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3話「魔法を使ってみよう」

 病院の入院施設にしては、あまりに殺風景な通路。真っ白な閉め切った扉が一定の間隔を開けて両側の壁に並んでいる。

 途中、大きな鏡のような窓を見かけて自分の見た目をようやく認識した。

 ブルーグレーの背に届きそうなほど長い髪が、肩から流れている。長い前髪から微かに覗く、蜂蜜を焦がしたような瞳が、私自身を睨んでいた。私は目付きが悪いようだ。エメラルドグリーンの病衣から、細い手足が伸びている。

 この冷たい顔に一目惚れできるか、甚だ疑問だ。ヒツジの趣味は変わってる。


「おいで」


 急に立ち止まった私の手を、兄さんが促すように引いた。


 兄さんの後ろを歩く。黒いゴム製の階段の縁を踏まないように、ベージュの階段を降りて行く。

 外に出た瞬間、目が焼けるような眩しさに襲われた。反射的に瞼を閉じて、それからゆっくり、明かりに慣れてきた瞳を開く。


「おとぎの国へようこそ!」


 ヒツジが両手を広げて、満開の笑みを浮かべていた。


 目に飛び込んだ情景に息を呑む。


 どこまでも白い石畳の道が連なっていた。

 道沿いの建造物は、白を基調に色鮮やかにレンガを彩っていた。それだけなら美しかっただろう。

 ゲームで見たような、切妻屋根やアーチ構造の立体的な建物。その中に、無秩序に瓦屋根や縁側まで並ぶ。高層ビルを圧縮したような平らな屋根、尖った西洋のような屋根、とにかく……ぐちゃぐちゃだった。白をベースにしていなければ、きっと目眩を起こしていただろう。

 レンガ道の向こうには、ブルーサファイアの海が広がっている。あまりに透き通った色は、青い空との境界線を見失いそうだった。


「……ごちゃ、ごちゃ……」

「驚くよね。僕もそうだった、天使たちがこぞって魔法で建物をあちこちに建てた結果だよ」

「……魔法で建造物が作れるのかよ」


 そんな簡単に作れるものじゃねえだろ。

 レンガを積み上げたり、工事をして……クレーンで吊り上げて……手が掛かるものじゃないのか。


「作れるよ! 魔法はなーんでもできるんだ! ねえねえねえ、モカ、モカ! 俺の作った城も見る? 向こうの方に」

「あの城取り壊されてたよ」

「えっ何で!?」

「道の真ん中に建てるなって……なぜか僕が注意されたんだよね。ヒツジのお世話係りだからかなぁ」

「うへへ、ごめんごめん。次は一緒に怒られるから〜」

「僕は何にも悪くないのにね……」

「城でしょ? そんなに簡単に消せるのか?」


 様子を見るに、いつものやり取りであろう二人の言葉に耳を疑う。

 兄さんは眉を下げて困ったように微笑む。


「簡単に作れて簡単に消せちゃうんだよね。だから、慣れるまで時間がかかるかもしれない」

「魔法は夢を現実にする力があるんだ! ツクモもやってみて、もう魔法使えるよ!」

「は……え、な……にを、作ればいいの?」

「こら、ヒツジ。困らせちゃダメだよ。モカ、まずはノートとペンを作ってみようか」


 そんなお手軽に言われても。


「魔法の力は夢や想像力に由来する、難しく考えなくていいんだよ」

「そそ、手ぇ貸して!」


 優しい体温が、私の両手を包み込む。同時に、祈るように私の手は自然と指を組んだ。


「ノートとペンを想像してみて。で、それが欲しいって強くお願いする!」


 ノートとペン。

 とりあえず目を閉じて想像してみた。あの、……空みたいな色のよくある大学ノートと、黒くて透けてる安いボールペン。

 欲しいだろうか。あんまり欲しく……いや、欲しい、欲しい欲しい。

 気付けば唇が、欲しい欲しいと声無く呟いていた。

 数秒沈黙が訪れる。

 間も無く、ポンッと、瓶の栓が抜けたような間抜けな音が静けさを遮った。音に釣られて目を開くと、目線の先で薄い青色が踊る。


「ひぇ……」


 組んでいた両手を解いた瞬間、自分の手の中にノートとボールペンが落ちてきた。ノートの表紙は淡い青色の無地で、その上にボールペンが転がっている。


「ほらできた、簡単!」

「……本当に出てきた……」


 ヒツジがぱちぱちと拍手をしている横で、私は息を飲む。自分の声が震えていた。

 随分と手軽過ぎる。本当に、何でも作れてしまうんじゃないだろうか。


「よく出来ました。今日からそれが君の日記になるよ」

「日記……」

「僕らは天使として過ごした日々を記録するよう義務付けられている」

「さっきみたいなルール?」

「そうだね、使った魔法も記録して。何を創り出したか分からなくなったら、管理が大変なんだって。急に城を創ったりする子も居るからね」


 急に城を創ったらしい張本人は、俺のことも書いて〜なんて呑気に笑っていた。


 呆然としていると、視界が急にぐるりと回転し始める。驚く間も無く、膝の力が急にかくんと抜けた。

 回る視界の隅で、ヒツジが悲鳴を上げて駆け寄ってくる姿が見えた。

 胃の中から、押し上げるような嗚咽感がする。ぐにゃりと身体の力が抜けてその場に崩れ落ちて行く。誰かの腕が、床に落ちる前に受け止めてくれた。


「ーー大丈夫!? え、え、何で?!」

「まさか、さっきのだけで……? ごめん、僕たちには当たり前過ぎて忘れてた! 声は聞こえてる? 大丈夫?」

「……聞こえる、けど……ぐるぐるして、気持ち悪……ゔ」

「魔法は無限じゃないんだ……ごめん、君には負担が大きかったんだねーー」


 何だか遠くでそんなことを言っていた気がする。私は多分、あまり魔法に向いてる精神構造ではないらしい。

 心配そうに覗き込む兄さんの顔を最後に、私の意識はそこで途切れた。

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