11話「秘密の場所」
「大丈夫?」
水を飲みに病室を離れて戻ってくると、目を覚ました兄さんは、少しだけぼーっとしていた。エメラルドグリーンの病衣姿で虚空を見つめている。
ミヤがせっせと、点滴や他にもよく分からない装置を外していた。
「肉体的には大丈夫よぉ、頭の方もすぐぼーっとするのも取れるっしょ〜」
「良かった……兄さん、平気そうだね」
小さく囁く声がする。ココの声だ。
泣き疲れたヒツジが、兄さんのベッドに突っ伏してすよすよと寝息を立てている。その隣で、ココがヒツジの背中を撫でていた。
ミヤとココはよく一緒にいるのを見かける。ミヤがココを気にかけているようだった。
当のココは、多分……ヒツジが好きだ。邪魔しちゃ悪いかな。ココが兄さんが心配だったのは、本心だろうし。
「心配かけてごめん。もう歩けるよ」
兄さんはそう言って立ち上がり、隣のベッドに移ってカーテンを閉める。白いセーラー服に着替えて出てきた。
「ねえモカ、少し時間あるかな?」
セーラー服姿に着替えた兄さんが私に声を掛けてくる。きょとんと見上げて頷くと、兄さんは手を差し出した。
「来て欲しいところがあるんだ」
私は大人しく手を取って、病室を後にする。後ろからミヤの、
「兄さーん。モカのこと変なところに連れて行くなよぉ、もうすぐ夕飯だからねぇ」
と、間延びしながらも釘を刺すような鋭い声が聞こえた。そういえば、ミヤは男子に結構厳しい。
「夕飯には戻るよ!」
私はミヤに手を振って、兄さんに連れられて行く。
夜のネバーランドは静かだった。時折妖精が飛んで、美しく街を照らしている。
案内されたのは、真っ白な砂浜だ。場所さえ分からなくなりそうな広い道のりだった。途中で廃墟のような駅を見かけた。中では豪快な笑い声がする。フック車掌の姿が頭を過ぎる。近寄らない方が良さそうだ。
「フック車掌について行くの、禁止でしょ?」
「大丈夫、あのおじさん、誘拐する時はわざわざ街のど真ん中で宣言するマイルールがあるから。近寄らなければ平気だよ」
声を潜めて返ってきた答えにぽかんとした。思ったより愉快な人たちのようだ。誘拐犯だけど。
兄さんも、駅を迂回して山岩をゆっくりと下りていく。足場がとても悪くて、時々滑りそうになった。こんな場所まで来て良いのか徐々に不安が募る。
岩場の影、その先は洞窟だった。上下左右どこを見ても真っ青で、青より深いアクアマリンが弾けるように輝いている。まるで海の底のように美しい情景だった。
手を引いてくれる兄さんの横顔は、凛としていた。ロマンチックな場所と彼の横顔を見比べて、変に緊張する。自意識過剰な心配をしていると、頭の隅で羊毛フェルトがチラついた。
……こ、告白だったらどうしよう……。
「兄さん……」
いやまさかと思いつつ声を掛けた兄さんに、ふと気付いた。
私より、彼が頭ひとつ分以上背が縮んでいることに。
「ん?」
「……え、と……縮んだ?」
さっき病院を出た時は、目線の高さは同じくらいだった気がする。気づかないうちに、しかし確かに縮んでいた。
兄さんは、困ったように笑って視線を泳がせる。そして小さく呟いた。
「うん。……僕は、多分そろそろ生まれ変わるんだ」
「新しい両親の元に?」
「そう。だからお別れの時間が近い」
「そんな……私、やだ。兄さんと仲良くなれたのに」
「ありがとう。僕も嫌だなぁ……ここに居たいよ。でも、ネバーランドは天使が現世に生まれ変わるのが最終目標だ」
視界が歪んでいく。情けない、涙が溢れてきていた。兄さんが手を伸ばして、私を抱き寄せる。
「だから、ここでは“おめでとう”なんだよ」
「お別れなのに……おめでとうなんて言えないよ」
「現世で会えるかもしれないだろ?」
兄さんは、私を安心させるように、優しく笑っていた。そうだ、私たちは現世に生まれ落ちる。新しい両親が賜る新しい命として。
「生まれ変わったらまた会おうね、約束だよ」
「もちろん。指切りげんまん、嘘ついたら……僕の羊のぬいぐるみを、モカにあげる」
「もうヒツジから貰ったよ」
「それでも。僕の大切なお守りだ。手放したくないものだから、約束破った時はあげる」
「……うん、指切った」
どこか不満そうな声が、自分から漏れる事実に気付く。この約束が果たされる可能性は、絶対ではなさそうだ。
自分で言った言葉に、今更気付いて疑問を投げてみた。
「そう言えばさ、何でヒツジはヒツジなの? 42番だよ、ヨニとか……もっとあったでしょ?」
「んー……」
懐かしそうに目を細めて、兄さんがゆっくり口を開いた。
僕が23番目に目覚めたことは知ってるよね。その時は、ゼロさん……パパと、もう今は居ない9番の子が案内してくれたんだ。キューちゃんって呼ばれてた。
多少あだ名っぽいものはあったけど、やっぱり語感は殆ど数字だった。
何日か住んでいるうちに、僕にも天使の迎え役が回ってきたんだ。お迎え役は、ピーターパンとは違う。
暫く住んでいてルールが分かる子、つまり天使の誰でもいいんだ。
僕は40番の子からだった。戸惑ってる41番の子も案内したらすぐに慣れてくれて、順調だった。彼が来るまでは。
いつものように許可を取って病室に入ったんだ。
ふわふわの髪が羊みたいで可愛いなぁ、なんて呑気に思ってた。なんて声をかけようか考えてた。
瞬間、その男の子は瞼を開いた。
目を覚まして、大きな瞳いっぱいに涙を溜めて、
「ぶわぁぁぁああ!! ゔわぁあああん!! わぁぁぁああぁあああああーーーーー!!」
その、凄い勢いで……泣き出した。
鼓膜が破れるかと思ったよ。大泣きして、びっくりして……懐かしいな……。
泣き声を聞きつけて、イサやパパが飛び込んできたんだ。あまりの大きな泣き声に、街の方まで届いていたらしい。
パパが抱き上げてあやしたり、イサが……あのイサが、魔法でぽんぽん玩具を片っ端から出したりしてさ。
その中に、羊のぬいぐるみを見つけたんだ。
そのぬいぐるみに、僕の魔法を加えてみた。花飾りをつけて、もっとふわふわにしてみせて。
ぬいぐるみを泣きじゃくる少年に見せたら、ぴたりと収まったんだ。
にこにこして嬉しそうに、ぬいぐるみを抱っこしてはしゃいでいた。
「この羊さん、おにーちゃんが作ってくれたの?」
「ああ……うん、そうだよ」
「おにーちゃんの名前は?」
「23番」
「にじゅ、さん……にー、さん! 兄さんだ!」
「……じゃあ君は、この子に似てるから……羊?」
「ヒツジ! 羊好き! 俺ヒツジがいい!」
そんなやり取りをきっかけに、彼はヒツジ、僕は兄さんって呼ばれるようになった。
ヒツジは皆が番号を名乗るたびに、名前は? って聞く子だったんだ。だから数字だけの子には、ヒツジが積極的にあだ名を付けた。
これがヒツジの命名式の始まりだね。それからヒツジは、どこに行くにも僕について行くようになった。僕もヒツジが可愛くて大好きで、ずっと一緒に居るようになった。本当の兄弟みたいにね。
羊のぬいぐるみは、イサにぼろぼろにされちゃったんだけど……今は、もう壊れないようにって宝箱に閉まってるのを見かけたよ。
「……と、僕とヒツジの出会いはこんな感じかな。ヒツジには内緒だよ、大泣きしたこと言われると顔真っ赤にして怒るから」
「ふふ……めっちゃ想像つく。ここに来た時から泣き虫だったんだ、ウケる」
「可愛いだろ、泣き虫なところも放っておけないんだ」
「2人とも本当の兄弟みたいだもんね」
「モカは僕にとっては妹みたいなものだよ」
「そ? ありがと。私も兄さんは兄さん! って感じ」
穏やかな時間だった。私の知らない2人の過去を覗かせてもらえたようで、少しの寂しさと、それ以上の嬉しさで胸がいっぱいになる。
「モカ、この景色をどうか忘れないで」
兄さんは、どこか遠くを見て寂しげに呟いた。
どこまでも青い岩壁は、濁りのない澄み切った宝石のようだった。
「もちろん。兄さんから教えてもらった場所だもん」
ふと眩しい壁を見ていると、数字が彫ってあるのに気付く。
165、162、159、157、148。兄さんは、最後の数字の隣に、魔法で137と刻んだ。
「結構縮んだなぁ」
兄さんがぽつりと呟いた。恐らく、身長のことだろう。兄さんはここに何度か訪れていたらしい。
壁を見渡すと、他にも何か彫ってある。
ジョージ、イト、ニーニャ、ロック、クロエ。その隣には、ナイフのようなもので刻み付けたような筆跡で、『Be proud of who you are.And live.』と記されていた。もちろん意味はわからない。荒々しい削り方で、それでも青くどこまでも輝いていた。
誰かの、名前だろうか。
「兄さん、これなんて……」
「時々怖くなるんだ」
「……?」
「本当に僕たちは生まれ変われるのかなって」
「そういう場所なんでしょ?」
「この世界って、本当に死んだ人が来る場所なのかな」
「……何でそんなこと急に思ったの?」
「綺麗な景色ばかり見てきたせいか、この先が不安なんだ」
「……そう、か」
「僕は本当に、優しい子供に生まれ変われるのかな」
聞こうとして、兄さんの不安に遮られた。深く俯いている。
「そのためにここに来たんじゃないの?」
「……そうだね」
「兄さんは優しいよ。私が知ってるもん。ちゃんと見てきた、優しい兄さんは私とヒツジが覚えてる。大丈夫だよ」
私の励ましは正しかったのだろうか。こういう時に気の利いた言葉の一つでも言えたら良かったのに。ヒツジならなんて言ってたんだろう。
「帰ろうか、夕飯の時間だ」
「うん」
兄さんが、おいでと手を差し伸べる。
私たちは、家族の元へと帰っていった。




