親と引き離される子供の泣き声が冷たい空気を切り裂く。呆然と立ち尽くす老人たちは、まるで魂を抜かれたように雪に煙るカナンの空を見上げていた。
◇◆◇
追放される市民たちの列と入れ違うように城門から新たな足音が響いてきた。
黒い獣皮を纏い血の染み付いた不揃いな武器を携えた荒々しい集団。クルガンの直属部隊であり、最も強欲なボルガス将軍の配下たちだ。
彼らは「治安維持部隊」という名目で我が物顔で大通りを行進してくる。だがその濁った瞳は秩序を守る番人のものではない。柵の中に追い込まれた肥え太った獲物を前に舌なめずりをする、飢えた略奪者の目だった。
彼らの泥にまみれた靴底が、何代にもわたってカナンの商人たちが磨き上げてきた美しい石畳を無慈悲に汚していく。その足音は商都の終焉を告げる弔鐘のように響いた。
◇◆◇
兵士たちは主を失った豪商の屋敷へとなだれ込んだ。
「――心せよ。金貨、宝石はもちろん絨毯、彫刻、絵画に至るまで……『値がつくもの』は全て覇王陛下の財産である。傷一つつけずに運び出せ」
ヴィクトルは屋敷の入り口でそう厳命し、兵士たちの手元を鋭く監視していた。
兵士たちは舌なめずりをしながら南の職人が心血を注いだ彫刻を慎重に梱包し、美しい刺繍が施された絨毯を丁寧に丸めていく。それらは全てクルガンの軍資金となり、あるいは恩賞として配られるための「商品」として接収されていく。
その一方でヴィクトルは部屋の奥にある書架や壁に飾られた家系図、そして家族の思い出が詰まった品々を冷酷な目で見やった。
「だが……金にならぬ『過去の栄光』は不要だ。……歴史書、帳簿、家系図、そして彼らの信仰する神の像。それらは彼らの心を過去に縛り付ける鎖だ。……我らの新しい秩序のために灰にしてやれ」
それは実利を完璧に搾取しつつカナンの民の誇りのみを切除する、悪魔の所業だった。
「へいへい、分かりましたよ参謀殿!」
「こんな古紙、焚き付けにしかならねえな!」
ドサッ! メリメリッ!
家の中から無慈悲な音が響き渡る。
富が運び出され空っぽになった部屋で、代々受け継がれてきた貴重な歴史書や街の法を記した書巻が、「無価値なゴミ」として暖炉へと次々に放り込まれていく。
壁から引き剥がされた先祖の肖像画が踏みにじられ、子供が大切にしていた木彫りの玩具がへし折られる。
炎が紙を舐め、カナンの「記憶」と「心」が灰へと変わっていく。その煤けた匂いが雪混じりの風に乗って街中へ漂っていた。
◇◆◇
やがて広場に設けられた高壇にヴィクトルが姿を現した。
彼はまだ街に残されている下級市民や労働者たちを冷ややかに見下ろし、手袋をはめた指で眼鏡の位置を直しながらよく通る声で高らかに宣言した。
「――カナンの民よ。喜ぶが良い」
ヴィクトルの声はまるで慈悲深い神父のように穏やかだった。
「本日よりこの街の全ての私有財産は、我らが『ヴォルガルド覇国』の管理下にある『共有財産』とする」
ざわめきが広がる。市民たちの顔に困惑と恐怖が浮かんだ。
ヴィクトルは唇の端を吊り上げ言葉を継いだ。
「北の同胞たちが飢えと寒さに苦しんでいる時に一部の者だけが富を独占することは許されない。個人の蓄財はすなわち飢える同胞からの『搾取』であり、裏切りである! よって直ちに全ての財産を供出せよ。覇王陛下の名の下に我々がそれを『平等に』再分配しよう」
それは正義と平等の仮面を被った、あまりにも露骨で徹底的な略奪宣言だった。
「ふざけるな! 俺たちの汗と涙の結晶だぞ! 泥棒どもめ!」
商人の一人が耐えきれずに叫び前に出ようとした。
だがその瞬間。
ドスッ。
傍らにいたボルガスの部下が振るった槍の石突が商人の腹部に深くめり込んだ。商人は胃液を吐き出し呻き声を上げて雪の上に崩れ落ちる。
「……おや。まだ古い価値観に囚われた『反逆者』が紛れ込んでいたようですね」
ヴィクトルは眉一つ動かさず、まるで道端のゴミを見るような目で冷たく言い放った。
「連れて行け。彼には労働という形で同胞に奉仕してもらいましょう」
◇◆◇
その後は一方的な蹂躙だった。
各商会の堅牢な金庫が暴力的にこじ開けられていく。金貨、宝石、貴金属。何世代にもわたり商人たちが築き上げてきた富の結晶が、「税」と「共有財産」という名目で次々と没収され、底なしのクルガンの軍資金へと飲み込まれていく。
まだ街に残っていたエノクは隠れ家の窓の隙間からその光景を血の涙を流すような思いで見つめていた。
雪の上に散らばる壊された家財道具。全財産を奪われ泣き崩れる女たち。そして我が物顔で闊歩する黒い略奪者たち。
彼は窓枠に爪が食い込むほど強く拳を握りしめ、血が滲む唇で呟いた。
「……これが貴様らの言う……平等か」
彼の目にはかつて美しかった商都カナンが、内臓を食い荒らされた獣の死骸のように映っていた。
だが本当の屈辱はまだ終わっていなかった。
重たい話でごめんなさい。物語上、公開しておいた方がよいと思われるストーリーなので、あと数話、お付き合いくださいませ。




