16話「知る権利」
ピーターパン症候群。
大人になりたくないなあってやつ? その程度しか知らない。それが何だって。
「ピーターパン症候群って何?」
「あんた達のことよ。早く帰してあげる」
「待って! 私たちそれを知らないの! ピーターパン症候群ってなに!?」
ミラは怪訝そうに私たちを見ている。まるで地球が丸いのは常識、みたいな顔で。
「……何言ってんの?」
「あなたが何を言ってるの?」
「おかしなこと言わないでちょうだい、怖い子ね」
「俺も聞いたことある」
すっと控えめに挙手する顔を見る。ヒツジも眉を顰めていた。丸みのある頬には小さな手のひらの痕を残していた。
これは……私かミラか、どっちの話に疑問を持っている?
「大人になりたくないって思う……大人らしくない? なんか、そういうのじゃね。詳しくないけど」
「それ、それ!」
私は思わず賛同の声を上げる。目の前の妖精は目を見開いた。そうして、痛ましそうに目を伏せる。
「どうして自分を卑下するの……」
哀れみが滲む悲しそうな声が、暗い地下に響いた。
この3人の中で、妖精だけが違う話をしている。それなのに、どうしてだろう。
心臓が早鐘を打つ。まるで答えを探すように、ここに来てからの記憶が浮かんでは消えていく。息を呑んでいる間に、
「気が動転してるのね。分かってるわ、踏み込む方がどうかしてるんでしょう? あたしは心がある方の妖精だったから。きっとそのせいよ。早く元の場所に戻してあげる」
「待って、私はまだ聞きたいことが──」
慌てて声を上げる。しかし、それは無駄だった。
ミラはふわりと宙を舞う。虹色の羽根を揺らして、輝く粒子をまとわせる。光の粒は私たちを包んでいく。視界が瞬く間に白に染まっていく。
襟首から背中が、ぐんっと何かに引っ張られた。半ば強引な手つきのように、身体が吸い込まれるような感覚に見舞われる。
「”ころす”とか”しぬ”とか、過激な言葉使っちゃダメよ」
悪化させないでね。
最後に、不安そうな声が聞こえた。
目を瞬いた。
広がるのは透き通るような青いラムネ色と、白い入道雲。ごちゃごちゃと法則を無視した白い建物。
私たちは、もう広場に転がっていた。指先に温もりと気配が伝う。
ヒツジが手を握っていた。
隣を見ると、空を見上げる幼い横顔は険しい。複雑そうに眉を顰めている。私は言葉に迷う。それでも口を開きたかった。
何か話でもしてなければ、正体不明の不安で押し潰されそうだった。
「……戻って、こられたね」
「うん。……感謝した方がいいかな?」
「多分ね」
「……俺たち騙されてたんだ。兄さんが……」
ヒツジが途中で押しだまる。先ほどの妖精の言葉を気にしているようだ。言葉を選んだ結果、
「兄さんが……消されちゃった、理由を……知りたい。兄さんだけじゃない、他の、今までのみんなも。もしかして、あんな風にひどい目にあっていたとしたら、俺たちは……知らなきゃいけない気がする」
言い換えるのに苦労していた。それでもひとつの結論に辿り着く。
頷いて私は立ち上がる。
「私も。知りたい、知る権利があると思う」
「…………」
一拍、沈黙が訪れる。
「……よし、そうこなくっちゃ! らしくなかったわ!」
「ヒツジ?」
「こーんなに可愛い味方がいるのに落ち込んでらんねーや。謎に迫るんだし、仲間はひとりでも多くなきゃね!」
また変なこと言ってる。
頬をぱんぱんと叩いて、ヒツジが声を上げた。さっきあんなことがあったのに、眉を下げて笑っている。頬に残る、涙の跡だけは正直だった。
手を貸すと、彼は立ち上がった。
「みんなにも知らせなきゃ……でも全部知ってからの方がいいよね」
「そーだね。ちょっとの間だけ2人の秘密にしとこーぜ!」
「……そうしよう、混乱させちゃう」
「んー……でも、これからどうしよっか。もう一回病院に行ってみる?」
「アホか。さっきの今だよ」
話している最中に、遠くからこつこつと軽い靴音が響く。さっきの地下の出来事が頭を過ぎる。
すぐに私たちは口を閉じた。
後ろを振り返ると、白衣の少女が低い階段を降りてくる。黒いセーラー服がちらつくだけで、緊張が走る。
この人もピーターパン。つまり、ゼロ側の人間の可能性がある。
「2人とも何してんの? ちょっとさぁ、ヒツジ〜。今日が何の日かモカに教えてあげなかったの?」
ミヤがじと、と目を細めて私たちを見下ろしていた。
ヒツジはきょとんとしている。首を傾げて、最後にぽんと手を打った。
「そうだ! 明日の健康診断の説明!」
「健康診断……?」
「そうよぉ、毎月一回あるの。ダメでしょ、時間守んなきゃ」
健康診断。
……そうか。病院自体は、いつだって呼び鈴で呼べば入れる程度の場所。警戒しなくたって、自然に病院に入れる方法はいくらでもある。
さっきの今だ。全然胸のざわつきは収まっていない。でも、これはチャンスかもしれない。
その健康診断だって、きな臭いとしか思えない。だったら逆に利用できないだろうか。




