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第二十五話 諍い

「止まり木のような毎日と、ずっと続いていく(気がする)日々って、いったいどう違うんだろうね?」


 その小さな家では、1匹の精霊が、ティーテーブルに頬杖を突きながら、空になったティーカップを眺めていた。


「どっちも、ぼくらにとっては一瞬過ぎて、おなじにしか見えないよ」


 返事の代わりに、静かに紅茶をすする音が響く。


「ねぇレイン、彼女に会ってみない? ぼくはさ、どうしたらいいのかよく分かんないんだ」

「どうしてそこまで彼女にこだわるんですか」


 ようやく返ってきた返事の後に、焼き菓子をかじる音が響く。


「ぼくはさ、彼女に『しあわせ』になってみてもらいたいんだ」

「ほんと、暇人ですねぇ」


 カラカラカラカラ……


 焼き菓子をかじる音を遮り、ネズミが滑車を回す音が響く。


「おや、セバスチャンが起きたみたいですよ」


 返事の代わりに、夢見るような吐息が響く。


「しあわせって、どんな色なのかなー?」


 その小さな家では、1人の人間と、1匹の精霊が、いつまでもかみ合わない会話を続けていた。





               ◇  ◆  ◇





 その日は、ジークとヴァンは交代で町へ出ることになった。

 本当は2人で家の守りを固めたいところだったが、聖日祭前の慌ただしい時期に引き受けた依頼を、断るわけにもいかなかったのだ。


「フィオナは、必ず誰かと一緒に行動すること」


 朝食の席での会議で、開口一番に言われたウィルの言葉に、フィオナは頷いた。


 昨夜、フィオナの身の安全を最優先に考えるということで結論は出た。

 今は、今後想定される有事に対しての対応が話し合われている。


「フィオナはあまり出歩かない方がいい」


 そう言ったのはヴァンだ。フィオナは、危うくパンを喉に詰まらせそうになった。

 一日中部屋から一歩も出るな、と言われたらどうしよう、という思いが過ぎる。 


「あまり行動を制限するのも可哀相だけどね……」

「要は、何かあった時に守りやすいようにすればいいんだろ?」


 ウィルとカミュが意見する。


 ヴァンが万全を期したら軟禁状態になりそうなので、2人のフォローはありがたい。


「何かあった時は、書斎に逃げ込め。あそこが、この家で一番安全な場所だろう。守りやすいしな」


 2人の意向を聞き入れたのか、ヴァンの提案は有事の際に限定された。


「ジークと俺が、交代で外を見張る。カミュとラウは、家の中の守りを任せる。1階で俺たちと連携を取って、フィオナの身の安全を確保しろ」

「了解」

「分かった。任せとけ」


 それぞれの配置を指示したところで、ヴァンの目が、気付いたように斜め向かいの席に向けられた。


 頬杖を突き、フォークをぷらぷらと皿の上で揺らすユーリが、じっとヴァンを見ていた。


「……お前は安静にしておけ」

「おやァ? 優しいですねェ」

「怪我人を戦わすわけにはいかない。……くれぐれも無茶な行動は控えろ」

「…………」


 ふっと、張りつけていた笑みを消し、ユーリが黙り込む。


 無茶な行動、とは、まるで血気盛んな相手を諫めるような言い草だ。

 ユーリへの諫言にはそぐわない。

 そのことに違和感を感じ、ユーリを見るが、彼は前髪を掻き上げ、面白くなさそうに視線を逸らしただけだった。


「オレは?!」


 フォークを握りしめたまま勢い込み、リッドがテーブルに身を乗り出す。


「お前は、自分の身は自分で守れ。それと、むやみやたらに飛び出すな」

「えーっ」


 完全に戦力からはぶかれたリッドが不満の声を上げると、すかさずウィルが笑顔で提案した。


「じゃあリッドには、2階から、あやしいヤツがいないか監視する役をお願いするよ」

「おっしゃ! 任せろ!」


 相変わらず人の扱いが上手い。リッドが単純だというのもあるが。


「じゃあボクは、お子様が怪しいヤツを発見した時の伝達係を引き受けますヨ」


 同じく戦力外通告されたユーリが、立候補する。


 もっともらしく言っているが、つまりは、リッドがむやみに飛び出さないように見ておく、ということだろう。


 相手の意図をくみ取ったように、ウィルが微笑んだ。


「そうだね。そうしてもらえると助かる。俺は――」

「ウィルは、姫サンと一緒に隠れといた方がいいんじゃないか?」


 ウィルを遮ってのラウのセリフに、一瞬、その場の空気が止まった。


「おい、ラウ……」


 カミュが、不機嫌な声を出す。

 だが、彼の変化には気付かないように、ラウはさらに言い募った。


「前みたいなことがあったら危ないだろ? ひとりだと、すぐには逃げられないし」

「……うん、そうだね」

「大丈夫だって。2人はオレたちが守るから」


 胸を叩いたラウの、夏空のような笑顔に、ウィルが小さく微笑んで頷いた。


「お前な……いい加減にしろよ!」


 声を上げ、カミュが音を立てて席を立った。


「ウィルは男なんだぞ?! 何、お姫様と同じ扱いしてんだよ!」

「え、でも……ウィルが戦えないことは事実だろ?」


 普段の彼からは考えられないくらい、苛立ちを表に出したカミュとは裏腹に、ラウは首を傾げ、きょとんと言い返した。


「お前なぁ……」


 奥歯を噛み、大股でテーブルを回ったカミュが、向かいの席に座っていたラウの胸ぐらを掴んだ。


「いくら悪気がなくても、言っていいことと悪いことがあんだよ!」

「カミュ、いいんだよ。本当のことだし。俺は気にしてない」


 激昂するカミュを、ウィルが静かな声で宥める。

 ラウに掴みかかったまま、カミュがウィルを振り返る。その顔は、痛みを訴えかけるように歪められていた。


「すまないね、気を遣わせて」

「……っ」


 その一言に息をのみ、カミュがラウを離す。目を逸らし、一目散に駆け出した。


「カミュ?!」


 荒々しく玄関から飛び出した背中を追い、フィオナは慌てて立ち上がった。


 経験したことのない険悪な空気が、ダイニングに立ちこめる。


「あのっ……あの……っ」


 どうしたらいいか分からず、フィオナはダイニングテーブルを囲む面々を見回した。


 視線を落とし、黙する彼らのうち、誰一人立ち上がって追いかけないことに驚くが、同時に、使命感がむくむくと沸き上がり、フィオナを後押しした。


 ひとり下を向くのではなく、前を見据えたまま口を閉ざすヴァンを振り返り、フィオナは言い放った。


「私、見てきます!」


 許可をとる前に後を追う。



 今、彼をひとりにはしたくない。


 昨日、ドア越しにラウとの絆を語った声の優しさを知っているから、このままにはしておけなかった。





               ◇  ◆  ◇





 家の裏手を進んで森に分け入ると、緩やかな上り坂が続き、その先に小さな滝が流れ込む湖がある。


 フィオナが森の家に来て3日目に教えてもらった場所で、少し足を伸ばせば届く憩いの場として、ふらりと訪れる住人も多いらしい。


 彼の向かった方向から当たりをつけ、その場所を訪れると、滝のそばに、見慣れた少年の姿があった。


「あ~っ……くそっ……」


 素足で湖に踏み込み、滝に顔を突っ込んでいた少年が、毒づきながら頭を振る。


 夕陽色の髪から滴が飛んだ。


 その目が、森から顔を見せたフィオナを捉え、大きく見開かれる。


「げっ、お姫様来ちゃったの?」


 フィオナが水辺に寄ると、カミュが慌てて駆け寄ってくる。


「危ないだろ、こんなところ……」

「でも、カミュがいるもの」

「……ま、そっか」


 相手に先んじて言い切ると、カミュは濡れた髪を掻き上げ、肩の力を抜いた。


「俺、命に替えても守るって言ったもんな」


 その場を動かない意思表示として座り込むと、カミュがその隣に腰を下ろした。

 足で湖面を掻き、水面を波立たせる。


「何してたの?」

「頭冷やしてた」


 その波紋を見つめながら、フィオナが問うと、分かりやすい回答が返ってきた。


「あいつ……」


 両手で目を覆ったカミュが、背中から地面に倒れ込む。  


「ウィルはそんなに弱くねーよ、バーカ」

「うん、そうね」

「……って、結局俺がそこでキレたって、ウィルに気を遣わせるだけだ」

「…………」

「あ~っ」


 ごろん、と芝の上を転がるカミュは、己の行動を心底後悔しているようだった。


 こんなカミュは初めて見た。


 いつも大人びた視点で人をからかいつつも、世話を焼く彼の、少年らしい一面を見れて、不謹慎だが、なんだか新鮮な気分だ。


 思えば、カミュは今年で17歳になるはずだ。

 彼の故郷ではどうか知らないが、男性の17歳というのは、西大陸では新成人という立場にあたる。

 これは、15歳で新成人となった女性のフィオナも同じことが言える。


 新成人は大人だが、完全に大人ではないという猶予期間のようなもので、この間、彼らは子どもらしさを持つことを許される。


 そう――来年になれば、彼らは完全に大人にならなければいけない。

 1年という短い期間の中で、幼さや未熟さという殻を脱ぎ捨て、責任ある一人前の人間として振る舞わなければならないのだ。

 おおよそ子どもらしいこととは無縁だったフィオナにとって、この新成人としての1年に大きな意味はなかった。

 だが、今はもう少しこの期間が長ければいいのにと思う。


 ウィルを始め、大人達がリッドやフィオナを見る目は優しい。期限があることだからこそ、幼さや未熟さを歓迎してくれる。

 そして、今はそれに甘えてもいい期間なのだと、フィオナは知った。知るのが遅すぎた。


 カミュも新成人なのに、彼は完全に大人の顔をしている。

 彼の国では、17歳というのは大人なのかもしれない。でも、どこに住んでいようと、彼は体つきはまだ少年だし、気持ちだって、そんなに早く成長するものだろうか。


「ほんと、何やってんだ俺」


 俯せに寝転がり、草むらに頬をつけたカミュが呟く。


「別にラウが何言おうと、ウィルがどう思おうと、俺には関係ないのに」

「関係なくないわ」

「関係ねぇよ。二人の問題だ。俺が首突っ込むコトじゃない」


 わざと切り捨てるように言っている気がして、フィオナは否定した。

 だが、彼は頑なだった。


「それを勝手に熱くなって、ラウに喧嘩ふっかけて、ウィルに気ぃ遣わせて……バッカみてぇ」


 吐き捨てる声には、暗い後悔が滲んでいる。


「ゴメンな、フィオナ」


 彼でもこんな風に思い詰めることがあるのだと、今更ながらに実感していると、身を起こしたカミュに謝られた。


「こんなトコ、人に見せるつもりなかったんだけど」


 そう言って笑顔を作ろうとして失敗した彼は、決まり悪そうに湿った前髪を掴み、視線を逸らした。


(カミュって、もしかして……)


 気持ちを溜め込んでしまう人、なんだろうか。


 いつも明るくて、周りの空気を読んで行動する。

 フィオナともすぐに仲良くしてくれたし、さりげなく気を遣ったり面倒をみたりしてくれた。

 それも、相手に気負わせない方法で。


 そんなところを素直にすごいと思っていたが、フィオナが「すごい」と思う行動を常に取り続けるというのは、結構しんどいことなんじゃないだろうか、と初めて思い至る。


「私は見せて欲しいわ」


 それならば、せめて自分の前では気を楽にして欲しいと思った。


 彼の気遣いは嬉しいが、それでカミュが辛くなるのは本意ではない。

 その気持ちで言うと、カミュは少し驚いたような顔をした。


「結構スゴイこと言うね、お姫様」

「えっ?」

「何、もしかして自覚ないの? まいったな」


 フィオナと向かい合い、片膝を立てて覗き込んでくる彼の顔は、言葉に反して薄く微笑んでいる。


「こんな風に追いかけられると、いくら俺でも、ぐらっとくるんだけど」


 艶のあるアーモンド型の目を細め、伸ばされた手が後頭部に触れた。


「あんまり本気にさせないでよ……お姫様?」


 コツン、と、昨日と同じように額と額を合わせられる。


 紅い瞳の中に、自分の瞳が映り込んでいるのが分かる距離。


 でも今は、フィオナは涙を堪えているわけじゃない。


「……カ……」


 相手の名前を呼ぼうとして、唇が触れそうな距離に気付き押し黙る。

 いつの間にか両腕で頭を抱き込まれていて、相手のぬくもりを感じた。


「なんて……ね」


 唇に湿った囁きだけが触れ、その瞳が、視界からすっと消えた。


「カミュ……?」


 力尽きたように、フィオナの膝に顔を埋めるカミュ。

 両手で背中を抱きながら、彼は気付いたように謝った。


「あーごめん、濡れたかも」

「それは構わないけれど」

「ちょっと抱きしめたくなっちゃった。ごめんな?」


 軽い口調の割に、頬をよせる彼の横顔は、どこか疲れている。

 そんな顔で上目遣いで見られると、拒絶することもできず、フィオナは小さく息を吐きだして、膝の上の湿った頭に触れた。


 そういえば、まだ母が生きていたとき、こんな風に抱きついたことがあった気がする。

 遠い記憶をたぐりよせ、あの時の母と同じように、その頭を撫でた。


 意外そうに顔を上げたカミュの瞳が、フィオナの表情を捕らえ、すぐに安心したようにまた膝に顔を埋めてしまった。


 普段艶のあるウェーブを描く紅い髪が、水を含んでまとまっているだけで、随分と印象が変わる。いつもより、少し幼く見えた。

 髪を梳くフィオナの指に、心地よさそうに目を瞑るカミュは、まるで子どものようだ。


 その様子に、自然と笑みがこぼれた。


 子どもでいいのだ。

 彼も、フィオナも、まだ大人と子どもの中間にいるのだから。


 フィオナだって、誰かに傍にいて欲しいと思う時はある。

 今は、カミュにとってそんなタイミングなのではないだろうか。


 そんな時に、彼の隣にいられたことを幸運に思う。

 いつも元気づけられてばかりだった自分でも、彼の救いになれているのなら嬉しかった。


 どれくらいそうしていたのだろう。


 穏やかな気持ちで滝の音を聞いていると、深いため息が聞こえ、フィオナは手を止めて彼を見下ろした。


「まだ悔やんでるの?」

「まぁ、ね……」


 自嘲気味に笑う。


「らしくないことするもんじゃないよな。どんな顔して戻りゃいいんだか、全然分かんねぇ」

「普通でいいと思うわ」


 膝の上で身じろいだ彼が、頭の向きを変え見上げてきたので、フィオナはその目を見据えて言った。


「だって、カミュは何も間違ったことしてないもの。ウィルにも、カミュの気持ちは伝わってると思うし、きっと嬉しかったと思うわ」


 カミュは、軽く首を傾げて微笑んでみせる。

 あまり納得していないような仕草に、フィオナは言葉を重ねた。


「それに、なんというか……ウィルは優しいから、カミュが気にしてることを気にしてしまうと思うの。そうしたら、カミュはウィルが気にしてることを気にして……あら?」


 深く突きつめすぎて、軽く混乱してくる。


「ぷはっ、お姫様、色々考えすぎ」


 自分でもよく分からなくなり、視線を泳がせたフィオナに、カミュが吹き出した。


「でも、確かにその通りだな。なんかお互い気ぃ遣い合って馬鹿みてぇ……みたいな?」

「うーん……まあ、そういうことね。多分」

「よーく分かりました!」


 膝枕から起き上がり、カミュが歯を見せていたずらっぽく笑う。


「お姫様に馬鹿! って言われて、目が覚めたよ」

「い、言ってないわ。そんなこと!」

「ま、確かに、俺が引きずる方がウィルに気を遣わせるよな。分かっちゃいたのに、俺も考えすぎてたみたいだ」


 そう締めくくったカミュの表情は晴れ晴れとしていたが、先ほどから彼の中で、ラウ以上にウィルに対する後悔が強いようなのが気になって、フィオナは聞いてみた。


「カミュは、ラウのことは心配してないのね」

「ん? まあ、ついカッっとなって掴みかかったけど、あいつのことだから大丈夫だろ」


 ケロリと言うカミュは、本当にそう思っているようだった。


 彼は周囲の人間に対して、とても気を遣う。

 でも、ラウには違う。


(それって、他の人には、本当は心を開いてないってこと……?)


 そう思うと、気を遣われ筆頭の自覚があるフィオナは、少し寂しくなった。


「でも、正面から気持ちをぶつけることって、悪いことじゃないと思うの。カミュは、ラウには気持ちをぶつけるでしょ? それなら、ウィルたちにもそうしても、いいんじゃないかしら」


 ここで、ウィルの名前を持ち出すのは少し卑怯な気もしたが、自分の名を出すのも違う気がした。


「それは……」


 フィオナの強めの主張に、カミュは少しだけ言葉を選ぶように言い淀んだ。


「それは、多分、俺の性質」


 肩をすくめた彼の回答は、随分とサバサバしたものだった。


「俺、楽に生きたいタイプなんだよ。だから、今回のは本当にイレギュラー。マジで恥ずかしいから、お姫様も出来たら忘れて?」


 そう言ってウインクして見せた彼の猫科の笑みは――



 あまりにも、いつもと同じすぎて、違和感を感じた。



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