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瞳の契約者1

「…やっと見えましたね。」


オレンジ色の太陽が地平線に沈んでいく頃。

深い森と平原が交わる所で、嬉しそうにそう呟いた女性がいた。

汚れて痛んだマントが風に揺れて、その姿が顕わになった。

女性としては高い身長に細く引き締まった体つきで、ぴったりとした服装がスタイルの良さを強調している。

腰には二つのダガーが吊るされていて、日の光を受けて鈍く光った。

彼女はマントのフードを取り、夕日の眩しさにその目を細める。

明るいブラウンの髪に、マリンブルーの瞳が夕日を受けて幻想的に煌めく。

そんな彼女だが、随分と体は汚れてしまっている。

腰巻やブーツは泥に塗れ、肌には細かい切り傷が刻まれていた。

数日間森の中を彷徨ったことで付いたそれらは、彼女の旅の厳しさを物語っている。

彼女は平原の爽やかな空気を大きく吸い込むと、意気揚々と歩きだす。

向かうは平原の向こうに見える町。

まずは熱いシャワーを浴びたいと考えると、彼女の足取りは自然と軽いものとなる。

疲れは溜まっていて、最後の食料が尽きたのも随分前だったが、漸く森を抜けた解放感は彼女にそれさえも忘れさせた。

夕日のオレンジの光は温かく、暗くじめじめしていた森の中では感じられなかった幸福感に満ちている。

腐葉土の上を歩くのとは違いしっかりとした地面。

草地を歩いているだけで、彼女の気持ちも晴れやかになっていく。

時折駆け抜けていく小動物の姿に微笑みさえ浮かべて、近づいてくる町に思いを馳せる。

どんな人たちがいるだろうか、どんな料理を食べられるだろうか、町はどんな様子なのだろうかと、考え始めると止まらなくなった。

だがそれももう少しでわかることだと、彼女の歩みがまた早くなった時だ。

大地を揺るがすような咆哮が、彼女の背後から響いた。

驚いて振り返った彼女の視線の先に、巨大な獣が迫って来ている。

巨大な熊のような姿をしているが、両腕についているものが、それが違うものなのだと明確に告げていた。

鋼鉄さえも容易く引き裂いてしまいそうなほど巨大な爪。

強靭な顎は大きく、あんなものに噛みつかれたらどんな生き物もただでは済まないだろう。

生き物たちの暗い思いが一所に集まり、凝り、カタチとなった異形の獣たち、思念獣。

それは、あらゆる生き物を破壊し、魂を求める獣。

最近になって出現を始めた思念獣は、死のイメージの具現とも言える災厄として人々を苦しめている。


「漸く森を抜けたというのに…ですが無視はできませんよね。」


思念獣が向かう先には町がある。

自警団や、国から派遣された騎士団がいたとしても、被害が出ないとは限らないだろう。

ここで食い止める必要がある、彼女は身構え、腕を前へと突き出した。

迫り来る殺意を見据え、彼女は突き出した手で空を掴む。

するとその手に白い光が集まり、一つの形を成した。

それは美しい彫刻の成された、一張いっちょうの弓だ。

魔力で編まれたそれは、彼女が携えるもう一つの獲物だった。

光の弦を静かに引いた彼女は、続いて現れた光の矢を、向かってくる思念獣の眉間へと構える。


「ここから先へは行かせません、せめて安らかに眠りなさい。」


そう呟いた彼女が指を放すと、光の矢は勢いよく大気を切り裂き、膨大な魔力の余波を辺りへと放ちながら真っすぐに思念獣の眉間へと飛んでいく。

夕日の光さえも霞む輝きは、驚き動きを止めた思念獣の体を貫き、光の粒となって四散させた。

光はふわりふわりと雪のように舞い踊ると、大地へと解けていく。

異形の獣の姿はそこになく、暗き思念は星へと還る。

それは戦いの後であってなお幻想的で、美しい光景だった。

彼女はその光景を悲しそうな瞳で見つめた後、静かに弓を下ろす。

握っていた手を開くと、弓は光となって静かに消えていった。

そして彼女は静かに祈るように目を閉じ、ゆっくりと町へと歩き出す。

夕日は遥か山の向こう側へと、穏やかに沈んでいった。






日が沈み、平原は大小様々な星明りに照らされている。

たくさんの宝石を散りばめたように輝く空は、誰もが息を呑むほどに美しく壮大だ。

そんな星空に包まれるような平原の中に、人々が作り出す明かりがある。

松明に灯された炎は町を満たし、夜の暗闇から人の生活する世界を隔てる境界線のようだ。

その境界線を跨ぎ、彼女は久し振りに聞いた賑やかな生活の喧騒にほっと胸を撫で下ろしていた。


「……あぁ、いい匂いが漂っていますね。」


石やレンガ造りの家々が並び、石畳の路上にはたくさんの露店や屋台が犇めいている。

賑やかで明るい音楽を奏でる楽団らしき集団が小さな噴水の前で演奏し、その曲を聴くために人々は足を止めて注目していた。

道行く人々もみんな笑顔で、この町が豊かで平和なのだと教えてくれる。

自分が生まれた村とは大違いだなと彼女は感心し、町の様子を眺めながら歩き出す。

まずは宿を探さなければならない、でなければ彼女が望む熱いシャワーを浴びてふかふかのベッドで眠ることも難しいだろう。

これだけ賑わっている町ならばきっとそれを叶えてくれる宿があるはずだと、彼女は足取り軽く石畳を歩く。

コツコツと響く靴音もいつ以来だろうか、ここ暫く小さな村や町しか立ち寄らなかった彼女にとってはこれも久し振りに聞く音だ。

リズムを刻む靴音と聴こえてくる笛や弦楽器の音楽、そして人々の楽しそうな話し声。

普段はクールな彼女も、今この時ばかりは浮かれていた。

そして自然に笑みを浮かべながら歩いていると、屋台で酒を飲んでいた男たちが声をかけてきた。


「おぉそこの綺麗な姉ちゃん、一緒に飲まねぇか?」

「え、私ですか?」

「他に綺麗な姉ちゃんなんてこの町ににゃいねぇよ、がはははは!」


気持ちよく酔っぱらっている男たちが笑いながら手招きしてくる。

見れば彼らの体は彼女よりも小さかった。

筋骨隆々と言った体は子供ほどしかないが、顔は大人の男性らしく立派な髭を生やしている。

ドワーフと呼ばれる彼らは、その見た目に反して非常に器用な手先や鋭い感覚を持っている種族で、主に鍛冶職人や大工として生きている者たちだ。

手には大きな杯を持っていて、なみなみと注がれた果実酒を水のように飲みほしている。

彼女が若干及び腰になっていると、屋台の店主らしき人間の男が苦笑いして首を横に振った。


「やめときなお姉さん、こいつらの酒の強さと言ったら、巨大な湖さえ飲み干す勢いだぞ。」

「あ、あはは、それは凄いですね。」

「この野郎、折角綺麗な姉ちゃんにお酌してもらおうってのに邪魔すんじゃねえ。」

「そういうことは貯まってるツケを払ってから言いやがれってんだ。」

「がっはっは!こりゃ何も言い返せんわ!」


楽しそうに肩を叩き合うドワーフの男たちに店主も笑うと、店主は新しい酒の樽を持ち上げながら彼女に問うた。


「でもあんた、確かに見かけない顔だな、旅人さんかい?」

「えぇ、つい今しがたこの町に着いたんですよ。」


彼女がそう答えると、店主は嬉しそうに笑う。


「そうかいそうかい、長旅ご苦労さんだったな。見ての通りの町だが、気に入ってもらえると嬉しいよ。」

「えぇ、とても賑やかな町なので楽しみです。」


彼女はそう言って笑いかけると、店主は驚いたような表情をして見せた。

そんな表情に彼女が首を傾げると、店主は気恥ずかしそうにはにかんだ。


「いやぁ、確かにあんたは凄く綺麗だ、笑うと本当に素敵だよ。」

「えっと、その…ありがとうございます。」

「おいおい、俺たちに偉そうなこと言っといてお前も口説こうとしてんじゃねぇよ!」


彼女が苦笑していると、ドワーフの男たちが野次を飛ばし始めた。

恥ずかしくなったのか店主はコホンと咳払いをして、改めて彼女に声をかける。


「悪いね、そういうつもりじゃなかったんだが。」

「いえ、大丈夫ですよ。」


彼女が笑いかけると安心したのか、店主は自然に笑ってみせて言う。


「今さっきここに来たって言ってたよな、もう泊まる宿は決まってるのかい?」

「あ、いえ、実はそれを探していたのですが。」

「そうだったのか、悪かったな邪魔しちまって。そうだな、この道をまっすぐ行くと町の広場に着くんだが、そこを右へ曲がって少し行くとテンダーって宿屋がある、そこなら俺の知り合いの夫婦がやってるしいい所だよ。」

「ありがとうございます、助かります。」

「いやいや、酔っ払いどもが迷惑をかけたせめてものお詫びだよ。」

「なぁに言ってんだ、お前さんも口説いたじゃねぇか、がっはっは!」

「うるさいぞ、折角新しい酒樽開けてやろうとしてんのに、こいつは没収か?」

「おいおいそりゃないぜ!」


別れ際まで賑やかな店主とドワーフたちに見送られて、彼女は教えてもらった宿屋に向けて歩き出す。

彼らと別れても、周りから賑やかな笑い声が途絶えることはない。

本当に平和で素敵な町だと感じながら歩いていると、店主の言っていた町の中心部に辿り着く。

大きな水の魔石を中央に据えた立派な噴水が光を浴びてきらきらと煌めき、賑わいも一際大きい。

たくさんの人が往来する中、噴水の向こう側に重厚な看板が見て取れた。

盾に二振りの剣を交えたそのマークは、恐らくこの町の共同ギルドのものだろう。

様々な依頼を一挙に請け負い、報酬と引き換えに依頼をこなす傭兵や冒険者の集会所のようなものだ。

薄くなった財布を満たすには、あそこで仕事をして稼ぐしかない。

ひとまずは宿にお世話になり、明日は早速ギルドに顔を出さなければならないだろうと、彼女は心中で頷く。

そして広場を曲がり少し歩くと、目的の宿屋が見えてきた。

少し古ぼけた木の看板には「テンダー」と刻まれていて、町を抜けていく夜風に金具が音を立てて揺れている。

彼女は宿屋の戸の前で立ち止まると、汚れたマントを脱いで小脇に抱え、小さく微笑んだ。


「ここにも素敵な出会いがあるといいですね。」

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