こぼれ話:『帝都劇場の賑やかな夜』
「――そこだ! 全軍、突撃ぃッ!」
埃っぽい稽古場に、腹の底から響く野太い声が木霊する。
グレイグ中将役を務めるベテラン俳優、ガストンさんだ。
その鍛え上げられた肉体と、本物の将軍にも負けない威圧感。熱気で汗が滴る精悍な横顔に、私、シャルルは思わず見惚れてしまった。
(……素敵……)
普段は豪快で後輩思いの優しいガストンさんが、舞台に立つとこうも変わるなんて。私の頬が勝手に熱くなるのが分かる。
「シャルル、出番よ! 見惚れてる場合じゃないわ」
衣装係のミアが、呆れたように私の背中を小突いた。
「わ、分かってるわよ!」
私は慌てて居住まいを正し、『天翼の軍師』の冷徹な表情を顔に貼り付けて舞台中央へ飛び出した。
「――待ちたまえ、中将! その策は無謀です!」
稽古は順調に進み、やがて休憩時間が告げられた。
私はタオルと水筒を手に、さりげなくガストンさんに近づこうとタイミングを計る。
「お疲れ様です、ガストンさん。今日の演技もとっても迫力が……」
「おーい! シャルルちゃーん!」
私の甘い計画を遮って飛び込んできたのは、傷ついた兵士役の新人、ルークだった。彼は頭に包帯を巻いたまま(役作りらしいが、少しズレている)、元気いっぱいに私の前に立ちはだかる。
「見て見て! 俺の『瀕死の演技』、どうだった!? ちゃんと苦しそうに見えたかな!?」
「え、ええ……まあ、とっても元気そうには見えたけど……」
「だよな! よーし、次はもっと派手に倒れてみせるぜ!」
ルークが無駄に熱く語り続けていると、不意に劇場の入り口がざわつき始めた。
真っ青な顔をした劇団の座長が、転がるように駆け込んでくる。その後ろから、どう見ても堅気ではない、屈強な男たちの集団が雪崩れ込んできたのだ。
(……来た……!)
私を含め、劇団員全員の背筋がピッと凍りついた。
事の起こりは三日前。帝国の宰相閣下直々の使者が座長を訪ねてきて、こう念を押したのだ。
『近日中、とある高貴な御方がお忍びで稽古の視察に向かわれる。あくまで“お忍び”であるゆえ、決して特別扱いはせず、普段通りの自然な稽古を見せるように。……もし不自然な態度をとれば、不敬罪にあたるやもしれん』と。
普段通りにしろと言われて、できるわけがない。
しかも今、客席にズラリと並んだのは平服を着てはいるがどう見ても近衛兵の猛者たちだ。彼らが客席の最前列から三列目までを完全に包囲し、鋭い眼光で舞台を睨みつけている。その異様な光景のどこが「お忍び」なのだろうか。
やがて屈強な男たちの壁がモーゼの海のように割れ、一人の男が悠然と姿を現した。
深めの帽子を目深に被り地味な茶色のマントを羽織っている。口元にはあからさまに不自然な付け髭。だが、その巨躯から放たれる隠しきれない覇王のオーラと威風堂々たる足取りは帝都の人間なら誰の目にも明らかだった。
(こ、皇帝陛下だぁぁぁ!)
全員が心の中で絶叫しその場に平伏しそうになるのを、必死の作り笑顔と震える膝で堪えた。「普段通り」という至上命題が私たちの理性をかろうじて繋ぎ止めている。
「うむ。皆、精が出るな。……わしはただの通りすがりの、芝居好きの商人だ。気にせず続けるがよい」
付け髭の「商人」が、よく通るバリトンボイスで上機嫌に言い放つ。
「は、はいっ! 通りすがりの商人様!」
座長が声の裏返った、百点満点のぎこちない返事をした。
そこからの稽古は、まさに地獄だった。
客席からの殺気にも似た近衛兵たちの視線。そして、中央で腕を組み我が事のように深く頷きながら舞台を見つめる皇帝陛下のプレッシャー。
私は噛みそうになる舌を必死で制御し、『天翼の軍師』の長台詞を叫んだ。ガストンさんもまた、いつにも増して力強い声でグレイグ中将を熱演する。ルークに至っては、あまりの緊張で本当に瀕死のような顔色になり、見事な気絶っぷりを披露していた。
「――そこまで!」
座長の声で一区切りの稽古が終わる。
全員が息も絶え絶えになっていると、「商人」がパチパチと立ち上がって大きな拍手を送った。
「素晴らしい! いや、実に素晴らしい熱演であった!」
皇帝陛下……いや、商人が舞台の袖まで歩み寄ってくる。
「そこの将軍役の男。見事な腹から出す声だ。……正直言って、本物のグレイグよりも威厳があってかっこいいぞ。今度あやつに自慢してやろう」
「は、ははっ! 恐悦至極に……いえ、ありがとうございます、商人様!」
ガストンさんが冷や汗を拭いながら、深々と頭を下げる。
「そして、軍師役の娘」
視線が私に向けられ心臓が跳ねた。
「その銀髪と仮面の姿、そして凛とした立ち振る舞い……本物の軍師殿が持つ神秘性がよく表現されておる。あやつがこれを見たら、恥ずかしさでまた頭を抱えるかもしれんな。わっはっは!」
全くお忍びの体をなしていない感想を述べると、彼は最後に劇団員全体を見渡した。
「戦は終わり、時代は変わった。これからは、そなたらのような文化と娯楽が民の心を豊かにし、この帝都を盛り上げていくのだ。……これからも、大いに頼むぞ!」
その言葉には、皇帝としての心からの期待と労いが込められていた。
「「「はいっ!!」」」
私たちは今度こそ作り物ではない、本気の感謝と尊敬を込めて頭を下げた。
嵐のような「お忍び」視察団が風のように去っていくと、劇場内には深いため息が一斉に響き渡った。
「……寿命が縮むかと思った……」
私がへたり込みそうになると、横からガストンさんが苦笑しながら手を貸してくれた。
「本当だな。だが、最高の激励だった。……シャルル、お疲れ様」
「ガストンさんも、本物よりかっこいいって言われてましたね」
私が微笑むと彼は照れくさそうに頭を掻いた。
「ああ。……で、さっきの続きだが」
ガストンさんは私の顔をじっと見つめた。
「その……これから飯でもどうだい? 美味い店を知ってるんだが」
「えっ……! ほ、本当ですか!?」
私の心臓が、先程とは全く違う理由で早鐘を打つ。
「ああ。……っと、ルークも来るか?」
ガストンさんが、まだ床に転がって放心しているルークに声をかけようとした、その時。
「はいはい、ルーク君。あんたはこっち。衣装のほつれ直さなきゃいけないんだから」
衣装係のミアがすっと割って入り、ルークの襟首をがっしりと掴んだ。
「えー!? 飯はー!?」
「後で! ……まったく、空気読みなさいよ」
ミアは小声で呟きながら、ズルズルとルークを引き剥がしていく。去り際、私に向かってバッチリとウィンクを送るのを忘れなかった。
(ミア……! ありがとう!)
私は連行されていくルークとミアに、心の中で最大限の感謝と謝罪を送った。
「あはは。賑やかな奴らだな」
ガストンさんが豪快に笑う。
「じゃあ、シャルル。準備ができたら行こうか」
「……はいっ!」
平和な風が吹き始めた帝都の夜は、今日も恋と笑い声で賑やかになりそうだ。




