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遠くの方で叫ぶ声が聞こえた――
そう感じた次の瞬間、僕はそこに突っ立っていた。
ハッとして、辺りを見回す。ボディが溶けていない。損傷もしていない。……なんだこれは。
「どういうことだ……」
まるで、これは、人間が見る夢というものみたいじゃないか。
僕は、今の今までタナトスの大群の中で戦い、敗れたというのに。
なぜ僕はハッチの内側にいる。
そして、なぜ彼女が、外側に出ているんだ。
この立ち位置は、さっきの逆じゃないか。
「巻き戻しって…………こういう使い方もできるんだよ……っ」
ノルニルは息を乱しながら、弱く笑った。
「ライ君が、ぼくを船に乗せたところまで時間を戻して……少しだけ、止めたの……」
機体の床に、小さな手をついた跡があった。這って自力で外へ出たのか、なんでそんなこと──。
「いつも、うまくできないんだけど……成功して、よかった……でも、もう……できないけどね」
「ノルニル、今のは君が……いや、それよりなんでそんな場所に――」
肩を大きく上下させ、汗まみれになった顔。満身創痍なのをなんとか誤魔化したような彼女の笑顔の後ろで、破壊の音が広がる。
壁を突き破って、先ほどとまったく同じ光景が、タナトスの群れが、まっすぐこちらにやってくる。
何をやっている。早くこっちに――。僕が彼女に手を伸ばそうとすると、それも巻き戻しの効果なのか、僕の目の前でハッチが勢いよく降下し、あろうことかロックがかかった。
「ノルニル! なにを考えている‼︎」
「それは、テクナが造った船だよ。マギアのぼくじゃない。きみに用意された船だ」
向こう側から震えた声だけが聞こえる。なにをするつもりなんだ。
「ふざけたことを言うな! 死ぬ気か!」
「ライ君、ぼくねえ……ほんとうは、もうとっくの昔に死んじゃうはずだったんだよ。お姉ちゃんの箱庭に守られてはいたけど、病気はどうしようもなくて、体の方が先に限界がきた。……だからぼく、神様に嫌われるくらいのズルをしたの」
なにを……
「一人で死にたくないから、誰にも気づかれずに死にたくなかったから……っ、自分の時間を、止めたの……」
言葉が小さく途切れ途切れになっていく。彼女はそこで泣いているようだった。
「そこまでしても誰もぼくを迎えに来てくれなかった。だから、気が遠くなるくらい長い時間を一人で過ごすことになったのは、きっと神様はぼくに怒っていて、みんな生きたかったのに、わがままでズルしてる罰なんだってずっと思ってた…………。でもそしたら、ライ君がぼくのところに来てくれて、目を覚ましてくれた……。それで思った。神様はぼくを憎んでなかったって。だからもう、これでいいんだって」
「なにがいいんだよ」
「ぼくもう、寂しい思いしないで命を終わらせられる。死ぬのは怖いし、痛いのは嫌だけど……でもきみがいたから、ぼくはここに生きたっていう証を残すことができた。きみはぼくのお願いを叶えてくれるって言ってたけど、ライ君が目を覚ました時から、ぼくの望みはもう全部、叶ってるの」
「そんな……そんなつまらないものが望みだと! そんなんでいいっていうのか‼︎ いいわけないだろ!」
いくら叩こうが蹴ろうが、ハッチは分厚くびくともしない。こうなったら、砲撃を浴びせるしか――。
「大丈夫、きみみたいには戦えないけど、魔法で、少しは足止めできるから……っ」
「やめろ!」
「ライ君、ぼくを心配してくれるなら、その船に乗ってよ。ぼくが乗るよりも、きみが乗った方が絶対にいいって……ぼくわかるもん。きみはちゃんと動ける、戦える。なにもできない、荷物のぼくとはちがう、から……」
「ちがう、荷物とか、そんなことない! なあ、頼むノルニル、ここをもう一度開けてくれ!」
「…………ありがとう、っ、ライ君……よかったよ、初めて見つけた時、きみをぶっ壊さなくて……。短い間だったけど、今までほんとうに楽しかった……ぼくのこと嫌いなのに、いっぱい助けてくれて、ありがとう……カレー、まずかったけど、おいしかった……作ってくれて……嬉しかった……っ」
「ノルニルッ‼︎」
「……ぼくのこと、忘れないでいてほしい。できたら、だけど。……ぼくがここで生きて、ここで、死んだこと。…………きみにだけは、覚えていてほしいよ」
――さよなら、と。
聞こえたきり、彼女はなにも言わなくなった。
「おい! ノルニル! ふざけるな! 黙るな‼︎ おい‼︎」
なんて身勝手な。
散々人の背中でキャアキャア騒いでおいて、死にたくないくせに死に急いだり、子供のくせに、そんな根が腐ったようなことを並べて――何様のつもりだ。
ふざけるのも大概にしろ……‼︎
僕はハッチを叩きまくるのをやめ、乱暴な手つきで箱舟の扉をこじ開けた。
クソッタレが。このままで済ませられると思うなよ。
『お客様! ご出発でございマスか⁉︎』
「まだ発進するな! それよりも、エンジンを温めてすぐにでもハイパードライヴに移行できる状態にしておけ!」
ノアに告げて、僕は機内に乗り込む。
操縦用のハンドル、その他の精密そうな機器に囲まれた、ただ一つの座席。
どう考えたって二人は乗れない。
だが――。
考えろ。考えろ! 考えろ‼︎
偏った機械の頭で、ショートするぐらいに考えろ──‼︎
こんな時、人間ならマシな考えが思い浮かぶはず。
トート博士なら。彼なら、どうする。
――テクナもマギアも、皆等しく乗り込む権利がある――
その意味、今ならわかる気がするんだ。
――最後まで諦めないでくれ! 私もまだ諦めてはいない!――
ああ、僕も、このままなにもしないのは絶対に嫌だ。
――君に直接命令を下す者はもういない。でも、君の中にはまだ彼らが残した枷がある。だからこそ、考えるんだ。自分が、ほんとうはどうしたいのかを――
もし本当にそうならば。
セシャットの星命ノ輝石を運ぶ役目だけではない。なにかを望むことを、博士があの時、本気で許してくれていたのなら。
僕も選びたい。
これ以上なく、それを今、望んでいる。
誰の願いでも、約束でもない。
自分のために──。
ノルニルのために──。
選びたいんだ……‼︎
彼女を抱えて飛んだ時の、あのうるさいくらいの奇声と弾んだ笑い声が蘇った。
僕は、もう一度、彼女と――。
その時。
僕の奥底でなにかが、ブツッと千切れたような、激しいシグナルが駆け抜けた。




