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扉を開けて小屋から出ると、久々に浴びる陽光にボディが反応した。
眩しい光。生き物に生きる力を与える光。
僕は生き物ではない。けれど、この太陽の光が動力になる。ソーラー式。ちょっと時代遅れではあるが、光さえ取り込めれば半永久的に動ける。らしい。
「へええ、ライ君はお花や木と同じなんだ。エコだねえ」
僕の頭部にちょんとしがみついたノルニルが、機嫌よさげに言って、ゆらゆら揺れる。
「無駄に動かないでくれないか。視界がブレる」
「だって楽なんだもん。こんなに背が高くなったのも初めて。すっごい、いい眺め!」
結局こうなった。駄々っ子の魔女は、車椅子がなければ移動ができない。どれほどの距離を進むかも、外の状態もまだ把握できていない。車椅子を置いていくなら、ひとまず僕が彼女を運ぶしかなかった。
山小屋の外は、見渡す限りの花畑。蜂や色彩あふれる蝶がそこら中を舞っている。花は見たことがある。けれど、丘一面を埋め尽くすほど咲いているのは初めて見た。
それに、花畑の上を吹き抜ける風に混じって、解析不能なエネルギーの循環を感じる。既存のあらゆる記録データとも一致しない、先ほどノルニルから感じたものとよく似ている。
それは山小屋を中心に、半径およそ十キロ。反応には濃淡があるものの、巨大な膜のように一帯を覆っている。戦場の空を満たしていた煤煙も、焼けた鉄と血の臭いも、有害物質を含んだ重たい大気も、ここにはどれ一つ存在しない。
まるで御伽話の一ページを切り取ったような空間だった。
「……これも君の仕業か?」
「ん?」
頭の上で揺れていたノルニルが、僕の髪を掴んだまま気の抜けた声を出す。
「この周辺一帯に、不可解なエネルギーが満ちている。空気も大地も水も、外界で記録されていた汚染値と大きく異なる。まるでここだけ別の世界だ。……君の魔法でこんなふうにしてるのか?」
そう問うと、ノルニルは少しだけ胸を張って、どこか誇らしげに笑った。
「ううん、これはぼくじゃないよ。お姉ちゃんのおまじない」
「お姉ちゃん?」
「そう。ここを守るために、ずっとずっと昔に残してくれたの。空気の汚れとか、危ないものが入ってこないように、ここだけ外から切り離してるんだって。なんだったっけ……クウカンのユガミ? とかいうやつ。すごいでしょ」
僕は返事をする代わりに、再び周囲へ意識を向ける。花々を揺らす風。澄みきった空気。異常なまでに保たれた自然環境。そして、この一帯を包み込む未知の力。
本当に、この領域が外界から切り離された特殊な保護下にあるのだとしたら。――ノルニルが長い年月の中で狂気に呑まれず、壊れきらずに済んだのも不思議ではない。
切り取られた箱庭の楽園。この場所を今日まで保った人は、よほど彼女を守りたかったのだろう。そんな気がしてならなかった。
「ねえ、今日は天気もいいし、その辺に寝っころがってみない? 気持ちいいよ?」
「そんな暇はない。食料確保が最優先事項だ」
「ちぇー。時間に追われる必要ないから、のんびりすればいいのに。明日も明後日も、きみには仕事なんてない。ずーっとお休みだよ。一日中ゴロゴロしてもぜんぜん平気。だーれも怒らない」
「ッひ――」
全身を走る回路信号が、一瞬だけ異常な停滞を起こした。人間の反応で近いものを挙げるなら、鳥肌が立った、という表現になるのだろうか。
「ノルニル。君は……なんて、なんて恐ろしいことを言うんだ」
「え……?」
そんなの絶対に堪えられない。なにもすることがない? ずーっと休み? 一日中ゴロゴロ?
無理だ無理だ。僕は動いてこそ、使命を全うしてこその存在なんだ。なにもしないなんてことになったら……。
「僕はただのバネやネジ、鉄板、ガラクタの寄せ集めじゃないか!」
「どしたの急に?」
「この先の未来を想像した……これが人でいう恐怖というものか……」
「ああ、んー……よくわかんないけど。今日はごはんを探しに行って、明日はゴロゴロする……でいいの?」
「いや、しないから」
「じゃあ今日はゴロゴロして、明日ごはんを探しに行くの?」
「違うから、そうじゃない」
小川の水でゆるゆる回る水車に、シーツを干した物干し竿。低い柵と家畜小屋、何かの作物が不規則に植わった小さな畑。
なんだあれは……不細工な、カカシのつもりか? そんなものも視界に入る。
「ほんとうに君以外、誰もいないんだな」
「たぶん、遠くに行ったって誰もいないよ」
「さあね。それは行って確かめるよ。もしかすると生存者が他にいるかもしれない」
「たぶんいないと思うけどね」
「決めつけるなよ」
「ほんとうなんだって」
「まあいいさ。行けばわかる」
ノルニルは五分の間に、水筒、非常食のネズミの干物、なにかの木の実、ハチミツの入った小瓶、山小屋の鍵をポシェットに詰めていた。
別に鍵なんかいらないだろ、と言うと、彼女はこう言うのだ。
「持ってないと、帰ってこられない気がするから」
そして僕に、家畜小屋の扉と柵の門を開け放つよう指示する。言われるままに開けると、のそのそとヤギ数頭、ニワトリとひよこ数十羽が出てきて、好き勝手に花畑を動き回る。中には、そのまま茂みに入っていくものまでいる。
「いいのか。このまま放置すれば、彼らは戻ってこないかもしれないぞ」
「うん、いいよ。いつ帰ってくるかわからないし。帰ってこられるかもわからないし」
「なに言ってるんだ。ここの座標は今さっき登録した。帰ってこられないなんてこと、心配するに値しない」
花びらを巻き込んだ暖かい風に三つ編みを揺らして、彼女は僕の頭上から覗き込んでくる。元気が出てくると、目の色が金色に近くなるみたいだ。
「うん……そう……だよね! ごめん、なんでもないよ! さあ行こうよ、冒険だライ君! ぼくをうんと遠くに連れてってよ!」
「言われなくても出発するさ」
「なんかいちいち難癖つけたがるなあ。はいはい、いこういこう、出発進行ー! ノルン号、全速前進ー!」
「おかしな名前をつけるなよ」
あと、髪を引っ張るな。
「どうやって行く?」
「土地勘はそっちにあるだろ?」
「とんちんかん?」
「僕が悪かった。遠くには行けなくとも、ここ周辺は君の方が詳しいんじゃないか」
「ああうん、そういうこと。えーっと、ざっくり言うと北の方には渓谷があるよ。南の方には山がいっぱいある」
ほんとにざっくりだな。
「山を越えた先にはなにがある」
「枯れた大地がずーっと広がってる。その先は……テクナの居住地だったよ」
「それは本当か?」
「そっちに行きたい?」
「……少し…………確かめたいことがある」
「うんとうんと遠いし、もうなにもないかも」
それでも。一人でもテクナの生き残りがいるかもしれない。たとえ三百年経っていようと、彼らには豊富な知識と誉れ高い技術がある。もしかしたら。
「じゃあ、そっちに行こうよ」
「いいのか」
「うん。テクナがいるかはわからないけど、ライ君みたいなのが他にもいるかもしれないしね」
よし。方角は決まった。
僕はノルニルを一度肩から降ろし、横向きに抱える。
「なにするの?」
「まさか君は、このままテクテク徒歩で移動するとでも思っていたのか」
そんなことをしていたら、あっという間に百年ぐらい経ってしまうだろう。地上にどんな変化が起こっているか、突然変異した獣やらが生息しているかもわからない。その都度足止めを食らうのも癪である。
時短と探索に徹するのなら、断然こっちの移動手段の方が理にかなっている。
背部装甲が、乾いた金属音を立てて開く。よし……いけそうだ。
「え。な、なに出してんの……?」
折り畳まれていた三対の機械羽を左右へと展開する。鳥の翼を模した鋼の骨組み。羽の内側を走る、青白い光の線。
《背部飛行ユニット、展開》
《マッハドライヴ、低出力起動》
《外部搭乗者を確認。衝撃緩和を開始》
抱えているノルニルの体重を計算に入れ、腕の固定角度を調整する。
「落ちないようにはするけど、シートベルトはあいにく持ち合わせていないから。念のため掴まっててくれ」
木々の枝葉が激しく揺れ、花びらと砂埃が巻き上がる。
「うそっ! うそ! 飛ぶの⁉︎ え、いきなり⁉︎ ちょっと待って――」
「口を閉じないと舌噛んで死ぬからな」
「うそっ! うそッ⁉︎ 待ってよ心の準備、」
三。
二。
一。
零。
ヴォン──‼︎ という腹の底に響く重低音とともに、機械羽が青白い光を噴き上げた。
地面が弾け、花畑が足元から一気に遠ざかる。山小屋の屋根が、水車が、家畜小屋が、あの不細工なカカシも、まとめて小さな模型みたいになって遠ざかっていく。
「ま、アッ――――!」
ノルニルの声が風に掻き消される。腕の中の彼女を壊さないよう、マッハドライヴは出力を絞っている。それでも、人の足では決して届かない高さまで、僕たちは一瞬で上昇した。
「と、飛んでる……ほんとに、飛んでる……!」
「だから言っただろ」
背中の機械羽が、もう一度低く唸る。
進行方向を南へ。目的地、旧テクナ居住地。
「いってきます。お姉ちゃん――」
寂しげにそう呟いたノルニルを抱えたまま、僕は丘の頂上から南の空へと飛び立った。




