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「――ッ」
ノルニル。
考えるより先に、体が動き、僕は急いで食料庫へと引き返した。
僕がこれからどうすべきかなんて、今そんなことに時間を割いている場合ではなかった。
ノルニルの叫びが、全ての点と線を繋げ、確信に変えた。なんて迂闊だったんだ。博士の動画ログを見た時に、最重要事項として意識をそちらへ傾けるべきだった。それ以上にこの地下都市に足を踏み入れた時、もっと深く疑問に思うべきだったんだ。
タナトスは最初に対峙した時、どこから姿を現した。
何故、地中から出てきたのか。
それは、ここが奴らの“巣穴”だったからだ。
タナトスは生命反応に引き寄せられて獲物を捕食する。
かつてこの地下都市はタナトスに襲撃された。
そして残された奴らは、このアリの巣のような地下都市を寝ぐらにしていたのだ。
それならば、あの壁の深い傷も、天井の大穴も、部屋の惨状も納得がいく。
いや。疑問が解けたからなんだというのだ。
急げ。急げ。まずい――。
今出せる最高速度で、僕は食料庫の前に戻ってきた。
だが。
眼前で再び悲鳴が上がる。通路と食料庫を隔てる壁に、見覚えのあるグロテスクな体が半分ほどめり込んでいた。荒野でやり合った個体と比べれば小さい方だが、戦車並みの大きさではある。こんなのに突進されたらひとたまりも――、
「ノルニルッ‼︎」
僕は右手で刀を鞘から抜き出し、左手で発砲を開始した。
弾丸はやはり硬い外殻に弾かれて貫通しない。それでも奴の気を引くことぐらいには役に立ち、崩れた壁とその残骸の中から、あの化け物が後退して出てきた。鋭利な歯が連なる口腔の端に、捕食寸前の小動物さながらに震え上がった彼女を引っかけて。
「ライ君――ッ」
それを見て、僕は腰ベルトの手榴弾から指を離す。
仕方ない。一気に、急所を、狙う。
抜き出した刀の柄を逆手に握り、垂直に、槍投げの要領で投げつけた。
最大出力を纏った『鬼殺し』が、奴の左顔面を抉る。
醜い声をあげて口腔をぱかりと開き暴れ回るタナトスと、その激しい動きに振り回されるノルニル。
彼女というより、彼女が包まっていた僕の上着が引っかかっているのか。あれは。
「今だ、時間を止めろ‼︎」
彼女の悲鳴をも飲み込む声量で叫び、手を伸ばす。泣き出しそうな彼女が精一杯腕を伸ばし、互いの指先が触れた――瞬間。
僕と彼女以外の全てを掌握する“時”がやってきた。
チクチクと秒針の音が鳴り響く。
彼女が生み出した停止の空間。
体感するのはこれで二度目になるが、この魔法はどうやら、彼女の意思で停止しない対象をいくつか除外できるようだ。
「待っていろ。今そこから降ろしてやる」
僕は腕を伸ばして、ガタガタと震えているノルニルをタナトスの口腔端から引っ張って降ろした。
見たところ、怪我はなさそうだな。つくづく運のいい奴だ。なんて思ってたら、思い切りこめかみ辺りを殴られた。
硬い。
っ、な。こいつ缶切りで殴りやがったな。
「なにすん――!」
「ばっ、ばっばっばっ、ばかっ! ばかああぁあ! 一緒にいてって言ったのに! なんでいなくなっちゃうんだよ! ヒドイよ‼︎」
半べその訴えに、僕は出しかけた文句を引っ込める。
「悪い。全て僕の判断ミスだった……」
「死んじゃうかと思ったんだよ! ぼくは魔法は使えても、一人じゃ戦えないし、今は車椅子もないから逃げることもできないんだからぁ!」
「悪かった、ほんとうに」
「もう勝手にどっかいかないでよおぉおッ……‼︎」
ひくひくと肩を跳ねさせ、ノルニルが悲痛な声を出して僕の首筋に顔を埋めてくる。
僕はなにも言えず、とりあえず彼女の背中をとんとんと叩いてやる。
子供のあやし方マニュアルがあったらデータベースに加えたい。
「ごめんライ君……服が……」
落ち着いたかと思ったら、申し訳なさそうに穴のあいた上着を返された。
「穴あいたのが上着で良かった」
「心配してくれたの?」
「僕は魔法使えないからな」
いや、呑気に話している場合じゃない。
化け物と距離を取らなければ。上着を着直し、刺した刀をタナトスの体から抜き出して、よし、これから有効な一撃を放てる間合いを……と思った矢先。
あろうことか、止まっていた時が動き出した。通路全体を陣取るタナトスの怒りの咆哮が降り注ぐ。
「おい」
「ごめん、つい気がゆるんで」
「緩めるの早すぎだ……!」
よりにもよってこのタイミングで――まだ準備すら整っていないというのに。
どうするんだ。
この至近距離じゃ刀だって満足に振り回せない。
「トイレ我慢する感覚なんだよ、止めてるとき!」
「なんだその例え方! やめろ! 面白くもない!」
僕はなんとか飛び退く姿勢を取るが、あっちは当然待ってはくれず、巨体に似合わぬ俊敏さで突進してくる。
「くッ――」
もう一度、止めれば距離は取れる。
「ノル、」
言いかけて、僕は口を閉じた。
駄目だ。ノルニルの輝石にはひびが入っている。魔法を使用して酷く疲弊していた彼女。ひびがそれと無関係とは思えない。
輝石にこれ以上負荷をかけるようなことがあれば、きっと彼女は――。
そんな考えが過った時、脇抱えにしていた彼女が深呼吸をして両手を前に出した。
「ライ君。ぼく、もう一度できる……! もう一度止めるよ!」
「だめだ……‼︎ ノルニル、魔法は使うな! ここは僕がどうにかする!」
「どうにかって、どうやって⁉︎」
「今考えている……!」
タナトスの口腔が、ぎちぎちと開く。
勝率を導き出す演算が間に合わない。
「いいから、僕に掴まっていろ!」
「いやだ――‼︎」
「なっ」
ノルニルが突然、小さな体に不似合いな大声で叫ぶ。
「ライ君はさっきボロボロになってまで頑張ってくれたんだから! 今度は、ぼくがきみを助けるよ!」
「だめだ! やめろ‼︎」
次の瞬間、空気が凍った。
チク、チク、と秒針の音が響く。
「……君は」
「……っ、お荷物はいやだ……ぼくだって……ッ」
彼女の顔から血色が失せていく、声も震えている。
「ぼくだって、ライ君を助けたいんだよ……。二人でさ、頑張って、ここを出ようよ」
それでも彼女は、僕の腕の中で、無理やり笑ってみせた。
「……分かった。三十秒で離脱する」
「うん……それくらいなら、たぶん、なんとか……」
やはり時間を止めることは、極端に消耗するらしい。
長く強いることはできない。加えて、こんな場所じゃ飛び回ることもできない。機械兵として非常に不本意ではあるが、やはりここは撤退するのが得策か。
無理に戦闘をしてエネルギーを消費するわけにはいかないし。先ほどのように一匹倒しても、また複数匹に囲まれて袋叩きにされるのもごめんだ。僕は再び腰ベルトの手榴弾を外す。
「作戦がある」
「……その顔、絶対ろくでもないやつだ」
間もなく魔法が解除され、再び時間は一方通行に進む。
タナトスが口腔を広げ迫ってくるところに、僕はピンを引き抜いた手榴弾を投げつけ、体勢を整えた。クラウチングスタートのように。背中に回った腕に、力がこもる。
「いくぞ――‼︎」
「うんッ」
爆発寸前。
「三重加速――‼︎」
加速の魔法が僕の全ての機能を底上げする。
ノルニルを背負った状態で、通常の三倍のスピードで化け物の真横を抜け、壁を駆け上がり抜き去る。
数秒後、背後から爆発音と化け物の断末魔の叫びが追いかけてきた。
「どうだ!」
「追ってきてない、大丈夫……!」
振り向いたノルニルが作戦の成功を確認する。
彼女の魔法は便利だが、使いどころと他者との協力によって真価が発揮される。
彼女一人でも、僕一人でも、この回避は実行できなかった。
かなり引き離したか。よし、魔法はもう使わなくていい。
そう僕が言おうとした時。
真横の壁が崩れて吹っ飛んできた。
耳に残る不快な金属音のような鳴き声。
「また出てきた――⁉︎」
やはり、ここは奴らの住処だったか。
まずい。天井も嫌な音を立てて軋んでいる。降ってくるってのか。
背後からも複数反応がある。ノルニルの生命反応を感知して、タナトスたちが集まってきている。
「なんか、どんどん来てるよ……! どうすればいいの!」
首にしがみつきながら、ノルニルが取り乱した声で訴える。やむを得ない……。
「すまない、あと五秒だけ維持できそうか……!」
「わっ、わかった! でもどこへ向かうの⁉︎」
いくら昔ここに滞在していたとはいえ、僕はこの地下都市の全てを把握しているわけではない。
こんなふうに追いかけっこさえしていなければ、入念に出口を探すことは可能だが、今はどうしたってそれは叶わない。
あてずっぽうで進むのも袋小路に行き着く可能性を高めるだけだ。ならば――
「最下層のターミナルだ」
「ターミナル⁉︎」
「情報を掴んだ。そこに箱舟があるらしい。それで地上まで脱出しよう」
ただしこれは危険な賭けだ。
クリア条件は三つ。
最下層にたどり着くまで、タナトスたちから逃げ切ること。
複数あるとされている箱舟が、そこにまだ残っていること。
最後は、三百年もそこに取り残されていた箱舟を起動することに成功すること。
どれもシビアだが、闇雲に彷徨い八方塞がりになるよりかは、そこを目指すべきだと僕の頭が確率から割り出した。
後戻りはできない。進むしかない。
「このまま行くぞ――!」
最下層のターミナルへ――。




