表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
38/58

第37話:仮の名


雲を抜けてしばらく経つ。

空の海は静かだった。

風も穏やかで、帆の音だけがゆっくり響いている。


だが、船の中は……やけに重かった。


甲板の椅子に腰を下ろしたまま、三度目のため息をついた。


「……はぁ」


そのたびに、リュカが反応する。

「なぁコール、それ、もう今日で何回目だ?」

「数えてどうする」

「いや、さすがにうつるだろ。こっちまで気分が沈むっての」


船室の扉が開き、シアがすっと現れた。

いつもより少し明るい声をしている。


「なら――気分転換に、降りてみませんか?」

「…下にか?」


コールが顔を上げると、シアは軽く微笑んだ。

「せっかく街の上を通るんですもの。補給ついでに、少し散歩でも」

「……必要ない」

「そう言うと思いました」


シアの笑みが、ほんの少しだけ鋭くなった。

その背後で、リュカがなぜか目を逸らしている。


「おい、なんだその顔」

「い、いや……な、なんでもねぇよ」

「言えよ」

「……言えねぇ(シアの目が怖ぇ)」


シアは優雅に髪をかき上げた。

「リュカが申しておりました。“コールもたまには人間らしい休みを取った方がいい”と」

「おい。お前、いつそんなこと――」

「え?あたしは何も…」

「ね? そうですよね、…リュカ?」


「……はい(小声)」


言いづらそうなリュカに、妙に上機嫌なシア…。


「……お前、脅したな?」

「まぁまぁ、脅すなんてそんなことしません。偶然、利害が一致しただけです、…リュカ?」

「はい! そうそう! そうです! しばらく街も降りてないしな!!」


リュカが必死にデスメタルライブ並みに頭を縦に振っている……。はぁ…付き合ってやるか。


「とはいえ、あれは人間の街だろ? もしかしたら逃げ延びたやつが張ってるかもしれねえ。俺のこの格好じゃ素性が――」


シアが待ってましたと言わんばかりに手を叩いた。


「ではっ! 私にお任せください!」

「は?」

「せっかく街へ行くんですもの。いつまでも“海賊崩れ”の格好では困ります」

「あ、あのなぁ……海賊崩れって言うな」

「……でも、似合ってはいますけどね。(少し悪い意味で)」


リュカがぼそっと呟いた。


「たしかに、もうちょい別の服ねぇのかよ。冒険者っぽいほうがマシかもな」

「お前まで言うか」


シアは上機嫌で船室へ引き返す。

「では準備しておきますね。大きさは――もう覚えてますから」

「おい、なんでそんな得意げなんだ……てかなんでサイズ知ってんだ!?」

「ふふ。女性の観察眼を侮ってはいけませんよ、コール様♪」


扉が閉まり、静寂が戻る。

リュカが深いため息をついた。


「……お前、逃げられねぇな」

「……分かってる」


俺はまた小さくため息をついた。


―――船室の中。


マントを掛け替えながら、シアが腰にベルトを締め直している。

「……これで完璧です」

「やっと終わりか?」


シアがいつの間にか用意していた服をその場で調整していたので、少し時間がかかった。

解放された俺は、首元のマフラーを外した。


「ふぅ……」


リュカが何気なく振り向き、

次の瞬間、言葉を失った。


「……へぇ」


その妙に素っ気ない声に、俺は眉をひそめる。

「……なんだよ」


「いや、別に。ただ……思ったより、整ってんな」

「は?」

「悪い意味じゃねぇって。ただ……もっと山賊みたいな顔かと思ってた」


沈黙。

シアの手がピクリと止まる。

笑みは浮かべたままだが、目の奥が笑っていない。


「……リュカ」

「な、なんだよ」

「軽いですよ。その言い方」

「え、そうか?」


俺は咳払いして、フードを深く被った。

「……くだらねぇこと言ってねぇで、行くぞ」


「あぁ待てよ〜」


扉を出ると、背後でシアのため息が小さく鳴った。


「……リュカ。あなた、後で覚えておきなさい」


「え、なんで!?!?!」


―――街の通り。


人のざわめきが、風に混じって流れてくる。

色とりどりの屋台が並び、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。


「おいコール、これ見ろよ! 肉串一本大銅貨一枚だって!」

「さっき三本食ったろ」

「だって違う味だぜ! こっちは“王都式”って書いてある!」


リュカは嬉々として串を掴み、すでに支払いを済ませていた。

その横でシアが小さくため息をつく。


「……さっきの露店で果実酒を買ったの、誰でしたっけ?」

「それは……お前だろ」

「あれは補給です」


まったく、これじゃどっちが気分転換に連れ出されたんだか……。


「(ん?)」


懐を探った。

……軽い。

指先に触れるのは、小銅貨が二、三枚。


「……おい」

「ん?」


リュカが肉串をくわえたまま振り向く。


「金、残ってるか」

「は? いや、もう――」


リュカが俺の財布を覗き込む。

「……あれ?」


シアが静かに言った。

「出発前に“好きにしていい”とおっしゃいましたよね、コール様?」

「……あぁ、言ったな」

「なら、そういうことです」


「……マジかよ」


露店の香辛料がやけに眩しく感じた。

人混みの向こう、香ばしい匂いが漂ってくる。

その方向へ視線を向けると、大きな建物が見えた。


「……ん?」


厚い扉の上には金属の看板。

そこには、剣と翼を組み合わせた紋章――


《冒険者ギルド》


「……懐が寒い時に、金の匂いか」


俺は苦笑しながら看板の前に立った。


リュカが目を輝かせた。

「なぁなぁ、行こうぜ! こういうとこ一回入ってみたかったんだ!」

「お前、絶対遊び感覚だろ」

「まぁまぁ、せっかくだし!」


シアが腕を組み、眉を寄せる。

「ギルド……危険も多い職業ですけど、情報が集まる場所でもありますね」

「ならちょうどいい。ついでに“偽装”にも使える」


「偽装?」

リュカが首をかしげる。


「お前な、一応俺はどこぞの馬鹿王を仕留めてんだぞ? 素性が割れてんだ。おまえ、肉に夢中で忘れてただろ」


言いながら、俺は露店のそばで聞いた話を思い返す。

野ざらしの酒場で男たちが、空を飛ぶ船の話をしていた。

「空の化け物だ」「あいつらの船を手に入れりゃ金になる」――そんな下世話な会話だ。

声は低いが、興味がある者は多い。俺の顔は言葉づてで知られているのみ、まだ追われるほどじゃないが…噂はいつか糸をたぐり寄せる。


「そのうち、俺の名前までいつバレるかわからないか…」


声を落として言う。周囲の雑踏が、急に遠ざかる気がした。


リュカが肩をすくめる。

「マジで?…」

「本気だ。だから、正面から“コール”で歩くのはよろしくねぇの」


シアが腕を組み、真顔になる。

「なるほど。情報は尾ひれが付いて広がります。噂が妙な連中の耳に入れば、面倒なことになりますね」


俺は周りをちらりと見回した。人混みは多いが、視線は分散している。隠れるには悪くない。ただ、それだけでは安心できない。


「ギルドカードは身分の盾になる。偽名で登録しておけば、街の役所や宿場で最低限の信用は稼げる。噂が回っても、名簿上は“アーク”だ。

 調べようとするやつの目を一つ増やせる」


シアが穏やかにリュカに説明する。

その口調は、教師が生徒に心得を説くようだ。

リュカがポケットから小銅貨をつまみ上げ、ちらりと俺を見る。


「ふーん、なるほどな。で、アークって本名か?」

「違う」


俺は軽く笑った。

「だがこれからは“下”じゃアークだ」


シアの瞳が一瞬だけ柔らかくなる。

「承知しました、アーク様」


――ふふ、と小さな笑いを漏らす。違和感があるが、不思議と落ち着く。リュカもどこか嬉しそうに肩を竦める。


「じゃ、ギルドに行くぞ」


俺は足を進める。

剣と翼の紋章が掲げられた扉を押すと、木の香りと紙の匂いが混じった静かな空間が広がる。

依頼札が所狭しと貼られ、人々の喧噪は外に置いてきたかのようだ。


受付の娘が微笑みを浮かべて近づいてきた。

「いらっしゃいませ。登録ですか?」


俺は一瞬、黙ってから答えた。

「ああ。名前は――“アーク”だ」


受付嬢が軽く頷き、魔法陣付きの金属板を差し出す。

「こちらが冒険者登録証になります。血を一滴垂らすだけで、あなたの魔力波形と同調します。“あなた”という存在が記録されるのです」


「……血を垂らす、ね」


短剣で指先をかすめ、赤い雫をカードの中央へ落とした。


一瞬で、金属板の紋様が淡く光りだす。

魔法陣が回転し、刻印が浮かび上がった。


【名前:アーク】

【職能:空賊・影の首領…】


受付嬢が小さく目を丸くする。

「? え……なにこれ?、くうぞく?」


その瞬間――


ギギギギギ――ッ!!


金属が軋むような音を立て、カード全体が光を弾いた。

刻まれた文字が歪み、黒いノイズのような魔力が走る。

「な、なんだ!?」


リュカが思わず身を引いた。

シアが鋭く目を細める。

「?!」


カードの表面が一度、真っ白に染まる。

次の瞬間、文字が自動で書き換わった。


【職能:旅人(仮)】


まるで、何かが“書き換えた”ように。

受付嬢は息を飲み、驚いたように眉を寄せた。


「失礼しました。登録が……何かに干渉されたようです。きっと魔力がお強いのですね。

 たまに魔道士の方でもうまくいかない方がいますので。

 登録は正常に完了しています」


「干渉……ね」


俺はカードを受け取り、軽く指先で弾いた。

表面はまだ微かに熱を帯びている。

血を吸った金属が、まるで生きているかのように脈打っていた。


(……“空賊・影の首領”……、俺を隠したのか?)


シアが静かに俺を見ていた。

「……何か、思い当たることでも?」


俺は静かに目を閉じ、少し笑った。


「いや。……ただの誤作動だろ」


話を終わらせ、カードを懐に収めると、リュカが小声で言った。


「なぁ……今の、見間違いじゃねぇよな」

「……たぶんな」

「“影の首領”って……」

「忘れろ」


その一言に、リュカは黙り込み、シアは意味深な微笑を浮かべた。

受付嬢が再び姿勢を正す。


「これで登録完了です。以後、このカードがあなたの身分証となります」


【冒険者登録証】

 アーク

 職能:旅人(仮)

 階位:E級

 所属:アルト平野・エルヴァン支部


カードの表面に刻まれた名は、確かに“アーク”。

だが――裏面には、誰も読めぬ古い文字が淡く残っていた。


まるで、消そうとしても消えない傷。それが滲んでいるように見えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ