第9話:【罠】企業案件? 「透過型スーツ」の誘惑
整備工場のデスクで、凛音が眉間に深いシワを刻みながら、ホログラムの企画書を睨みつけていた。
「……企業、案件?」
送り主は、業界最大手の音響・軍事複合メーカー『ニューロ・オーディオ・ダイナミクス社』。
内容は、彼らが開発した次世代用パイロットスーツの『先行テスト配信』の依頼だった。
「白華の『生体共鳴配信』に目をつけたわけね。……ふん、なかなか目ざといわ。でも、報酬額はどうせ大したことない……えっ。ゼロが一つ多い!」
「えぇっ!? そんなに? それだけあれば、凛音ちゃんの欲しがってた最新の基盤も買えるかな?」
白華は横から画面を覗き込みながら目を輝かせる。凛音は「それはそうだけど……」と歯切れの悪い顔をして、添付されていた新スーツの3Dモデルを展開した。
「問題は、これよ。……見て」
画面に映し出されたのは、白華の肌に直接触れることになる新型パイロットスーツ。一見すると洗練されたデザインだが、関節部や胸元、腹部といった主要なバイタル計測ポイントが、極薄の半透明素材に置き換わっていた。
「……ねぇ、凛音ちゃん。これ、なんだか透けてない?」
「透けてるどころじゃないわ。この『バイオ・アコースティック・ファブリック』は、肌との密着度を極限まで高めて、毛穴の収縮音まで拾い上げるための特殊素材よ。……つまり、視覚的にも物理的にも、ほとんど何も着てないのと変わらないわ!」
凛音の声が、怒りと羞恥で低く震え始める。
「これじゃ、白華の何もかもがリスナーに筒抜けじゃない! 心音どころか、筋肉が動く音も、肌が擦れる音も、全部……っ! こんなの、ただの露出狂スーツよ! 断るに決まってるでしょ!!」
凛音が勢いよく不採用ボタンを押そうとした、その時。
「待って、凛音ちゃん」
白華はそっと、彼女の手に自分の手を重ねた。
「……白華?」
「私、やってみたい。……だって、そのスーツを使えば、もっと『綺麗な音』がみんなに届くんでしょ?」
「綺麗っていうか……それは、その……」
凛音が言い淀む。白華は、真っ直ぐに彼女の瞳を見つめた。
「凛音ちゃんは、私の音がみんなに聞かれるのが恥ずかしいんだよね? ……でも、私はね。みんなが私の声で元気になったり、安心してくれたりするのが、すごく嬉しいの。それに……」
白華は少しだけ声を潜めて、凛音の耳元で囁いた。
「凛音ちゃんが作る『最高の設定』なら、私、どんな格好でも怖くないよ」
「…………っ、……あ、……ぅ」
凛音は一瞬で顔を茹でダコのように真っ赤にし、パクパクと口を動かした。その隙を見逃さず、補助AI“エコー”が淡々と告げる。
『――マスター白華の承諾を確認。企業側へテスト配信の受託を通知しました。新型パイロットスーツ、24時間以内に到着予定です』
「エコーぉぉぉ!! 早まんなって言ったでしょ!!」
凛音の悲鳴が工場に響くが、一度動き出したビジネスは止まらない。白華は、画面に映るあまりにも薄いスーツのモデルを見ながら、頬を少し熱くして呟いた。
「……やっぱり、ちょっと恥ずかしいかな。でも、頑張らなきゃ」
「……こんなの恥ずかしいに決まってるでしょ。バカ」
凛音は顔を背けながら、逃げるように作業台へと戻っていった。その背中が、いつにも増して重い決意を語っていることに、白華はまだ気づいていなかった。
「……こうなったら、一音たりとも『余計な音』は拾わせないわ。ノイズゲートの閾値を……感度の設定を……っ。白華、覚悟しなさいよ。世界で一番エロい音なのに、世界で一番神聖な音に仕上げてやるんだから……!」
「凛音ちゃん、今エロって……?」
「な、何でもないわ! 気にしないで!」
凛音の独り言は、もはやメカニックの域を超えて、狂気の天才調律師のようだった。
かくして、史上最大のバズりが約束された企業案件配信の幕が上がろうとしていた。




