こぼれ話:『帝国劇場の天翼の軍師様』
帝都の大通りは、今日も活気に満ち溢れていた。
行き交う人々の笑い声、市場から漂う香ばしい匂い。かつての暗い影はどこへやら、誰もが明日への希望をその顔に宿している。
「あら、シャルル! 今日もお買い物?」
八百屋のおばちゃんの威勢のいい声に、私は買い物かごを抱え直して微笑んだ。
「ええ。今夜の舞台の前に、ちょっと腹ごしらえをね」
「まあ! 今夜も『天翼の軍師』様を演じるのね! 頑張ってちょうだいよ!」
おばちゃんは真っ赤に熟れたリンゴを一つ、おまけしてくれた。
そう、私の名前はシャルル。帝国劇場で今話題の演目『新生・天翼の軍師伝説』の主役を務める女優だ。
街を歩けば、至る所で軍師様の噂話が聞こえてくる。
「軍師様のおかげで、息子が戦地から帰ってきたんだ」
「新しい交易路ができて、商売繁盛だよ」
誰もが顔も知らぬその英雄に感謝し、その物語に熱狂している。私が演じるのは、そんな皆の希望そのものなのだ。
劇場に入り、楽屋の鏡に向かう。
白粉をはたき、銀色のウィッグを被る。
「ねえ、シャルル。最近、お客さんの入りがすごいわよね」
衣装係のミアが私の背中の紐を締め上げながら言った。
「ええ。前回の公演なんて、立ち見まで出たんですって」
「平和になったからねぇ。みんな娯楽に飢えてたのよ」
小道具係の青年がピカピカに磨き上げた「伝説の聖剣(木製)」を持ってくる。
「それに、この物語が好きなんだよ。絶望の中から現れて、誰も殺さずに勝利する……そんな綺麗な奇跡をみんな信じたいんだ」
準備完了のベルが鳴る。
深呼吸を一つ。私はシャルルから『天翼の軍師』へと変身する。
幕が上がる。満員の客席から熱気のような期待が押し寄せてくる。
私は舞台を舞う。剣を振るい、悪を討つ。その一挙手一投足に観客が息を呑み、歓声を上げる。
そして、クライマックス。
ワイヤーアクションによる空中浮遊のシーンだ。
「――いざ、浄化の時!」
私は合図と共に宙へ舞い上がる。舞台装置が光を放ち、私は光の粒子に包まれる。
だがその時。
バランスを崩し、体がぐらりと傾いだ。
(――っ! しまった!)
一瞬背筋が凍る。観客の悲鳴が聞こえた気がした。
だが、私は空中で無理やり体勢を立て直し、必死の形相で……いや、慈愛に満ちた女神の微笑みで、最後の決めポーズを取った。
「――光あれ!」
一瞬の静寂の後、劇場が揺れるほどの喝采が爆発した。
「軍師様ー!」「ブラボー!」
舞台袖に戻った私はへなへなと座り込んだ。心臓が早鐘のように打っている。
「危なかったわね、シャルル」
舞台監督が苦笑いしながら水を渡してくれる。
「ええ……。でも、なんとか誤魔化せたかしら?」
終演後、楽屋口には出待ちのファンたちが溢れていた。
「感動しました!」「勇気をもらいました!」
その笑顔を見ていると、疲れも吹き飛ぶようだ。
私は夜空を見上げた。そこには本物の軍師様が見ているであろう同じ月が輝いている。
「ありがとう、軍師様。あなたのおかげで、私たちは今日も笑って暮らせています」
いつか本物のあなたに会えたら。
その時は私のとびきりの演技で、あなたを笑顔にして差し上げますね。




