9話「発作」
おとぎの国に来て28日目。
私たちは丘の上の花畑の真ん中に座っていた。花冠と言うより、花が装飾の金で出来た重たい冠を、頭に乗せられる。ずしりとくる重たさは少々首にくる。
ヒツジは幸せいっぱいの顔で笑っていた。
私は魔法で四つ葉を手の中に生む。それだけで少し息苦しくなった。
「はい」
「わーっ! ありがとう!」
ヒツジに、冠のお礼に四つ葉を渡した。一連のやり取りを終えて、
「ありがとう」
兄さんの声に顔を上げる。
ベージュのトイカメラから、写真が一枚排出された。兄さんは写真が好きだ。私たちを被写体にすることが多い。
「次は階段で」
お願いに頷いて、丘を降りていく。階段の高い位置に立つよう頼まれた。白い階段の上で、白い手すりに掴まってカメラを見る。ヒツジは側に腰掛けて足を投げ出していた。
兄さんは、階段の一番下でカメラを構えている。そんなに下から撮っても、脚しか写らない気がした。
「もっと上に来たら?」
「ローアングルだと脚が長く撮れるんだよ!」
「そういうもん?」
「この角度がしっくり来るんだ!」
ぐっと拳を握り目を輝かせる兄さん。きっと前世でカメラマンでもしてたのかな。でも、この世界では禁句だった。私は言葉を飲み込む。
兄さんがもう一つトイカメラを創り出そうとする姿を尻目にヒツジを見下ろす。視線が合う。彼はにこにこと楽しそうに笑っていた。
「いつも被写体やってたの?」
「うん! デッサン? モデルもしたことあるよ! 俺って顔イイから!」
あんまり聞きたくなかった一言を、無邪気に言ってのける。実際ヒツジの顔は、本当に可愛らしかった。内心悔しいが、ふぅんと相槌を打った直後。
ぱん、と風船が弾けたような軽い音がした。
驚いて音がした方を見る。兄さんが膝をついて呆けた顔をしていた。不思議に思って階段を降りようとした。その足が止まる。
兄さんの身体が、ぼこぼこと煮立った鍋のような音を立てた。同時に、肉体の凡ゆる箇所が泡のように、肉が内側から膨れ上がり湧き立つ。
沸騰する度に、身体は質量を増していく。背骨が折れる鈍い音がした。腕がぎちぎちと伸びていき、だらりと重力に従い垂れる。頭部の肉を突き破るように、めりめりとレンズが剥き出しになっていく。
見上げるほど大きな生き物が出来上がっていた。身体を切り貼りしたような歪な色味を帯びていた。虹と呼ぶには毒々しい数色のカラーリングだ。上半身だけが頭部に行くにつれてあちこちが泡立つ肉塊と化していて、頭部は映像撮影出来そうな大きなカメラが此方を捉えた。
私は呼吸の仕方を忘れた。ただその場に立ち尽くしている。
「危ない!!」
「!」
ヒツジに手を引かれ、弾かれたように駆け出す。振り返ると、私が居た場所に、長く草臥れあぶくを立てる腕の先がめり込んでいた。
必死に2人で丘を駆け抜けていく。兄さんが、この世のものとは思えない怪物になった。前触れなんてなかった、何で。
「あれ、あれっ、何!? 兄さんは、っ……どうなっちゃったの!!」
「発作だよ、魔法が暴走したんだ!! なんでなんでなんで、兄さんはなかなか発作を起こさないのに……!」
息を切らしながら尋ねると、ヒツジは真っ青な顔で人気のない丘を駆け降りて行く。
後ろで凄まじい瓦礫の音が響き渡る。下半身を引き摺りながら、腕だけで張って歩いてくる兄さんだったものが追いかけてくる。子どもの足なんて到底敵わない、すぐに追いついてしまう速さと勢いで。
階段を下り終えて、次になだらかな斜面の白い石畳が続いていた。坂を下り走るところで、私の足元が縺れた。そのまま勢いよく地面に片手を打ちつける。転んでしまった。ひりひりとする手のひらと鼻先に熱さが灯る。
反射で離れてしまった手に、ヒツジが慌てて振り返る。助け起こそうと側に駆け寄ってくるが、背後でコンクリートや石畳を破壊する音は近付くばかりだ。振り返ると、レンズの下は耳まで裂けるような大きな口が覗いていた。長く分厚い新鮮な肉色の舌と、鋭く白い牙が覗く。
化け物は私たちを飲み込むように口を開けた。
もうダメだ。
死を覚悟して目を閉じた瞬間。
肉を裂く生々しい粘着音と、耳をつんざくような方向が辺り一体を包み込む。獣が生きたまま身を切られるように咆哮を上げた。
私は恐る恐る瞼を開く。
突き出たレンズを割られていた。口を閉じるように、唇から顎まで長刀が串刺しにしている。
私たちを庇うように低空で羽根を広げ浮いていたのは、黒いセーラー服の少年だった。
「……イサ……?」




