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第二十四話 静かな夜


 ランプの光を頼りに、フィオナは自室で詩集を開いていた。


 心を落ち着けようとしての行為だが、昼間と同様、まったく頭に入ってこず、諦めて本を閉じる。


 話し合いは、主にフィオナの身の安全に終始して、その日は、夜は交代で部屋を見張ろう、という話になった。


 今はジークが、部屋の外にいてくれているはずだ。


 皆気にするなと言ってくれたが、やはり申し訳ない気持ちになる。


 自然と、ため息が増えた。


 いつも守られてばかり、迷惑をかけてばかりだ。


「はぁ……」


 そしてまた、何度目かのため息。


 昼間に狙われたことは、あまり考えすぎないようにした。

 皆が真剣に、大丈夫、安心しろと口を揃えて言ってくれるので、あまり怯えすぎるのも、彼らの言葉を信じられないようで嫌だった。


 彼らは、フィオナの置かれた境遇を知っても、『仲間』だからと守ろうとしてくれている。

 突然転がり込んできて、迷惑になるだけの存在なのに、追い出そうともせず、無条件に手を差し伸べてくれる。


 その優しさに、胸が締めつけられた。


 彼らの優しさに、自分はどれだけ返せているのだろう――


 暇さえあれば、最近はそんなことばかり考えている気がする。


 机の前に座ったまま、フィオナは閉じた詩集を脇に置いた。

 代わりに、隣に積んであった本を手に取り、頁を開いた。


 100年前に滅んだ統一国家、ディーア大帝国時代を舞台にした、美しきカンソ川にまつわる若い男女の物語だ。


 フィオナが本を読むのが好きだと言ったら、ウィルが何冊か貸してくれた。


 今は時間があれば、誰かの仕事を手伝うようにしているので、昼間にゆっくり読むような暇はあまりはない。

 だから、夕食の後の、就寝前の静かな時間だけは、大好きな本の世界に浸る。


 リッドなどは文字を読むこと自体にアレルギーがあるようで、本を手に歩いているだけで「げっ」と身を引かれた。


 一国の王子であれば、読み書きは当然のこととして、教養として学問に触れる機会は多いはずだが、リッドは「オレ勉強きらい」と切り捨てた。


「ひとりで本なんか読むより、外でたくさんの友達と遊ぶ方が楽しい」と言い切るリッドの言葉は、きっとその通りなのだろう。


 ただ単に、フィオナには外でたくさんの友達と遊ぶ機会がなかっただけだ。


 フィオナにとっては、物語の中がたくさんの人との出会いの場だった。

 彼らの生き様や、感情を追うことで、フィオナは人の心の美しさや悲しさ、複雑さを学んだ。


 だが、彼らの気持ちが、フィオナに向くことはない。フィオナは眺めるだけだ。


(それなのに、この家に来てから、毎日たくさんの気持ちを向けられて……)


 それらに、ちゃんと返せているのか、不安だった。


 相手にどう思われているのかが気になって、自分がどういう人間なのかを考える機会が増えた。

 それまで外から眺める立場だったのが、急に物語の登場人物になってしまったようだ。


 だから、今日ユーリに言われたことが、ずっと心に残っていた。


 ……本当は、言われたこと以上にされたことがあるのだが、もうそれは、色々恥ずかしすぎて忘れることにした。

 記憶の蓋を開けると、寝ることが出来なくなりそうだ。


(本当に、なんなの……!)


 思い出しかけ、心が乱れる。

 首を振り、深呼吸をして、手にしていた本を胸に抱いた。自分に思い出すなと命じる。


 ユーリのあれは、出会った頃から変わらない。

 もはや彼なりのコミュニケーションなのだと、思い込むことにした。慣れることは出来ないが。


 代わりに、別のことを考える。


「頭カタい……のかなぁ……」


 言われた一言がこんなに気になるのは、他人に指摘されることに慣れていないからだろう。


(ココロをアタマで考える……?)


 それが悪いことなのかどうかも分からなかった。


 城にはたくさんの人がいたが、フィオナに本音を話してくれる人はいなかった。

 それこそラウの言葉を借りるなら、『エネルギー』の乗っていない言葉ばかりで、力なく投げられたボールのように、フィオナに届く前に地面に転がってしまう。


 相手がどう思っているのか、視線や仕草、雰囲気、いろいろなものから補って、想像を膨らますしかなかった。

 その上で、自分の置かれている状況や立場を考えて、どう行動するのが『正しい』のかを、いつも選択してた。


 思えば、「どうしたい」というのは、あまり考えたことがなかったかもしれない。

 ただ、求められるままにそこにいた。それが『自分』なのだと思い込んでいた。


 あの城にいたのは『白雪姫』という存在だけで、もしかしたら『フィオナ』という人間はいなかったのかもしれない。


 だから、『白雪姫』を取り払われた『フィオナ』は、こんなにもふわふわしていて、自分がどんな人間かも分からないのだ。


(……でも、ユーリのために「何かしたい」と思ったのは、本当)


「この家の一員になりたい」と、今ははっきりとそう思っている。


 お互いがお互いを想い合う、素敵な関係。仲間。家族。


 眩しくて、羨ましくて、憧れている。


「今のところ、全然ダメだけど……」


 彼らの穏やかな日常の邪魔をしている、トラブルメーカーだ。


 思わず心の声が口をついて出てしまい、慌てて口を塞ぐ。

 ドアの向こうには、見張りをしてくれている人間がいるはずだ。


 耳を澄ますと、ドアの方から、小さな物音がした。


「ジーク?」

「ゴメン、俺」


 返ってきたのは、予想とは違う声だった。


「カミュ? ごめんなさい」

「いや、さっき交代したトコだから。俺じゃ頼りないかもしんないけど」

「そんなことないわ」

「お姫様のことは命に替えても守るよ。俺、王子様だし」


 冗談交じりのセリフに、フィオナは笑みをこぼした。


「眠れないから、ちょっとお話ししてもいい?」

「もちろん、喜んで」


 快諾を得て、フィオナは本を抱いたまま、ドアに背を預けて座り込んだ。

 カミュも、同じようにドアにもたれているらしい。


 コンコン、と軽くドアを叩く音が聞こえ、フィオナも同じようにコンコン、と返した。


 同時に、含み笑いを漏らす。


「なに話す? お姫様」

「……ねぇカミュ。私ってアタマ固いと思う?」

「はぁ? 何ソレ」


 突拍子もない質問に、カミュの声のトーンが上がる。


「今日ユーリに言われたんだけど」


 それを聞いて納得したのか、少し間を置いてから、ハハッと笑い声が聞こえた。


「そんなの気にするなよ。ユーリの言葉なんて、いちいち真に受けてたら身がもたねぇぞ」

「そうかもしれないけど……」

「お姫様の頭が固いねぇ……どこが? ヴァンなら、放置したパンといい勝負できそうだけど。つか、あいつのアタマが柔らかすぎてゼリー状になってんじゃないの」

「ははは」


 カミュの軽口に笑う。彼の言う通り、あまり悩み過ぎることではないのかもしれない。

 少し気持ちが軽くなって、フィオナは話題を変えた。


「カミュって、どこから来たの?」

「え?」

「カミュとラウって一緒に来たのよね? なんか、ふたりともちょっと雰囲気違うし……どこか、遠くから来たのかなって」


 実はずっと気になっていたのだ。


 2人に共通する、健康的な肌色と、しなやかな長い手足。彫りの深い顔立ちも、どこか他の同年代の住人たちとは雰囲気が異なる。

 カミュの夕焼けのような紅い髪と紅い瞳も、この辺りでは見たことがない。


 なかなか聞くきっかけがなかったが、こうやって背中合わせの状態だと、聞きやすい気がした。


「言いたくないのならいいんだけど」

「……お姫様の秘密知っちゃって、俺の方は内緒っていうのはズルイよなぁ」

「それは、別に……」

「まぁ、ラウの許可とってないけど、いっか」

「……そっか、カミュのことを話すってことは、ラウのことを話すことにもなるのね」


 少し申し訳ない気になるが、カミュは「別に構わない」と言って、話を始めた。


「俺とラウは、ここからずっと南……海を渡った、別の大陸から来た」

「別の大陸!?」

「ははっ、驚いた? まあ世界を股にかけた商人でもない限り、そうそうないよな」


 フィオナの反応に、楽しそうに笑ってみせる。

 ふと、カミュの声に懐かしさが混じった。


「ここよりずっと暖かくて、森と水にあふれた豊かな場所だった。でもそんな場所は限られていたから、狭い土地に小さい国がひしめいてた。俺とラウは隣の国同士で……子どもの頃から交流があった」

「ラウが言ってたわ。2人は幼馴染みだって」

「まあそうだな。友好国で、交流も深かったから、よくお互いの国を行き来してた」


 フィオナは目を瞑り、想像してみた。


 ここからずっと遠い場所。

 海というのは、この大陸を覆う大きな湖のようなもので、4つの大陸を繋げているらしい。フィオナは、海を見たことがない。


 そんな広大な海を越えた、別の大陸。そこに、カミュとラウは住んでいた。

 暖かくて、フィオナの知らない植物や動物で溢れている。

 ここよりも太陽が近く、カミュやラウのような、明るく快活な人々が住む世界。


「ラウとは気が合ったし、2人とも王位とは、ほど遠い人間だったから、その辺の緊張感もなくて、俺としては兄弟よりも気安い相手だったな。ラウの方は知らねぇけど」

「2人は王子だったのよね?」

「ああ。でも俺末っ子で、上に12人も兄貴がいたし」

「じゅうににんっ?!」


 再び驚いた。


「多いと思うだろ? 俺たちがいたところでは、そんなに珍しいことじゃなかったんだぜ」

「カミュが末っ子って、ちょっと意外かも」


 リッドをからかったり、フィオナの面倒を見たりしてくれるカミュは、年齢以上に大人びて見え、しっかりしている。どちらかというと、下に弟や妹がいそうなイメージだ。


「あー、まあ甘える相手もいなかったからな。どっちかって言うと、一人っ子以上にたくましく育ったかも」

「そうなの?」


 聞くと、カミュは明るく笑い、話を続けた。


「ラウもまあ似たようなもんで、その上、あいつってマジ野心どころか競争心も何もなくて、こっちが大丈夫かよって思うくらいフラフラのんびりしてたからな。なんかほっとけなくて、ちょっかい出してるうちに仲良くなった感じ」

「なんだか想像つくわ」


 きっと、どこにいてもラウは変わらないのだろう。裏表がないのは彼の魅力だ。


 知らない異国の地で、底抜けに明るい笑顔で手を振るラウを想像して、フィオナは笑ってしまった。


 きっと、あまりにも「いい人」過ぎて、カミュは心配になったのだろう。


 口ではなんだかんだと言いながら、彼は面倒見がいい。


「でも、ある日突然戦争が起こったんだ」

「え……」

「俺の国と、ラウの国。友好国だったはずなのに、戦争が起こって、国は大混乱した」


 その声は淡々としていて、苦しいとか、悲しいとか、そんな感情を見いだすことはできない。


「その混乱に乗じて、俺とラウは2人で逃げたんだ」


 どうして、とは聞けなかった。


 カミュの説明には、たくさんの空白がある。


 カミュには12人の兄が居て、ラウにもたくさんの兄弟がいて、親がいて、友人も家臣もいたはずだ。


 その全てを捨てて、2人で大陸を渡るだけの理由が、カミュから伝えられる言葉だけでは、埋まらない。


「今日はここまで。ごめんな、お姫様」

「ううん……話してくれて、ありがとう」


 彼にとって、今話せるギリギリのところまで話してくれたのだと分かったから、フィオナは心から感謝を述べた。


「カミュとラウは、本当に親友同士なのね」

「…………」

「羨ましいな。そんな風に、大切に思える人がいるのって」


 正直に、思ったことを口にする。

 人生を分かち合える相手がいるというのは――それが友人であれ、兄弟であれ、恋人であれ――どんなにか素晴らしいことだろう。

 ひとりではないのだ。


「ヴァンとウィルも、すごくお互いを大切にしてるし」


 ヴァンは、ウィルのことを『守らなければいけない唯一の人』と言った。


 ヴァンにとって、ウィルは誰よりも大切な存在なのだ。

 そんな相手がいるのは、素直に羨ましい。


 羨ましいと同時に、自分を省みて、少し寂しくもなる。


(私にも、大切な人、出来るかな)


「あの2人って、不思議だよな」


 仲の良い兄弟を思い出していたフィオナの耳に、カミュの呟きが届く。


「カミュも不思議だと思うの?」

「そうじゃね? 2人の境遇考えると、絶対にあんな風にはなれないと思うんだよ。それなのに……」

「境遇?」

「あ……まだ聞いてなかったのな。やっぱ今のナシ」


 少し慌てたように、カミュが訂正した。


 ヴァンとウィルにも、彼らの事情があるのだろう。

 知らないことが少し寂しい気もしたが、人づてに聞くのは悪いので、フィオナは黙った。


「俺としたことが、ゴメンな。お姫様」

「いいのよ。教えてもらってないことを人から聞くのは、よくないと思うし」

「じゃあ、お詫びに1つだけ……ウィルってさ、俺の兄に似てるんだ」


 少しもったいぶった感じで言われ、フィオナは聞き返した。


「たくさんいるお兄さん?」

「いや、そのうちの1人だけ。一番上の兄貴で、俺が一番好きだった人」

「……ウィルみたいなお兄さんがいれば、きっと私も大好きになるわ」

「だよな。だからあの2人見てると、ちょっと羨ましくなるんだ。……ま、ヴァンのあの口うるささはどうかと思うけど」


 そんな軽口を叩くカミュの声は、暗い過去を話した時とは一転して明るい。


「これは誰にも言ってないから……お姫様と俺だけの秘密にしといてよ」

「分かったわ。2人だけの秘密ね」

「そうそう。イイね、その響き」



 声を潜め、笑い合う。




 夜は静かに更けていった。


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