5
そりゃあ、僕だってこんなことになるとは思ってもみなかった。地下から脱出するつもりが、まさか星ごとになるなんて。
でもきっと、心構えが不十分なのは僕よりずっと彼女の方だ。案の定、放っておいたら慌てだした。
「どうしよ……どうしよう! ぼく、ぼく、ぼくぼく……! なにも準備してない、なにも持ってきてない! どうしよう! ぼくっ……あの、家に……っ、いろいろあるのっ、宝物とか! おねーちゃんがくれた絵本とか! どうしよう! それ全部おいてきちゃった……あわ、あう――!」
「落ち着けよ」
「おっ落ち着いてなんていられないよ――! だって、だってぼく池でカエルを飼ってたし、アリの巣も雨で洪水にならないように屋根作ってあげてたんだよ、たまに掘り返して遊んだけど……あと、あと庭にちょっと恥ずかしいものも埋めちゃったんだ!」
「恥ずかしいもの……?」
「見つけられたら恥ずかしいものだよ……!」
そんなもの未来永劫、誰も見つけないだろ。
「服だって持ってきてないし……! ねえ今から戻れない……? 四十秒でいいから……むり……だめ? ……あっ、お金! お金持ってないよぼくたち! どうするの⁉︎」
「気にするところがリアリティを増してきてるな」
『なにを言いマス。お金は大事デスよ。』
人工知能、お前もか。
まあ仕方ないよな。あんな干からびた星でも、彼女にとっては愛する故郷なのだから。
「ノルン」
取り乱して呼吸を荒くしていく彼女を呼び、僕は膝を折って向き合う。
「二度と帰ってこられないわけじゃないさ」
「でも」
「君がすべきことを全て終えてから、帰って来ればいい。君を蝕むその病を治し、銀河に旅立ったマギアの生き残りを探す。あの星にいれば絶対にできないことだ」
「宇宙クジラ……?」
「ああ、やることがたくさんある。全部済んだら、帰ってこよう」
そう言うと。
彼女の右目の端から、ぽろん――と流れ星に似た涙が一つ、頬を伝って落ちた。
それを指で掬ってしばらく静かに眺めるノルン。
「どうして? ライ君、ぼくのこと嫌いでしょう」
「嫌いなんて言ったことはないさ」
「でもマギアは敵だって」
僕はゆっくりと横に首を振る。
「その話はもういいんだ。戦争は終わった。終わったんだよ」
テクナもいない。マギアもいない。戦争も終わりを迎えた。戦いのためだけに生み出された僕は、当然お役御免。
トート博士から長い長い休暇を貰ってしまった、出来損ないの機械兵に過ぎないんだ。
「だから僕はもうテクナの命令に従わない。君を攻撃したりもしない……それでも、僕の中には君たちマギアを敵とみなすプログラムがついて回るけど、僕はこれからそれに抗おうと思う。なにが正しいのか、命令でなく自分で決めることにするよ。そうする権利が、僕にはあるから」
「ほんとうにそれでもいいの」
「ああ、もう、選んだんだ」
僕は君の近くにいて、君のことを、君たちのことを知ろう。
僕の理解者がかつて愛したマギアを……僕もいつか理解したいから。
「へんなのぉ……っ」
ノルンの濡れた瞳は、金色に藍色が出会った夜明けと同じ色だった。
「プログラムとか、理解するとか……全然わかんないけどさ……っ、よーするに、これからも一緒にいてくれるってことだよね」
「ああ、そういうことだ。僕がいないと困るだろ」
「ライ君も、ぼくがいないと困るよね」
頷くと、彼女は僕の胸に飛び込んで、首筋をきつく抱きしめてきた。
「ぼく、こわいよ……知らないところに行くのがこわい。でもずっと、もうずっと前からあの丘の庭から出て行きたいって思ってた……一人じゃなくなる、さみしくない、もっと別のところへって……だからやっと出て行けたんだって……嬉しいって気持ちもあるの、でもこわい……どうすればいいかわからない。こういう気持ち初めてで……っ……なんで涙がでてくるのかもわかんないよ」
止まらない。そうノルンは繰り返す。
「そばにいてライ君……。これからも、ずうっと……っ、ぼくのそばにいてよ」
三百年溜め続けた彼女の涙は、そう簡単には止まらなかった。
僕は機械兵で、そんな繊細な感情も、ましてや人の慰め方の一つも知らなかったけれど。
小刻みに震えるその華奢な体を少し強く、抱きしめ返してやった。
その背を支えたまま、僕は空いた手をそっと自分の左胸に当てる。
いつか。
ノルンの病を治して。
銀河に旅立ったマギアたちを探して。
この旅を、終える時が来たら。
その時は、必ず、すべてを伝えます。
だから、その終わりの時まで。
セシャット──。
僕に、彼女を守らせてください。
そう誓いを結び。
胸から放した手で、ノルンの涙を受け止めた。
顔を上げて微笑む彼女に、僕も同じように目を細める。
長い長い戦争の、終止符として。
和解のしるしとして。
果てのない銀河のどこかに浮かぶ卵型の小さな宇宙船に。
マギアの生き残りと、テクナが造った機械兵の最後の一機。
どこへこれから向かうのか、なにをあてにして進めばいいのか。
それはまだわからない。
僕たちは、この無限に広がる世界をなにも知らない。
この広大な星の海に、一人と一機の存在はあまりにもちっぽけなものだ。
だとしても、きっと絶望の物語にはなりはしない。
一人分の切符を千切って二つに分け合った僕たちは、こうして今、共にいる。
会話して、互いの温もりを感じることができる。
受け入れ、受け入れられる。
それだけで救われることが、数多くあるはずだ。
この、今はまだ終わりも見えない、冒険の先に、きっと――。




