第19話「警察に行けばいい」
差し出された手。この手を取らなかったらきっと後悔する。
私は手を伸ばして、
「モカ!! 危ない!」
ヒツジの絶叫に、びくりと手が止まる。
「よォ、俺様の陣地に潜り込むとはいい度胸だなァ!!」
やかましくてざらつく声が響き渡る。思わず固まった。
クロエの後ろには、フック車掌が立っている。鉤爪を銀色に光らせ、クロエの背後から覗き込んできた。
こわい。シンプルに顔が怖い。私は数歩後ろに下がる。
ヒツジがフック車掌の脇腹に突っ込んできた。
「このっ……! 俺の家族を返せよ!」
「っだぁぁ!! こんのガキ!!」
「やめてよ!」
ヒツジはいとも容易く、鉤爪状の腕に捕獲されてしまう。
私も彼を取り返そうと足を踏み出す。しかし、クロエが立ち塞がった。
フック車掌はヒツジをまじまじと見つめる。
「オメェ、長いことここに居るガキだな」
「そうだよッ! お前が皆を誘拐しようとする姿も何回も見た!」
「へっへ……誘拐はしたが、その後強制したことは一度もねぇさ」
誘拐してる自覚はあるらしい。
低く嘲笑う声と共に、どさりと音がした。いて、と声がする。ヒツジは傷付けられるでも無く、地に落とされていた。
眉を跳ね上げた車掌は、クロエに向き直る。
「クロエ、勧誘なんて姑息なマネはやめとけ。俺様にゃ分かる、そのガキにはまだ”迷い”があるな」
「フック、この子達はわたしの家族で仲間だ。真実を伝えるのはダメなのか?」
「いーや、ガキ共には知る権利がある。ただ俺様は、強制されんのが死ぬほど嫌いなのさ」
にたにたと笑う口元から、ちらりと舌先が覗いた。邪悪な仕草にぞくりと背筋が粟立つ。ただ、言っていることは……ものすごくマトモに感じた。
「嬢ちゃん、この前見た新入りだな? 俺様はただガキ共を救おうとしてるだけだ。黒服のガキが邪魔するんで、上手く行ったことは少ねえ」
「……弱かったもんね。血が苦手なの?」
「んだとォ!? ちったぁ怖がれ!! 泣く子も黙るフック車掌様だぞ!!」
「で、何? 誘拐しに来たんじゃないなら何か用?」
「オウオウ、勝ち気だな! 嫌いじゃねえぞ! いいぜ、少しだけ教えてやる」
フック車掌はヒゲを撫でながら口角を釣り上げた。上機嫌に語る口は止まらない。
「ピーターの野郎……ガキ共にはゼロって呼ばれてたか。転生なんて嘘っぱち言いやがって、お前らを騙してる。それはもう分かってるみてぇだな?」
「……まあ、そうかも」
「話が早ェ。俺様がやってんのは慈善活動さ。ガキ共を『現実』に帰してやってんだよ。汽車が繋がってる終点駅、現実と異世界の境界線が薄くなってる場所だ。そこにガキ共を放り込む」
「…………」
ヒツジが驚愕に目を見開いて、フック車掌を見上げてる。私も恐らく同じ顔をしているだろう。
転生じゃない、現実に帰れる。
「誘拐して、ピーターの所業と俺様とヤツの因縁について教えてやってんのさ。それが全ての真実だ」
「じゃあ……アンタについて行けば、私は……」
「俺様が知る全てを教えてやろう」
こんなの、着いて行かないわけがない。私は慌てて手を伸ばそうとして、
「待って、モカ! おかしいよ!」
ヒツジの鶴の一声に止められた。彼は幼い眸をきつく細めて、フック車掌を睨み付けている。
「誘拐されて、現実に戻った子たちは? どこに行ったの? 戻ってきて俺らを助けてくれたことなんて一度もない! 何かこの話、おかしいよ!」
私の視界が揺らいだ。
正論だった。皆仲が良い。もしゼロが私たちを騙しているのが分かっているなら、現実に帰った子たちは。私だったら、見捨てない。見捨てたくない。どうにかして助けに戻る。
「んなモン帰って幸せに暮らしてんだろ。行きはよいよい帰りは怖いってか、慈善活動に文句つけんなよ」
フック車掌は大袈裟に肩を竦めて飄々としている。
この男、思った以上に雑なようだ。現実に帰った子たちのその後なんて、本当に気にしていないようだった。
ヒツジはきゅっと眉を寄せて必死に訴える。
「クロ! ダメだよ、こいつ絶対危ないって!」
「クロじゃない、クロエ。わたしはみんなを見捨てる気はない。現実に行けるなら、帰る方法だってきっとある。作戦だって練ってる」
「作戦……?」
「現実に帰ったら、まず警察に行く」
いや、うん……そうか。
クロエという子も、聡明そうな顔をしてわりとガバガバなことが分かった。
判断に迷った私は、結局頭を横に振る。
「……ごめん、聞きたいけど……怪しいから着いて行けない」
「フン、案外腰抜けだな。帰るぞ、クロエ。警察に駆け込む計画を練るんだろ?」
「……ああ、そうする。じゃあな、2人とも」
肩に掛けたコートを翻して、フック車掌は颯爽と背を向ける。クロエは後に続いて駆けて行った。
ふと男が振り返る。その顔一杯に、悪い笑みを湛えて。
「次の誘拐は10日後、汽車の出発はその次の日。俺様は宣言した事しかやらねえ主義だ。興味があるなら誘拐されに来な」
低く耳障りな笑い声を残して、男と少女はその場を離れた。
私たちは、冷たい洞窟に取り残されていた。抱えきれない謎だけを背負わされて。




