第234話:引き戻す戦い
振り下ろした剣が、弾かれた。
いくら剣を叩き込んでも……。
“減らない”。
斬った感触は確かにある。
肉を裂いた手応えもある。
なのに。
影は、減らない。
斬り落とした腕は地面に落ちる前に溶け、
地を這い、
再び胴体へと戻っていく。
私は歯を噛みしめた。
――進ませない。
影の化け物は、
ただ前を向いている。
城だ。
人が残っている場所。
逃げ切れていない者がいる場所。
私は踏み込む。
剣を振るう。
弾かれる。
吹き飛ばされる。
地面を転がり、
それでも立ち上がる。
今はもう、あいつの名前を呼ぶことはできない……。
一度でも呼べば、私が止まる気がした……。
剣を握り直す。
(……止まれッ)
止めなければならない。
これは敵だ。
敵でなければならない。
そう思わなければ、
私は剣を振れなくなる。
影の化け物が、
道端の魔物に腕を伸ばす。
掴む。
喰う。
魔物が、
形を失う。
影が、膨れる。
巨体が、
さらに歪む。
禍々しさが、
濃くなる。
「……くっ」
剣を振るう。
届かない。
届かない距離が、
どんどん広がる。
その時――空が、唸った。
影が落ちる。
違う。
船だ。
イルクアスター。
迷いのない軌道で、
そのまま――
影の化け物へ突っ込んだ。
衝撃。
爆音。
地面が跳ね、
瓦礫が舞う。
私は、咄嗟に剣を突き立て、
体を支えた。
次の瞬間。
「……エレナ!!」
声。
振り向く。
リネアだ。
ネラもいる。
二人とも、
息を切らしている。
「……大丈夫!?」
「無事か……?」
私は短く頷く。
「ああ……だが」
視線を、
影の化け物へ戻す。
ネラが周囲を見渡し、
眉をひそめた。
「船で突っ込むとは、だいぶ無茶をしたな?」
「違う……」
ネラが首を振った。
「私たちの判断じゃない……」
私は、見る。
「どういうことだ?」
「影だ……」
ネラの声は冷静だった。
「コールの指示で船を一度離脱させ、追ってきた飛行型の魔物を処理した」
リネアが続ける。
「……でもその途中で……影が、変だったの。
輪郭が崩れて……舵に絡みついた」
ネラが言う。
「だから戻ってきた。そして街の中にアレが……、お前と戦っていた……」
私は、息を吐く。
「……あれは」
言葉を探す。
苦い。
喉が、焼ける。
「アーク…、いや、コールだ」
二人が、固まる。
「リュカとシアを失って、あの姿になり、厄災を……喰った」
視線を逸らさず、
私は続ける。
「今はもう……ただ、喰らう化け物だ」
沈黙。
その足元で。
影が、
船の残骸から――
溶け出した。
地面に広がり、
溜まり、
集まる。
一つに。
人の形を取る。
私は、
息を呑んだ。
――コール。
違う。
だが、
似すぎている。
影の“コール”は、
地面に落ちている剣へ向かう。
拾い上げる。
そして。
化け物へ斬りかかった。
刃が、走る。
切り裂かれた場所から、
血ではない…黒いもやが溢れ出す。
影と、性質が違う。
その時。
落ちていた別の剣が――浮いた。
空間が歪み、
白い髪の魔族が現れる。
…アヴィル。
彼女は無言で剣を掴み、
影のコールと並んだ。
同時に踏み込む。
私は、剣を構える。
次が……始まった。
これは、
止める戦いじゃない。
引き戻す戦いだ。
影のコールが斬る。
アヴィルが続く。
二つの刃が、
同じ場所を――違う角度で裂いた。
黒いもやが、噴き上がる。
化け物が、吼える。
その声は、
怒りでも痛みでもない。
――焦り。
もやが噴き出すたび、
影の化け物は、
わずかに小さくなっていく。
削れている。
確実に。
「今だ!!」
私は叫び、
踏み込む。
剣を叩きつける。
肉でも影でもない、
“芯”の感触。
リネアの銃声が重なる。
衝撃波が、
化け物の脚を削ぐ。
ネラが間合いに入る。
迷いのない一撃。
また、もやが噴き出す。
影の化け物が、
よろめいた。
その瞬間。
影のコールが、
アヴィルの――頭を掴んだ。
一瞬、
息が止まる。
だが、
振り払わない。
アヴィルは、
目を見開いたまま――
何かを、
理解した顔をした。
影のコールが、
手を離す。
二人は、
何も言わない。
それでも――
動きが、
噛み合った。
影のコールが右へ走る。
アヴィルが左へ走る。
正反対。
化け物を中心に、
二人は駆ける。
剣を引きずる。
地面を裂く。
円。
いや――陣だ。
私は、理解した。
「……出すな!!」
叫ぶ。
リネアが即座に反応する。
「……ネラ! 右!!」
銃声。
ネラが身体ごと突っ込む。
「ック!……」
「内側に戻せ!!」
化け物が、
円の外へ踏み出そうとする。
私は、
剣を突き立てる。
足を止める。
リネアの弾が、
反対側から叩き込まれる。
ネラが、
体重を乗せて押し返す。
出さない。
出させない。
円の中に、
押し留める。
影のコールとアヴィルが、
最後の線を刻む。
地面に走る、
剣の傷。
化け物が、
初めて怯んだ。
もやが、
噴き出す。
それでも、
私は目を逸らさない。
逃がさない。
愛しているからこそ。
戻ったとき、
後悔させないために。
「ここだ!!」
私は、剣を構える。
リネアが息を整える。
ネラが、足場を固める。
化物はどんどん縮んでいく。
そして――
円が、完成する。
影のコールとアヴィルは、
円の縁――正反対の位置で止まった。
二人の足元。
そこだけ、まだ――空白。
小さな円。
意図的に残された、
最後の場所。
影のコールが、
剣を逆手に持ち替える。
アヴィルも、同じ動き。
二人は、
同時に――
剣を、突き立てた。
地面に。
小さな円の、
縁へ。
空気が、張り詰める。
そして――
二人が、こちらを見る。
視線が、重なる。
私だ。
一瞬で、理解した。
迷いは、無かった。
私は、
ヴァルセリクスを構え――
踏み込む。
小さな円の、
中心へ。
剣を、
突き立てた。
次の瞬間。
光が――走った。
円全体が、
脈打つように輝く。
剣から、
剣へ。
影のコール。
アヴィル。
そして――私。
三本の剣から、
力が吸い上げられていく。
熱でもない。
痛みでもない。
それぞれの――誓いだ。
生きてきた時間。
選び続けた覚悟。
振り返らなかった理由。
それらが、
陣に流れ込む。
地面に刻まれた線が、
光に変わる。
円が、
閉じる。
――結界。
透明な膜が、
世界を切り分ける。
同時に。
光の柱が、
天へと立ち上がった。
影の化け物を、
包み込む。
姿が――
揺らぐ。
溶けはじめる。
……いや。
消えた、わけじゃない。
見えなくなっただけだ。
光の向こうに、
確かに――いる。
吼える声は、無い。
暴れる気配も、無い。
ただ、
押し留められている。
閉じ込められている。
世界と、
切り離されたまま。
私は、
剣から手を離さない。
膝も、つかない。
逃がさない。
二度と失わないために。
影のコールが、
一瞬だけ――こちらを見る。
その輪郭は、
まだはっきりしない。
それでも。
確かに、
“ここに立っている”。
アヴィルが、
静かに息を吐く。
リネアとネラが、
背後で陣を見守る。
結界は、完成した。
だが――
終わりじゃない。
これは、“止めた”だけだ。
まだ先がある。
私は、
剣を支えながら――
光の柱の中心を、
見据え続けた。
ーーーー
拳と拳が、ぶつかり続けている。
もう、何度目か分からない。
殴る。
殴られる。
避けない。
引かない。
互いに、顔は腫れ上がり、
呼吸は荒く、
足取りも重い。
それでも――倒れない。
厄災が、後ろへ半歩下がり、
そのまま手のひらを開いた。
次の瞬間。
炎が――噴き上がる。
だが。
熱は、来ない。
俺は反射で腕を交差させ、
正面から受け止めた。
来たのは、
火傷でも衝撃でもない。
――喪失だ。
胸の奥に、
一気に流れ込んでくる。
失った時間。
戻らない日々。
守れなかった背中。
笑顔だったはずの記憶が、
全部、裏返って突き刺さる。
絶望。
後悔。
孤独。
厄災が、
これまで浴び続けてきたもの。
俺は、歯を食いしばる。
腕が、震える。
確かに――重い。
だが。
崩れない。
「……」
息を吐く。
視界の端に、
二つの影が――立つ。
リュカ。
シア。
俺の中にいる二人。
リュカが、歯を剥く。
「っは!」
嘲るみたいに。
「だから、どうした!」
炎の向こうへ、叫ぶ。
「苦しいのも! 悲しいのも! てめぇだけだと思うな!!」
圧が、跳ね返る。
炎が、揺らぐ。
シアが、
静かに、だが強く続ける。
「大事な人達と家族を失った……」
一拍。
「でも」
声が、重なる。
「ここに、大切な人たちがまだいる!!」
胸の奥が――熱を持つ。
いや。
熱じゃない。
――繋がりだ。
俺は、腕を解く。
炎を、
真正面から――踏み越えた。
厄災の目が、見開かれる。
「……なぜ、立てる」
掠れた声。
俺は、殴る。
頬へ。
顎へ。
腹へ。
重い。
鈍い。
互いに、避けない。
「生憎! 俺は! 慣れてるんだよ!!!」
息の合間に、吐き捨てる。
「その苦しみにはッ」
拳を叩き込む。
「俺は! 俺だって!!」
もう一発。
「何年も! それ抱えて生きて!」
さらに。
「そのまま! 死んだ!! それでも!!」
一撃。
「こいつらと!! 俺は生き直してるんだよ!!!」
厄災の身体が、よろける。
だが、倒れない。
殴り返してくる。
拳が、重い。
だが――違和感が走った。
拳を交えた瞬間。
なにかが――薄くなった気がした。
厄災の髪。
白かった部分が――黒に戻り始める。
揺れている。
定まらない。
俺は、見逃さない。
殴り続ける。
削ぐ。
剥がす。
拳で――
厄災が、呻く。
「……っ、ぐ……」
顔を上げた、その瞳。
一瞬だけ――
“人間の色”に戻った。
赤でも、闇でもない。
迷いと、痛みと、
理解しかけた光。
それでも倒れず、向かってくる。
殴る。
殴られる。
骨が鳴り、
息が詰まり、
視界が揺れる。
――終わらない。
「……いい加減、切りがねぇ!!」
厄災の拳が、
真正面から飛んできた。
俺は、避けなかった。
わざと――もらう。
鈍い衝撃。
頭の奥が白くなる。
同時に。
俺は、踏み込んだ。
厄災の腕を――掴む。
握力が、きしむ。
そのまま引き寄せ。
「リュカ!! シア!!」
次の瞬間。
空気が、割れた。
横から――影が飛ぶ。
リュカだ。
「っらぁぁぁ!!」
全体重を乗せた、
顔面への――飛び蹴り。
厄災の首が跳ね、
視界が後ろへ流れる。
そこへ――
「まだです!」
シア。
一歩も溜めない。
躊躇も無い。
拳を――叩き込む。
顎。
続けざまに――
腹。
音が潰れる。
厄災の身体が、
後ろへ吹き飛んだ。
だが。
――もう、待っている。
「逃がすかよ!!」
後方に回り込んでいたリュカが、
背中へ――蹴り。
叩き落とす。
前へ。
地面を滑るように、
厄災が――俺の方へ戻ってくる。
俺は、走った。
左手は――無い。
それでも構わない。
肩を落とす。
腰を入れる。
「終わりだぁああああ!!」
全身ごと――
突撃。
左腕の無いままの、
ラリアット。
肩と体重と、
生きてきた全部を乗せて――
叩き潰す。
衝撃。
地面が、砕ける。
厄災の身体が、
完全に沈んだ。
俺は、
肩で息をしながら立っていた。
拳を下ろす。
「……ったく」
俺は吐き捨てる。
「やっぱ、戦いなんて、バカ正直に一人でやるもんじゃねな?」
返事は無い。
ただ、
倒れた男が――
人間の顔で、
そこにいた。
白かった髪は、
もう“まだら”じゃない。
黒に戻っている。
闇の気配が、
薄い。
いや――消えている。
厄災の指が、動いた。
肘が、地面を押す。
ゆっくりと――起き上がる。
(……やっぱりか)
俺は乾いた笑いを漏らして、
手のひらを振った。
「はぁ〜……やめだ、やめ」
喉が痛い。
声も掠れてる。
それでも、言う。
「もう、いい」
厄災は、立つ。
ふらつきながら、
それでも目だけは折れない。
俺は舌打ちした。
「お前さ」
一歩、近づく。
殴り合いの距離じゃない。
話をする距離だ。
「やっぱムカつくけどよ……俺と同じだ」
厄災の眉が動く。
怒りでも、否定でもない。
“理解されるのが怖い”顔だ。
「どうせ死ぬまで折れねぇだろ?」
俺は肩を竦める。
「……あほくせぇ」
吐き捨てるように言って、
それでも目は逸らさない。
厄災の口元が、僅かに歪む。
笑いじゃない。
噛み殺した何かだ。
俺は、息を吸って――吐いた。
「分かったんだよ」
拳を握り直すでもなく、
剣を探すでもなく。
ただ、
指で自分の胸を叩く。
「お前、闇が要ると思ってたろ?
それでしか――“会えねぇ”って」
厄災の瞳が揺れた。
黒い髪の奥で、
今度こそ“人間”の目が残っている。
俺は続ける。
「……違うぜ?」
喉の奥が熱い。
怒りでもない。
涙でもない。
ただ――痛い。
「闇なんかに頼らなくても」
一歩、さらに詰める。
殴れる距離。
でも殴らない距離。
「お前も、会えたんだよ」
厄災の目が見開かれる。
「……なんだと?」
その声が――
さっきまでの獣じゃない。
人間の声だ。
俺は鼻で笑う。
「“簡単に切り捨てられた”みたいな顔してんじゃねぇ」
言葉を選ばない。
選べない。
今ここで誤魔化したら、
こいつはまた闇に戻る。
「なぁ」
俺は、拳じゃなく――手を出した。
掴むための手だ。
お前を引き上げるための手だ。
「あいつがさ」
脳裏に、あの存在がちらつく。
この世界の“女神”で……そして。
「お前のこと、今でも考えてる」
あの顔が思い浮かぶ。
「俺のこともだ」
自嘲が混ざる。
でも、嘘は言わない。
「あのバカが…。そうなしくずしに、だ」
言い方は汚い。
でも、コールらしくていい。
「義務だの世界のためって、簡単に切り捨てられるわけねぇだろ?」
厄災の喉が鳴る。
言葉が出ないのに、
感情だけが溢れてる。
俺は手を伸ばしたまま、続けた。
「お前が“全部”失ったって言うならさ」
息を吐く。
「取り戻すのは、過去じゃねぇ」
指先が、厄災の胸元へ届く。
触れるか、触れないかの距離。
「……これからだ」
厄災の拳が、僅かに震える。
殴るためじゃない。
掴むためでもない。
“掴んでいいのか分からない”震えだ。
俺は笑った。
優しくもない。
綺麗でもない。
ただ、疲れた笑いだ。
「ほら」
顎でしゃくり、胸ぐらをつかむ。
「立てよ、折れねぇなら――
折れねぇまま、歩け」
厄災は、歯を噛みしめた。
そして――ゆっくりと、
俺の手を見た。
「あいつが……話したがってる」
厄災の手が、わずかに上がる。
――掴むのか。
叩き落とすのか。
指先が、俺の腕に触れる寸前で――止まった。




