表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
28/55

第二十七話 月下の双翠

 ヴァンと交代し、ジークが家の周囲を見回りに出た、その時だった。


 小さな羽虫の羽ばたきに似た、空気の悲鳴。


 確実に顔を狙ってきたその矢を、後方に飛んで避ける。が、その動きを見越したように第二、第三の矢が立て続けに襲った。

 その全てを辛うじて避け、ジークは森に飛び込んだ。


 まだ太陽は空に残っているが、鬱蒼とした森は薄暗い。矢の飛んできた方向から予測し、射手の気配を追う。


 誘うように飛んできたもう一投を、抜いた剣で叩き落とす。

 相手の居場所を確信し、一足飛びで距離を詰めたジークは、大振りで繁みを切り払った。


 飛蝗が飛び出すように、その場から大きく跳び退いた相手が姿を現す。


「ふん、よく避けたな」


 距離を保ったまま対峙した射手は、まだ年若い男だった。


 自分の背丈にほど近い長弓を手にした少年は、15、6歳といったところだろう。

 涼しげな目元に、意思の強そうな眉。形のよい唇を引き結んだ顔は凛々しい。


 頬の輪郭にまだ幼さが残るが、少年然とした外見に比べ、彼自身が一人前の男として立ち振る舞おうとする意気が、表情からにじみ出ていた。


「……騎士、か」


 少年は赤みの強い茶髪をきっちりと詰め、後ろで短い三つ編みにしている。

 動きやすい革の肩甲と膝鎧。禁欲的な詰め襟の、略式の騎士服は茶を基調にしたシンプルなもので、階級章や紋章は見当たらない。


 だが若いということを除けば、いかにも騎士らしいその少年は、どこか気取った風な口調で、顎を上げた。


「白雪姫を返してもらおう」


 少年の視線がジークの斜め後ろ、上方に動いた。


 真後ろに現れた殺気に、とっさに振り返り剣を掲げる。耳障りな剣戟と衝撃。


 少年の目の動きから、ある程度予想して構えなければ防ぎきれなかっただろう。重い一撃を受け止めたジークの耳に、間延びした賛辞が届いた。


「へー、不意打ちのつもりだったんだけど……アンタやるね」


 とっさに地面を蹴り、かみ合わせた刃を離す。ジークは体勢を整え、強襲者を見た。


 剣を構えた男は、やはり黒を基調とした略式の騎士服に身を包んでいた。

 その目は長い前髪に隠れているが、確実にジークを見据えている。


 隙を見せないよう二人から距離を取り、ジークは短く問うた。


「……彼女を狙ったのはお前か」


 すると、赤毛の少年がムッとしたように声を荒げた。


「僕は狙っていないぞ! 白雪姫が勝手に飛び出してきたんだ! それより! 白雪姫に怪我はなかったんだろうな!?」

「…………」


 自分がやっておきながら、責め立てるような物言いに、呆れてものが言えない。


 というか、元々無駄な口を開かないジークは、いつも通り無言を貫いた。


 が、それを相手は悪い方に受け取ったらしい。


「おいおいマジかー。キア、お前もう打ち首だな。決定。いやー、長い付き合いだったなー」

「アルヴィス貴様な……!」


 剣士の方が頭を掻きながら大げさに嘆く。言い返す弓使いの方も、やや青ざめていた。


「おい貴様! それは本当か? 容体はどうなんだ!? かなり悪いのかっ?」

「……軽傷だ」


 答えてやる必要もなかったが、しつこく問い詰められるのも面倒だったので、ジークは短く答えた。その言葉に、安堵したように少年が大きく息を吐く。


 だが、剣士の方は、緊迫感のない声でさらに嘆いた。


「軽傷でも傷モンは傷モンだよなー。あーあ、お前が考えなしにつっぱしるから……」

「貴様が、誘拐だ、早く何とかしないとマズイと言ったんだろうが!」

「だーって、複数人の男に誘拐されるとか、どう考えても色々ヤバイ気がするだろー? 主に純潔的な意味で」

「じゅっ……貴様ぁぁっ! 僕の前でふしだらな話をするな!」

「あー、ハイハイ。すみませんでしたー。キアルディ君は品行方正な騎士の鏡を目指してるんでしたねー。でもやってることはヤクザだからねー。ほんっとお前、その辺のバランス取れないよな」


 キアルディと呼ばれた少年が、アルヴィスの胸ぐらを掴み上げて怒鳴る。


 相方と頭一つ分は差のある長身の剣士は、揺さぶられながらも軽くいなしている。その光景が、実弟と仲間の少年のやりとりとデジャヴした。


 ともあれ、彼らの意識が離れた瞬間を狙い、ジークは素早く踵を返し、来た方向へと駆け出した。



「あっ! 逃げた!」

「クソッ!」


 二人の言い合いの隙を見て引き返した男に気付き、キアルディはすぐさま矢を射った。

 が、攻撃を見越し、木の幹を盾にしながら逃げる相手を捉えることは出来ず、舌打ちする。


 家人に気取られないよう、馬は河辺に繋いである。取りに行く暇はない。頭で判断する前に、キアルディは男の後を追った。


「くそ、合流されると厄介だぞ。僕の、誘き出して背中からざっくり! カンタン各個撃破作戦がッ!」

「そんな作戦名だったのか……てか、お前『正々堂々』とか『正道』って言葉知ってる?」

「警戒されたら、次の、あの車椅子の女を人質にとって脅す作戦が難しくなる。阻止するぞ相棒!」

「……ま、どーでもいいけど」


 外道すぎる相棒の思考回路をいちいち否定する気もないが、これではどう考えてもこちらが悪役だ。


 確か、『誘拐された白雪姫を助ける』という目的だった気がするのだが。


 拭いきれない違和感を感じつつ、アルヴィスは先を行く少年の背を追った。





               ◇  ◆  ◇





 二人が追いついた時には、灰色の髪の剣士は、森の中なのに門がある、奇妙な家の前で待ち構えていた。


「くそっ、逃げ足の速い……!」


 この期に及んで繁みに隠れたまま、キアルディが毒づく。

 門の前に立つ青年を睨みつけていると、家の中から別の男の声が聞こえた。


「ジーク!?」

「あー、気付かれたよ……」


 こちらはあまり隠れる気もなく、キアルディの後ろに突っ立ったまま、ただ状況を口にするアルヴィス。


「カミュ、敵襲だ。すぐにフィオナを安全な場所へ」

「ああ!」


 家の中の者と意思疎通した青年――ジークが、改めてアルヴィスらに向き直る。


「……ここから先は、通しはしない」


 門前に仁王立ち、剣先を向ける男の目は濁りなく、冷たい。決意の固い言葉を前に、アルヴィスがぼやいた。


「なー、コレ完全に悪役じゃね? 俺ら」

「何を言っているアルヴィス、これは崇高な聖務である。やい貴様! 大人しくこちらに白雪姫を渡せ! さもないと、ここでこのアルヴィスの剣の露となってもらうぞ!」

「俺っ?」


 いかにも悪役なセリフからの流れで丸投げされる。無論、しゃがみ込んで繁みに隠れたまま言っても格好はつかないのだが、相手の力量を悟り、および腰になっている時のキアルディは、そこまで頭が回らない。


 今更他人のふりもできないので、せめてもの体裁を整えようと、丸投げされたアルヴィスは柄に手をかけ、ゆっくり繁みから歩み出た。


「さあ行けアルヴィス! あのお方のために! 白薔薇の騎士の名の下に、悪を打ち砕け!」

「やめて。その名前、恥ずかしいからやめて!」


 柄にもなくなんとか格好をつけようとしたのだが、追い打ちをかけるキアルディの恥ずかしいセリフに、その努力も打ち砕かれる。


「白薔薇の騎士……?」


 その言葉に反応し、人形のように無表情だった男の眉が、僅かに動く。


「恥ずかしいから復唱すんなって、おにーさんよ!」

「……!」


 それを相手の隙と判断し、一気に距離を詰めたアルヴィスの先制攻撃を男の刃が受け止めた。


 金属の打ち合う音が夕暮れの森に反響し、十数羽の鳥が一斉に飛び立つ。


 重苦しい羽ばたきと、けたたましい嘶きの余韻を断ち切り、剣戟が重なった。


「……っ」


 一進一退の攻防の末、刃を合わせ膠着状態に入った二人に、威勢の良い声がかかる。


「いいぞアルヴィス! 作戦通りだ!」


 なんの作戦だよ……と、内心突っ込むが、口に出す余裕はない。が、相手は聞いてもいないのに答えてきた。


「貴様がつばぜり合いをして動けなくしている隙に、僕が安全な場所から狙い撃ちする魂胆だ!」

「お前の腹が汚いのはもうどーでもいいが……」


 自力で押され始めているのを悟り、アルヴィスは一度大きく身を引いた。相手の力を受け流し、上体を捻って再度攻撃に転ずる。


「その考えてることを、いちいち口に出さなきゃ行動できない単細胞はどーにかなんねーのかっ」


 上段から打ち下ろした一撃を、やはり相手は受け止めた。この男の防御は鉄壁だ。

 先ほどからかなり不意を突いた攻撃を仕掛けているが、いずれも先読みされたように防がれる。


「めんどくせーな……ッ」


 激しい動きにアルヴィスの長い前髪が揺れ、その下から、黒い眼帯をした素顔が現れる。

 切れ長の右目が、苦々しい色を滲ませ戦況を見据えていた。


 正直、かなり余裕がない。


「……大変そうだな」

「おかげさまで!」


 皮肉にも聞こえない淡々とした口調で同情され、礼の代わりに剣を一閃する。

 左に跳び避けた男に合わせ、距離をとり対峙すると、今まで後方にいたキアルディの姿を視界に入れることができた。


「……っキア!」


 キアルディの背後に映った白い影に、アルヴィスは声を上げた。









 ――日が落ちる。


 アルヴィスがなかなか出来るらしい剣士と刃を交えている間にも、釣瓶落ちのように陽は落ち、夜が侵攻を始める。


 半分よりも太った月が、今や遅しと濃い紫の天に浮かぶ。


 いずれ、完全な闇が来る。


 一足先に深淵の闇に染まった森を背後に、キアルディは自らの弓に手をかけた。


 どうやら、アルヴィス一人では手に余る相手らしい。

 もとより一騎打ちなどは考えていない。どうもキアルディの作戦通りには、相手の動きを封じられないらしく、激しく立ち位置の入れ替わる彼らを狙うのはリスクが高かった。そのため、二人が離れた隙を狙っていのだ。


「ふんっ……」


 弓だけは誰にも負けない自信がある。キアルディは、獲物が隙を見せる絶好の機会を見逃さない。


(今――)


 そう思った時、アルヴィスがこちらを見て叫んだ。


「……っキア!」


 それが、何かを警告するためのものだと悟る前に――


「させませんヨ」


 背後から聞こえた囁きが、激しく背中を殴打する。


「ぐぁ……ッ」


 肺から息が無理矢理押し出されるような声が漏れる。強い衝撃に、半ば自ら飛び出すように繁みを転がり出たキアルディが、不安定な体勢のまま未確認の敵を射た。


 目の前で何かが一閃し、至近距離から射たはずの矢が叩き落とされる。

 矢はすぐ足下に転がり、右手に痺れが残った。叩き落とされたのは、射る直前だったらしい。


 剣にはあり得ないリーチで、キアルディから武器を奪った相手は、


「――槍使い!?」


 月下に浮き上がる、白。


 キアルディは目を瞠ったが、相手は、どこか小馬鹿にしたような笑みで首を傾げただけだった。


 灰色の髪に、翠の瞳。どう見ても、先ほどの剣士と同じ顔だ。だが、剣士は今もなおアルヴィスと対峙している。


 すぐに彼の衣装が、王都の医者や学者連中が着ているような白衣であり、その右腕が赤く血で染まっていることに気付いた。


「お前、昼間の……」


 急に窓際に飛び出してきた白雪姫を、矢から守って傷を負った男だ。


「服汚すのイヤなんで」


 全くかみ合わないことを言って、男が左腕で長槍を回す。


「これなら、今更返り血ついても気になりませんしねェ」


 薄ら笑う男の眼が、酷薄に細められた。


「弓使い」

「くっ……」


 その短い一言に不気味な殺気を感じ、キアルディは一目散に剣士と対峙するアルヴィスに駆け寄った。背を合わせ、互いに相手と対峙する。


 徐々に敵と距離が縮まる緊迫感に耐えきれず、キアルディが叫んだ。


「まずいぞアルヴィス! 2対2だ! 僕は正々堂々の直接対決に弱い!」

「知ってるけど、威張んないでくれるかなっ!」


 アルヴィスが肩を落とす。視線は剣士から外さないまま、投げやりに指示を出した。


「もーいいから、お前は森の中に逃げろ! キア、繁みに身を隠して俺を援護しろ!」

「それは素晴らしい作戦だ相棒! 見えないところから狙い撃つのは僕の得意分野だ!」


 賛美するや否や、敵二名から離れられる方角に、森を目指して駆け出すキアルディ。


 迷いのない彼の行動に、呆れとも感心ともつかないため息をつき、残されたアルヴィスは二人の男と対峙した。


「つーわけで、アンタらの相手は俺だ」

「興味ないですねェ」

「何……?」


 槍を持った男の方が、肩をすくめていなす。


「弓使い」


 その目が、赤茶の髪の後ろ姿を捉える。


「そっちには借りがあるんでねェ」

「キア! 気を付けろ!」


 何か仕掛けてくる。そう直感し、警告したアルヴィスの声に、キアルディが走りながら振り向いた。


 火薬が弾ける音。そして、強烈な白い光。


「花火?!」


 一瞬の閃光に目を灼かれ、アルヴィスは右眼を瞑った。キアルディが足を止め、悲鳴を上げる。


 その隙に閃光弾を投げた張本人は、白衣を翻し、地を蹴った。

 飛ぶような身軽さで標的に追いつき、左手に掲げた槍を回す。


 目を覆って動かないキアルディの肩口を狙い、柄の部分を垂直に打ちつけた。流れるような動作で、長い槍身を切り返し、下から腹を打ち上げる。


「うあっ……!」

「キア!」


 悲鳴を上げ、仰向けに倒れ込んだキアルディに、アルヴィスが駆け寄った。

 入れ替わるように、槍使いが身を引く。小脇に槍を抱え、同じ顔の剣士と背中合わせに立った。


 横に並べば、更に際立つ。さながら月下の合わせ鏡のような彼らは、見る者に異次元に迷い込んだような奇妙な感覚を与えた。


「やれやれ……」


 姿形は同じでも、まったく雰囲気の違う片割れが、おどけた様子で息を吐く。


「久しぶりにこんなもの引っ張り出しましたヨ」

「……久々にしては、悪くない動きだ」

「それはどーも」


 適当に答える彼に、「弓使い」に対して見せた異様な執着はもうない。


「おい、キア、大丈夫か?」

「くっ……大丈夫なものか! 僕はものすごく痛いぞアルヴィス!」

「大丈夫そうで良かったわ」


 アルヴィスは、痛みに呻く相棒を抱き起こした。キアルディは元気に喚いている。


 槍使いは決して刃を使わなかった。殺す気はなかったということだ。打撃自体に手加減がされていたとは思えないが、存外丈夫なキアルディは、自力で歩ける程度には無事らしい。


「あ」


 唐突に思い当たり、アルヴィスは双子の戦士を振り返った。


「なんか、見たことあると思ったら」

「どうしたアルヴィス!?」

「キア、この双子――ホラ、行方不明になってる……東の――」


 その時、どこからか馬の嘶きが聞こえた。


「オヤ、お帰りのようですヨ」


 双子が同時に顔上げる。夜風に乗る音に耳を傾けるようにして、片割れが言った。


 すぐに嘶きと馬蹄の音が近くなり、間もなく朗々たる男の声が響いた。


「ジーク、ユーリ!」


 森の中から巨大が影が姿を現し、月光の下で馬上の人の形を取る。


「でかっ……」


 アルヴィスは呻いた。まるで王都の広場に鎮座する、アルフォンス大帝の凱旋像を思わせるような、呆気に取られる大きさだった。


 たてがみから爪の先まで漆黒に塗られた馬が、一足飛びに双子と襲撃者の間に立つ。


「何者だ、貴様ら!」


 馬上で剣を抜いた男は、総毛立つような気迫で問うた。その身から迸る威厳は、彼らの主に勝るとも劣らないものがあった。


「これはさすがにムリっしょ……」


 戦う前から迫力負けしている。呻くアルヴィスの隣で、キアルディが素早く決断した。


「アルヴィス! こういう時は逃げるが勝ちだ!」

「全面同意」


 逃げるが勝ち。これは、幼い頃から彼らに共通した理念である。


「今日のところは見逃してやる! だが、必ず白雪姫はいただくぞ! 覚えておくことだな!」


 はーっはっはっはっ! となぜか高笑いまで響かせて、キアルディが今までにない走りを見せて森へと駆け込む。その後をアルヴィスが追った。





               ◇  ◆  ◇





「イイの? 追いかけなくて」

「……その気が失せる」

「そーだねェ」


 彼らの逃げる姿を見送り、一応問いかけてみたユーリは、兄の言葉に同意した。


「今のが昨日の輩か?」


 クンツァイトを降り、確認してくるヴァンに、ジークが頷く。


 ジークが、短いが要領を得た言葉で状況を説明すると、ヴァンが思案するように森の闇を見据えた。


「隻眼の剣士と弓使い――」

「剣士の方は……20歳(ハタチ)ソコソコ、弓使いは15、6ってトコじゃないですかねェ」

「どちらも騎士らしい出で立ちをしていたが、所属が分かるようなものはつけていなかった。だが……『白雪姫を返せ』と。彼女の安否と、傷がつくことをかなり気にしていた」

「…………」


 2人の説明に、ヴァンが黙り込む。


 今や、完全に夜の帳は落ちた。沈黙の狭間に、低い梟の声が滑り込む。


 彼らの正体に想像を巡らし、落ちた沈黙をユーリが破った。


「残念ですねェ、ヴァン。あんまり遅いんで、ボクがおいしいトコロ頂いてしまいましたヨ」

「……というか、ユーリ。なぜお前がここにいる」


 からかうように言うと、ヴァンがニコリともせず、ユーリを睨んだ。


「大人しくしてろと言ったはずだが?」


 槍を目に止めた彼の声が、より厳しくなった。


「おやァ?」

「無茶をするなと言ったはずだ。お前がリッドより先に飛び出してきてどうする」

「大丈夫ですヨ。ボク、左利きなんで」


 肩をすくめ、軽い調子で言い返したユーリに、ヴァンの眉間の皺が深くなる。


「心配してくれてるんですかァ? 珍しいコトもあるもんだ」

「お前が柄にもなく熱くなるからだ」

「…………」


 さらりと返された言葉に、珍しくユーリの方が沈黙する。そこで会話が終了したと判断したらしいヴァンが、クンツァイトを放し、門に向かって歩き出した。


 そのやや後ろをジークが、かなり距離を開けてユーリが歩く。家に帰るのだ。


「……あーァ、ホント嫌ですねェ。この兄弟」


 頭を掻き、月を見上げたユーリの声には、ささくれだった苛立ちが混じっていた。


 月にかかる雲はなかったが、風がどこからか湿った空気を運んでくる。


 明日は、雨が降るかもしれない。


「ユーリ」


 前方から届いた声に、ユーリは視線を向けた。


「フィオナが軽傷で済んだのは、お前のおかげだ。感謝している」


 名を呼んだ本人は、振り返ることもせず、いつも通り仰々しい物言いで謝辞を述べた。


 ユーリは、彼のこの喋り方が好きではない。


 好きではないが、珍しく、まともに耳を傾けることにした。


「消える傷を気負う必要はない」


 この男は、兄ほど器用ではないし、聡くもない。だがたまに、あの不愉快なくらい人を見透かす兄王子と――やはり兄弟だと思わせるほど、似通う時がある。

 ――そういう時は、ひどく憎らしくなる。


「背負う必要があるのは、消えない傷を残した時だけだ」


 月明かりの下の背中を、ユーリは目を細めて透かし見た。そうしたところで、相手の表情も、感情も、見ることは出来ないが――



 その言葉は、誰に対してのものなのか。


 ユーリは問わない。



 だが、月はその答を知っているように、彼の頭上で静かに微笑んでいた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ