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第二十六話 ラウの憂鬱

 家に戻ったカミュは、フィオナの言葉通り、本当に普通の顔をしていた。


 ウィルも、何事もなかったかのように彼に接し、すぐに日常のにぎやかさが戻ってくる。


 だが――


 ただ一人、ラウの表情に、いつものような底抜けに明るい笑顔はない。


 暗いわけではないが、どこか普段と違う雰囲気に、フィオナは彼に話しかけるタイミングを探り、落ち着かない気分でいた。


「ほっといていいと思うぞ」

「え?」


 急にそう話しかけてきたのは、リッドだ。


 聞き返すと、不満そうな顔で、目でラウを指された。


「オマエ、ずっとラウの方見てんじゃん」


 バレている。


「あいつバカで単純だから、明日になったら全部忘れてケロッとしてるって」


 そこまで言って、悪口みたいになってしまったと思ったのか、ふいっとそっぽ向いて付け足した。


「それがあいつのイイトコロなんだよ!」

「ふふっ、そうね……」


 リッドが言いたいことは分かる。


 でもやっぱり、このままではいけない気がした。


 なんとなく取り繕った日常というのは、少しずつ何かを歪めてしまうようで、不安がわだかまる。


 小さなすれ違いの積み重ねというのは、どこかでちゃんと修正しなければ、いつか取り返しのつかないことになるのではないだろうか。




               ◇  ◆  ◇




 ヴァンがジークと入れ替わりに外出し、少し監視の目が緩くなったところで、フィオナはラウの姿を探して、ひとり家の裏庭に出た。


 言いつけを破っていることにドキドキするが、きっと家の裏にはラウがいるからひとりではない。若干屁理屈なような気もしたが、そう自分に言い聞かせる。


 心持ち早足で向かうと、やはり目的の人物がいた。


「ラウ?」


 声をかけるが、相手は気付いていないようだった。


 もうすぐ日が落ちる。いつもとは違う時間の水やりに、彼が平常心でないことが現れていた。


 水を入れたジョウロを、腕を伸ばして振る。遠心力を利用して遠くまで水を飛ばす動作は手慣れているが、その横顔はどこか覇気がなく見えた。


 身長こそヴァンよりは低いが、十分に長身の部類に入る彼の長い手足と、しなやかで均整の取れた体躯は、遠目から見ても目を引く。


 少し癖のある金の髪が、日暮れ時の風にそよいで朱く煌めいた。


 親友のカミュ曰く、「黙っていれば絵になる男」だ。


「精が出るわね」

「ん……」


 近づき、そう声をかけると、ようやくラウの視線がフィオナに向いた。いつもなら元気に挨拶をしてきそうなところだが、彼らしからぬ淡い微笑みを返される。


「何か悩んでる?」


 十中八九、朝の喧嘩についてだろうが、問いかけると、ラウが水滴の行方を眺めながら呟いた。


「またやっちまったなぁと思ってさ」

「また?」

「オレさ、たまにやるんだよな。ああいう風に、カミュ怒らせるの」


 やはり、ラウの前では、カミュはそういった一面も見せるのだ。


「オレ、ほんとそういうのダメで。どうして怒ってるのか、よく分かんなくて」


 断片的な言葉を並べるラウは、そういった悩みを人に話すことに慣れていないようだった。


 独り言のようにこぼすそれを、フィオナは真剣に聞き入った。しっかりと、彼の気持ちを理解したいと思った。


「でも、きっとオレが悪いんだろうなーと思って、つい謝っちゃうんだけど、なんでか余計怒らせることがあって」


 それは、理解していないまま謝ることに対して、腹を立てているのではないだろうか。


 ちょっと聞いただけでも原因が分かりそうなことだが、どうやらラウはやはり理解していないらしい。

 こういったことは、当事者よりも第三者の方が分かりやすいのかもしれないが。


「理由は聞かないの?」


 きっと理由を聞けば、カミュははっきり答えてくれるはずだ。お前のここが悪い、と面と向かって言える。二人はそういう関係だと思った。


「いや、聞くは聞くんだけど……」


 ラウが言い淀む。空いた方の手で顎を撫で、顔をしかめた。


「うーん」


 考えを絞り出すような唸り声は、今ひとつ緊張感に欠けた。


「ソレが何で、腹が立つのか分からなかったり……そんなに気にすることか? と思ったり……」

「…………」


 なんとなく分かった。


 彼は、根っからの楽天家なのだ。


 とてもおおらかで、細かいことを気にしない。


 だから、他人の負の感情に疎い。彼自身が気にしないことでも、他人にとってはとても傷つくことかもしれない。

 その差を埋めるのが、得意ではないのだ。


 対するカミュは、とても人を見ているし、人の気持を汲み、臨機応変に対処することに長けている。

 だから、ラウに対して腹を立てることがあるのだろう。


「気をつけようとはしてるんだけど、なかなか直らなくてさ。最近は結構諦められてるかも」


 ハハッ、と笑う声に力はない。


「ラウは、どうしてカミュが怒ったか、分からないの?」

「…………」


 責めるようなつもりで言ったわけではないが、そう聞こえたかもしれない。

 黙り込んでしまったラウに、そんな不安が過ぎったが――


「うーん……」


 分からないらしい。


 真剣に考えての間だったようで、ラウは腕を組んでしゃがみ込み、難しい顔で唸っている。


「姫サンは分かる?」

「そうね……なんとなく」


 頷くと、上目遣いで青い眼が窺ってきた。


「答、聞くのって卑怯かな?」

「分からないことは素直に聞く方がいい、って、家庭教師の先生がおっしゃってたわ」

「そっか」


 ラウの表情がほっとしたように弛む。素直な反応に自然と笑みが浮かび、フィオナは少しだけ先生のような気持ちで、質問に答えた。


「カミュが怒っていた理由、それは多分……」


 これは、本当にフィオナの想像だ。


 だけど多分、間違ってはいない。


「ウィルが、とても強い人だからじゃないかしら」

「ウィルが?」

「確かにウィルは歩けないけど……それ以外の部分は、とても強いもの。きっとウィルなら、歩けなくても戦える方法を考えてしまいそう……って思うくらい」

「歩けなくても戦える方法……確かに」


 真剣な声で復唱し、歯を見せたラウに目線を合わせる。示し合わせたように笑みを交わすと、心が通じ合ったような温かい空気が流れた。


「姫サン。オレ、何となく分かった……かも」


 居心地の悪くない沈黙の後、ラウがジョウロを置き、言葉を発した。


「オレ、ウィルの強い部分を見過ごして、戦えないって決めつけたんだな」


 さっきまでの、ふわふわと定まっていない言葉とは違い、しっかりと地に足がついた声だった。


「あとでウィルに謝るよ。理由が分かったから、ちゃんと『エネルギー』込めて謝れる気がする」

「そうね、きっと大丈夫。ちゃんと伝わるわ」


 もう一度笑い合い、立ち上がる。

 どちらともなく「家に戻ろうか」と口にしようとした矢先――



 金属と金属がぶつかり合う鋭い音が、夕暮れの森に反響した。



「姫サン!」


 ラウが、俊敏な動作でフィオナを抱きしめる。一気に緊張した空間で、ラウの呟きがすぐ頭の上から聞こえた。


「表の方だ」


 もう一度、耳障りな音が響く。これは――紛れもない剣戟だ。


「フィオナ、どこだ?!」


 家の中から、緊迫したカミュの声が届く。

 返事をしようとしたフィオナの口を塞ぎ、ラウが叫んだ。


「カミュ! オレはここだ!」

「なにしてんだ! 早く裏口から入れ!」


 腕の中で硬直していたフィオナを、青い瞳が覗き込む。


「シッ。姫サン、黙って。落ち着いて動くんだ――大丈夫、君はオレが守る」


 相手の狙いはフィオナだ。声を聞かせ、位置を悟らせるのは得策ではないとの判断だろう。

 唇に当てられた人差し指と、冷静な声、そしていつになく真剣な眼差しに解凍されるように、フィオナは黙って頷いた。




「馬鹿野郎、こんな時に外に出やがって……」

「悪い、カミュ!」

「フィオナは書斎に! ウィルがいる」

「はいっ!」


 裏口から迎え入れてくれたカミュは、文句もそこそこにフィオナの手を取り、書斎へと向かう。


 まだ剣戟は続いている。家の前で何が起こっているのか、嫌な想像ばかりが巡り、ウィルがいる部屋までの道のりが、随分遠く感じた。



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