第20話「90番目の子」
空の色が茜色に染まり始めていた。昼と夜の境界線が訪れようとしている。
暗い洞窟に取り残された私たちは、一度広場に戻ることにした。日が暮れ始めていたからだ。夕飯の時間は守らなければいけない。
広場まできたところで、人だかりが出来ていた。
遠目にも分かる。……ほんの少し前に見た、兄さんのような怪物が居た。しかし形状は全く異なる。
巨大なカールアイロンだった。長い棒状の物体を震えさせている。その上には、ぼこぼこと小さな凹凸のある、ゴム状の何かが被せてある。手足は持ち手のような部分から、虫のように六本生えていた。指先がしっかり地を掴んでいる。
悍ましい怪物を見上げた先で、胃の底がひっくり返りそうになった。凹凸の中に、小さな頭が混ざっている。それはヨナの顔をしていた。頭は栗色の乱れた髪を揺らして、時折痙攣している。その度に、ぼこ、ぼこ、と肉塊が泡立つ。
気づいた時には、私の足は動き出していた。
「ヨナ!!」
「待って、モカ!」
ぐん、と後ろに引かれて、すぐに足が止まる。ヒツジが痛々しそうに目を細めていた。その視線は、私の上を見ている。
「ピーターパンが来る」
その一言を皮切りに、上から銀色に光る矛が勢いよく落ちてきた。ヘアアイロンの先端に、深々と槍の穂が刺さる。160はありそうな、背丈ほどの槍を握る少年が、槍の上に着地する。青い真っ直ぐな髪をしていた。黒いセーラー服姿だ。背中から伸びる黒い翼が、小さく羽ばたいている。
「今助けるか、らっ!」
中性的な声が語尾を叫ぶと同時に、少年は勢いよく槍に力を込める。
「ば、ぱァア゛、ガッ、ヴ、ヴォ、オオ」
どこから出ているのか分からない、不気味な唸り声がする。高い声や低い声が混ざり合ったように、何か言葉を発していた。
槍の穂は、ぐちゅぐちゅと濡れた不快な肉の音を立てて、更に奥へと突き刺さる。柄の部分が見えなくなる寸前まで進んだ時、
「っせーの!!」
少年の掛け声と共に、槍は一気に引き抜かれる。
引き裂かれた先端から、どぷりと重たい液体の音が鳴った。重力のある黒々とした液体が、棒を伝い下へ下へ流れて行く。
ぼこぼことした凹凸がいっせいに泡のように膨らんで、ぱちんと弾けた。コテもゴムも無くなって、ヨナが下方へと落下して行く。
私はヒツジを振り切って、再び走り出していた。でも、私の遅い足では届かない。
少年は翼を広げて、落下するヨナに簡単に追いつく。ヨナは元々小さかったが、少年の腕に収まるほど縮んでいた。程なくして少年が着地した時、私はようやく追いついた。
「ヨナ! ヨナ、大丈夫!?」
「う、うう……ごめんなさい、ごめんなさい!!」
「ナナミ……どうしたの」
少年の足元で、ナナミが真っ黒な液体に染まって泣きじゃくっている。赤いメッシュも、今は漆黒の墨色に塗り潰されていた。
私がナナミの背中を撫でていると、少年はヨナを抱っこしたまま軽く屈む。
狐のように細い目は、優しく私たちを見つめていた。
「謝らんといて、驚かせてすまんね。堪忍したってな」
……関西弁。
言葉遣いに驚いて、一瞬言葉に詰まる。いや、それよりもヨナが心配だ。
「……ヨナは大丈夫なの……?」
「大丈夫やで、寝てるだけ。今からミヤちゃんのところに連れて行くで。またな」
「ナナミーー! ヨナーー! 大丈夫ーー!?」
後ろからヒツジの声がして振り返る。息を切らした彼が遅れて走ってきた。
「ひ、ひつ……私、わたし、こんなことするつもりじゃなかったの! わたし、わたし髪飾り創りすぎちゃって! 代わりにコテ出してってお願いしただけなの! ほんとだよ! わたし、わたしね」
「わかってる、大丈夫だよ。大丈夫」
「そうそう、誰もナナミちゃんのこと責めてへんよ」
嗚咽を漏らして咽び泣くナナミが、必死に訴えている。ヒツジは慣れた様子で、ナナミの顔を覗き込んでいた。続くように少年が言葉を続ける。
「ヒツジ君やん、ここは任せるな。ヨナちゃんが心配やからもう行くで、よろしゅう」
注ぐ声は、少年のものだった。私は見上げる。申し訳無さそうに笑う彼の顔は、胡散臭いけど悪意だけは全く感じなかった。
ピーターパンはゼロ側の人間、という固定観念が少し崩れた。
私と目が合って、あっと気づいた顔をする。
「すまんすまん、自己紹介がまだやったね。クオンって呼ばれとんで、ほんまは90番やけど。よろしゅう。また今度ゆっくり話そか。ほなね」
柔和な声でそれだけ言って、クオンと名乗った彼は飛び立って行った。腕の中に、しっかりヨナを抱き抱えて。
泣きじゃくるナナミの背中を撫でながら、私の頭には、さっきのクロエとのやり取りが浮かんでいた。
『わたしの家族は奴らに奪われた。ハチロウは記憶を消されて、クオンはゼロの手下になった』
クオン。クロエが言っていたのは彼のことか。
怪物に対しての攻撃は容赦がなくて残酷で、正直吐き気を催した。だけど、イサの発作の後の対応を見ていたせいか、クオンは随分と優しく見えた。




