将軍の二十年、クルビット家の名
春芽月、最終日の朝。
稜は、砦の客室の寝台の縁に座っていた。窓の外で、北の夜明けが紫色から金色へ変わりつつあった。サルマティアの草原の向こうから、朝の光が射していた。アウリオンの夜明けより、少し遅い。北の緯度の違い。
昨夜稜は、ほとんど眠れなかった。
オルヴァンが、開いた封筒の中の名前。アルデス公の手の震え。フィオナの父の死との繋がり。──全てが、稜の頭の中で繰り返し回っていた。そして稜の胸の中で、もう一つの名前が繰り返し響いていた。
カイル・クルビット。
二十九歳。五家の若き当主。これまで稜が何度か対話してきた男。父フェリクスの急死の記憶を語った夜。家の没落を、恐れてある書類を書き換えた可能性があった父。──その父が、もしかしたら霧峰の五百人を死なせた男だった。
稜は深く息を、吐いた。
扉が、ノックされた。
「稜殿。──朝食の用意が、できております」
砦の若い、衛兵の声。
稜は、立ち上がった。
─── ─── ───
砦の食堂は、狭かった。
石造りの長い、机。十人ほどが、座れる長椅子。砦の警備兵たちは既に早朝の当番のために出払っていた。食堂には稜とアルデス公オルヴァンの三人だけだった。
朝食は、質素だった。麦のパン。チーズ。茹でた、卵。温かい、ハーブティー。三人は静かに食べた。会話は、ほとんどなかった。それぞれ、昨夜の衝撃を自分の胸の中で整理していた。
食事の後。
オルヴァンは、二人をまた執務室に案内した。
昨夜と、同じ机。同じ、三つの椅子。しかし机の上には昨夜の二枚の羊皮紙だけではなかった。オルヴァンは、机の横の棚からもう一つ別の束を取り出していた。革の表紙の分厚い、ノート。そしていくつかの古い、書簡。
オルヴァンが、ノートの表紙に手を置いた。
「アルデス公、稜殿」
オルヴァンの声は、低かった。しかし昨夜より、少し落ち着いていた。
「今朝お話し、いたします。──二十年の調査の全貌、です」
─── ─── ───
オルヴァンは、ノートを開いた。
最初の頁に、一つの家紋が描かれていた。
古い、五家の紋章の一つ。獅子と、蔓の組み合わせ。
「クルビット家」
オルヴァンが、静かに告げた。
「アウレリア王国の千年の五家の一つ。千年前、アドレアン王の独立戦争を支えた五つの家の一つです」
稜は頷きを返した。
(──そしてその家が、二十年前国を売った)
オルヴァンは続けた。
「クルビット家の千年。──最初の二百年は繁栄しました。アドレアン王の独立戦争で、最大の軍事的貢献をした家。王家のすぐ下王国の最大の軍門でした」
「しかし二百年前アウレリア崩壊の時代にクルビット家は深く傷つきました。当時の当主、エイガルド・クルビットはアウレリア崩壊の最後の戦闘で死亡。彼の息子まだ十八歳だったヴァルデマールが家を継ぎました。しかし家の財産の半分以上が、その戦闘で失われました」
オルヴァンは、ノートを捲った。次の頁に、家系図が描かれていた。クルビット家の五代の家系図。エイガルド、ヴァルデマールロランドフェリクスそしてカイル。
「クルビット家は二百年徐々に衰えていきました。家の領地は、徐々に削られ家の維持のための収入は毎年減っていきました。──三十年前フェリクス・クルビットが家を継いだ時家は五家の中で最も貧しい家だった。家の維持のために、毎年王宮から少額の補助金を受け取っていました」
稜は静かに聞いていた。
「フェリクスは家を立て直そうと必死でした。──しかし彼には軍人としての才能はありませんでした。父ロランドのような武の家系の人物ではなかった。彼は、書記官の才能を持っていました。文書の整理政治の実務。──だから、彼は王宮書記官室で働くことを選びました」
稜の心臓が、一度強く打った。
(──書記官室。──ルクレティウスと、同じ書記官室だ)
─── ─── ───
オルヴァンは続けた。
「フェリクスは書記官として王宮で働きその収入で家を支えました。同時に家の領地の再建を、模索しました。──しかし十年が経っても家は立ち直りませんでした」
「三十年前の夏。フェリクス・クルビットは四十歳。家の財産が、底をつきかけた時期でした。家には若い息子カイルがいました。当時、九歳。フェリクスの唯一の息子。家の五家の当主の地位を継ぐ唯一の後継者」
オルヴァンは深く息を、吐いた。
「その夏フェリクスはサルマティアの商人と出会いました。商人は、ヴェロニアの運河でサルマティア側の産品の取引を扱う男でした。商人はフェリクスにある提案をしました」
「『クルビット殿。──アウレリア王国の北方への進軍計画の情報が、欲しい。情報の提供と、引き換えに家の財産を回復させる十分な資金をお渡しする』」
稜と、アルデス公は長く沈黙した。
オルヴァンは、ノートを捲った。次の頁に、サルマティア商人の署名の写しがあった。古い、文字。しかし確かに商人の署名、だった。
「フェリクスは最初断りました。──家の書記官としての立場で、得た情報を敵国に売ることは明確な裏切りでした。しかし商人は何度もフェリクスを訪ねました。一年、訪ね続けました」
「そして二十一年前の冬。──家の財産が完全に底をついた。フェリクスは、家を売る寸前でした。家を売れば五家の当主の地位は失われる。千年の家の歴史が、彼の代で終わる」
オルヴァンの声が、低くなった。
「フェリクスは、息子カイル十歳の顔を見て決断しました。──家を、守るためにサルマティアの商人の提案を受け入れる」
─── ─── ───
オルヴァンは、ノートをまた捲った。
「二十年前の春。──独立戦争が始まったその年。アウレリア軍の北方への最初の進軍計画が、王宮の書記官室で整理されました。フェリクスは書記官としてその計画の写しを合法的に見ることができる立場でした」
「フェリクスは計画の概要を紙に写しました。そしてサルマティアの商人に渡しました。商人は、計画をサルマティア軍に伝えました。──しかし最初の進軍は霧峰ではありません。別の戦闘でした。そこでは、アウレリア軍は勝ちました。フェリクスは自分の漏洩の影響が限定的だったと思いました」
「商人は二回目の依頼をしました。フェリクスは、断れませんでした。──既にサルマティアから最初の資金を受け取っていました。家は、一時的に立ち直っていました。今止まれば商人はフェリクスを脅迫する可能性がありました。フェリクスは、続けました」
「霧峰の戦闘の計画。三日前。──フェリクスはその計画を商人に渡しました。商人は、計画をサルマティア軍に伝えました。──そして霧峰の戦闘は起きました」
オルヴァンの声が震えた。
──オルヴァンの右手が、ノートの上で一度静止した。──七十二歳の老将軍の指。──節の太い、長い軍人生活の中で剣を握り続けた指。──しかし今、その指がノートの上で僅かに震えていた。──二十年抱え続けた重みが、初めて言葉になる瞬間の震え。
「五百三十七人が、死んだ。私の弟、エイブも。フィオナ様の父も。──その漏洩で」
長い沈黙が流れた。
砦の執務室の窓の外で、北の風が吹いていた。──サルマティアの草原を渡る風。──二十年、その風はこの砦の壁を叩き続けてきた。──しかし今夜、その風の音が、稜とアルデス公の耳に、別の意味を持って届いていた。──五百三十七人の兵士たちが死んだ、まさにその草原の風。
アルデス公の目に、わずかに涙が滲んでいた。──二十年、父王ヴィルフレッドが続けた遺族訪問の重み。──その遺族たちの夫・息子・兄弟を死なせた漏洩の真相が、今夜ここで明かされた。
稜は深く息を吐いた。
「オルヴァン殿。──フェリクス殿は、その後どうなったのですか」
オルヴァンは、ノートの最後の数頁を捲った。──手の震えがまだ続いていた。
「霧峰の戦闘の後。──フェリクスは自分の漏洩の規模を知りました。五百人。──五百人が、自分の漏洩で死んだ。彼の心はその重みで壊れ始めました」
「サルマティアからの資金は十分でした。家は、一時的に完全に立ち直りました。しかしフェリクスはその資金で立ち直った家の屋根の下で毎晩眠れなくなりました」
「五年が、経ちました。──二十五年前の夏。──フェリクスは、自分の書斎で自殺しました」
稜は、息を吐いた。
(──カイル殿の父の『急死』は、自殺だった)
かつて、カイルが稜に語った父の急死の記憶。詳細は、語られなかった。「父は、ある日突然書斎で、亡くなった」。それだけ、だった。当時、十四歳のカイル。父の死の真相を知らずに、家を継いだ。
オルヴァンは続けた。
「フェリクスは自殺の前に一通の書簡を書き残しました。──家の執事、宛てでした。執事はフェリクスの最も信頼する家臣でした。書簡には、こう書かれていました。『私の五年前の選択を息子カイルには決して告げないでほしい。家は、息子の代で新しく再生してほしい。私の罪を息子に継がせないでほしい』」
「執事は、その約束を守りました。──カイル殿は、二十九年の人生で父の罪を知りません。父の死の真相を知りません。──まだ知らないと思います」
─── ─── ───
長い、沈黙が流れた。
暖炉の火が、爆ぜた。
窓の外で、春の山風がまた強くなった。
アルデス公は、両手を机の上で組んでいた。指が、白くなるほど強く握っていた。アルデス公は長く口を開かなかった。そしてようやく低く呟いた。
「フィオナの父は二十二歳。──結婚して、半年。妻が妊娠していた。──フィオナの母は、霧峰の戦死の報を受けて流産しました。フィオナはその後生まれた二番目の子です」
稜は、長くアルデス公を見つめた。
「アルデス公」
稜の声は、静かだった。
「フィオナ殿の母は、その後どう、なられたのですか」
アルデス公は深く息を、吐いた。
「フィオナの母は夫の死と流産の二つの重みで心を深く傷つけました。フィオナを、産んだ後何とかフィオナを十五歳まで育てました。しかしフィオナが十五歳の時病で亡くなりました。──フィオナは、両親を二人とも失って教会の下働きとなりました。私と出会う五年前です」
稜は深く頷いた。
(──フィオナ殿の家族の悲劇のすべての根源は、フェリクス・クルビットの二十年前の選択だった)
オルヴァンは、ノートを閉じた。
「アルデス公稜殿。──私の二十年の調査の結論は、以上です。霧峰の真の敗因は戦術でも兵力でもない。──内部からの情報漏洩、でした。漏洩した男の名はフェリクス・クルビット。クルビット家の当時の当主。──カイル殿の父」
稜は長く沈黙した。
そして静かにオルヴァンに問うた。
「オルヴァン殿。──その情報の出所は、どこからですか」
─── ─── ───
オルヴァンは、稜を見つめた。
しばらく、間があった。
オルヴァンは、ノートの最後の頁を開いた。そこに、一通の古い書簡の写しが貼られていた。
「稜殿。──私の調査の最初の突破口は、十年前ある人の古い手紙でした」
オルヴァンは続けた。
「十年前私は王宮書記官室の古い書類の中にある手紙を見つけました。──いえ、正確には私が見つけたのではありません。書記官室のある書記官が私に見せてくれました」
「その書記官は当時王宮書記官長でした。年齢は、六十代の後半。──その書記官は私にこう言いました。『オルヴァン将軍。──私は、二十年前霧峰の敗因を調べるあなたの調査を密かに知っています。私はあなたの調査が真実に辿り着くことを願っています。──私の机の抽斗の中に、一通の古い手紙があります。それをお貸しします』」
オルヴァンは、書簡の写しを机の上に置いた。
「その書記官の名は、ルクレティウス・モク」
稜の心臓が、強く打った。
(──祖父)
稜は、目を閉じた。
クロヴィスの祖父、ルクレティウス。三日前、クロヴィスが書記官室でその台帳を開いた男。フェリクスと、二十年同じ書記官室で机を並べていた同僚。
オルヴァンは続けた。
「ルクレティウスの見せてくれた手紙はフェリクスが書記官室の机の抽斗に残していた一通の書簡でした。フェリクスは、自殺の前にその手紙を抽斗に隠しました。手紙にはこう書かれていました。『──もし、いつか誰かが霧峰の真実に辿り着いた時この手紙が私の罪の証拠となる』」
「フェリクスは罪を息子には告げないと執事に約束しました。しかし彼の内面は、罪を誰かに知ってほしいと願っていた。だから書記官室の自分の机の抽斗にその手紙を残しました」
「ルクレティウスはフェリクスの自殺の後その手紙を発見しました。彼は、二十年その手紙を自分の抽斗に保管していました。──しかし彼は誰にもその手紙の存在を告げませんでした」
稜は、目を開けた。
「ルクレティウス殿は、なぜ二十年、沈黙されたのですか」
オルヴァンは深く頷いた。
「ルクレティウスは私にこう言いました。『──オルヴァン将軍。私は、フェリクスの二十年の同僚でした。彼の家族と私の家族は親しかった。フェリクスの息子、カイル殿は私の家によく遊びに来ていました。──私はフェリクスの罪を知ってしまった。しかし彼の息子、カイル殿にその罪を継がせることはできなかった。私は二十年沈黙しました』」
「『しかしあなたが私的に調査を続けていることを知りました。あなたは、霧峰で五百人を失った指揮官です。あなたが真相に辿り着く権利はあります。──だから、私は十年前あなたにこの手紙をお見せした』」
オルヴァンは、書簡の写しを稜とアルデス公の方に回した。
─── ─── ───
稜は、その写しを長く見つめた。
フェリクス・クルビットの筆跡。震える、字。三十年前、書記官室の机の抽斗に隠された罪の自白。
稜は、ゆっくりとその写しを読んだ。
「私フェリクス・クルビットは二十一年前から二十年前までサルマティアの商人と取引を続けた。提供した、情報はアウレリア軍の進軍計画。受け取ったものは家の維持のための資金。──霧峰の戦闘で、アウレリア軍五百三十七名の死は私の漏洩の結果である。
私は家を守るために国を売った。家族への愛が、国家への裏切りになった。──罪は深い。
しかし私は、息子カイルにはこの罪を継がせない。家の執事エルマーにこの書簡を託す。エルマーよ、私の死後息子の目の届かない場所にこれを隠せ。家を息子の代で再生させてほしい。──私の五年は、無駄ではなかったと私は信じる。
フェリクス・クルビット
二十五年前夏」
稜は、書簡を読み終えた。
長く沈黙した。
(──ルクレティウスの五十五歳の変化。──彼は、五十五歳でフェリクスの自殺の後この書簡を見つけた。そして二十年、沈黙した。──その二十年の重みが、彼の心臓を蝕んだ)
稜は深く息を、吐いた。
オルヴァンは、稜を見つめた。
「稜殿。──ルクレティウスは十年前のある夜私に書簡をお見せになりました。そしてこう、言われました。『──オルヴァン将軍。あなたが十年調査を続けたらサルマティアからの第二の書簡が届くはずです。その書簡には、漏洩の出所の名が書かれている。私の書簡と一致するか確認してください。一致したら、あなたの二十年の調査は完成します』」
「ルクレティウスはその夜私に書簡の写しを渡しました。原本は、彼の机の抽斗に保管され続けた。──そしてルクレティウスはその夜の五年後亡くなりました」
稜は無言で頷いた。
「オルヴァン殿。──ルクレティウス殿の原本の書簡は、今どこに」
オルヴァンは、首を横に振った。
「分かりません。ルクレティウスの死後書記官室の机の抽斗は整理されました。しかし書簡の原本は、見つかりませんでした。──ルクレティウスが別の場所に隠したのか。あるいは誰かが、運んだのか」
稜の胸の中で、一つの思考が形を取り始めた。
(──裏の冥書庫の最深部の祖父の手稿。──そこに、原本があるのではないか)
─── ─── ───
稜は、オルヴァンに深く頭を下げた。
「オルヴァン殿。──二十年のご調査、本当にありがとうございました」
オルヴァンは深く一礼した。
「稜殿。──私の二十年の調査はここで終わります。あとは、稜殿アルデス公のご判断です。──カイル殿に父の罪を告げるか告げないか」
長い、沈黙が流れた。
アルデス公は、しばらく両手で顔を覆っていた。
そしてゆっくりと手を、降ろした。
「オルヴァン殿。──一つ、お尋ねします。サルマティアから、フェリクスに渡った資金はどのくらいだったのですか」
オルヴァンは、ノートを見た。
「金貨で、約五百枚です。クルビット家を、十年維持するに十分な資金でした」
「そしてフェリクスは、五年で自殺、した」
「はい」
「五百人の死の五百枚の金貨」
アルデス公の声は、震えていた。
「フェリクス・クルビット殿は、その計算を毎晩自分の心の中でしていた、のだろう」
稜は一度頷いた。
(──家族への愛が、国家への裏切りになった悲劇)
アルデス公は長く沈黙した。そして低く呟いた。
「──フィオナが、霧峰の古戦場を見たいと言った理由がようやく分かった」
稜は静かに問うた。
「アルデス公、──フィオナ殿は、真相をご存知なのですか」
アルデス公は長く稜を見つめた。そしてゆっくりと答えた。
「──おそらく三年前から。病の発症と、同じ時期から」
─── ─── ───
稜は深く息を、吐いた。
窓の外で、北の春の朝の光が強くなっていた。砦の鐘楼の鐘が、十時を告げた。
アルデス公は続けた。
「三年前。──フィオナは病の最初の兆候を感じた頃ある日突然私にこう言いました。『アルデス。──私の父の死の真相を、調べていただきたい』。私は最初断りました。父の死は、霧峰の戦闘で戦死。それ以上のことは知る必要はないと」
「しかしフィオナは続けて言いました。『私は、最近ある夢を見るのです。父の夢。父が私にこう言うのです。「フィオナ。──お前の母と、お前の半分の兄弟が生まれずに死んだのは戦闘の敗北の影響ではない。──別の何かがあった」』」
「私はフィオナの夢のことを聞いて密かに調べ始めました。──三年、調べました。しかし私は何も見つけられませんでした。私の調査の能力は、オルヴァン将軍に比べて遥かに劣ります」
アルデス公は長く沈黙した。
「しかしフィオナは、私の調査の進まなさを見てある日こう言いました。『アルデス。──いいの。父の夢の答えは、私がもう自分で見つけたから』」
稜は、息を呑んだ。
「フィオナ殿は、ご自分で真相に辿り着かれた、のですか」
アルデス公は頷いた。
「おそらく。──フィオナは王宮の図書室で密かに二十年前の霧峰の関連書類を調べていました。書記官の補助として、何度か王宮書記官室を訪ねていました。──そこで何かを知ったのかもしれない」
「フィオナは私に真相を告げませんでした。──しかしフィオナのその後の目は、変わりました。深い悲しみと深い受容の目になりました」
アルデス公の目に、涙が滲んだ。
「フィオナは二十年の悲しみの根源を知りながら私と二人の最後の時間を過ごしてくれた。私の家の独立戦争の勝利の影の罪を許して、くれた。──そして最期に霧峰の古戦場を見たいと願った」
アルデス公の涙が、流れた。
稜は、長くアルデス公を見つめた。そして静かに立ち上がった。アルデス公の肩に、手を置いた。
「アルデス公」
稜の声は、静かだった。
「──明日フィオナ殿を、霧峰の古戦場にお連れしましょう。フィオナ殿の最期のご願いを、私たち三人でお支えいたします」
アルデス公は深く頷きを返した。涙を、拭わずに。
オルヴァンは深く一礼した。
「アルデス公稜殿。──私も、共に霧峰へ参ります。私の弟エイブも霧峰に眠っています。私も、二十年訪ねていない」
窓の外で、北の春の風が強く吹いていた。
砦の旗が、はためいていた。
明日霧峰へ。
千年の五家の一つの罪と、五百人の死と二十年の悲しみが明日霧峰の古戦場でフィオナの巡礼の形で静かに向き合う。
二十年の調査の全貌、ようやく書ききれました。
霧峰戦闘の三日前に漏洩された進軍計画、五百三十七人の死、受け取った金貨五百枚。
「五百人の死の、五百枚の金貨」——この一行を書くために、第一部から積み重ねてきたつもりです。
フェリクスの遺言、息子カイルへの想い、そしてクロヴィスの祖父ルクレティウスの二十年の沈黙。
読み返してみても、自分でこの章を書ききれた手応えがあります。




