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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第233話:選んだ者たち


――静かだ。


音が、遠い。


世界が割れたはずなのに、


瓦礫も、血の匂いも、

もう輪郭を持っていない。


俺は、立っている。


影が、足元に落ちている。


いや――違う。


影じゃない。

これは、俺だ。


目の前に、男が立っている。


かつて“厄災”と呼ばれた存在。


だが今は、剣も持たず、

敵意も、怒りも、ない。


ただ――


こちらを見ている。黙ったまま。


俺も、黙っている。


言うことが無いわけじゃない。


多すぎて、選べないだけだ。


分かってしまったからだ。


こいつが、何を選んできたのか。


何を失って、何を守ろうとして、どこで今の自分を間違えられなくなったのか。


……分かってしまった。


だから、胸の奥が静かだ。


こいつに対する怒りがないわけじゃない。

二人を失った悲しみがないわけじゃない。


でも今は形を持たない。


世界そのものが、胸に沈んでいる。


厄災が、ゆっくりと腕を上げた。


剣を取る仕草じゃない。

攻撃の構えでもない。


手を、伸ばしただけだ。


俺に向かって。


「……来い」


声は低い。


「共に来い、コール」


名前を呼ばれる。


不思議と、違和感は無かった。


「俺達なら――」


一瞬……、

世界が、呼吸を止める。


「全てを、取り戻せるはずだ」


――分かっている。


その言葉が、嘘じゃないことも。


こいつが、本気でそう信じていることも。


俺なら、隣に立てると思ったことも。


そして。


その未来が、どれだけ美しいかも。


伸びてくる腕は、掴むための形をしていた。


拒むでもなく、

跳ね除けるでもなく。


並ぶための手。


俺は、それを見た。


理解した。


だから――踏み込む。


そして腰を入れ、

拳を握り、


そのまま――殴った。


鈍い音。


肉が揺れ、

影が歪み、

厄災の身体が半歩、後ろに流れる。


俺は息も整えず、吐き捨てた。


「バーカ!」


拳は下ろさない。


まだ、開かない。


「誰が、てめぇと行くか!」


距離を詰める。


殴った側が、さらに近づく。


「分かってねぇと思ったか?」


低い声。


「全部、分かってる。だから言ってんだ」


一瞬だけ、胸の奥に、別の顔が浮かぶ。


「あいつがな」


視線は、逸らさない。


「俺に言ったんだよ。お前を助けてやってくれ、ってな」


舌打ち。


「闇に狂わされてるはずだ、って。本当は違うはずだ、ってよ」


拳が、きしむ。


「……ふざけんな」


声は低い。


怒鳴ってはいない。


「てめぇは狂ってねぇ……」


一歩、踏み出す。


殴ったはずの距離を、自分から潰す。


「お前は、間違えたんじゃねぇ。止まれなかっただけだ」


拳を下ろす。


でも、手は開かない。


まだ、握ったままだ。


「だからよ」


厄災の胸元を、指で突く。


「俺が隣に立つって発想が出てくるのは分かる……俺なら、って思うのも分かる」


一瞬だけ、目を伏せる。


すぐに、戻す。


「でもな」


指に、力が入る。


「それは“お前の選択”した道だ。俺のじゃねぇ」


沈黙。


厄災は、倒れない。


よろけた体勢のまま、こちらを見ている。


責める目じゃない。

怒りでもない。


――俺の言葉を理解しようとしている目だ。


「全部取り戻す?」


鼻で笑う。


「何をだよ」


一歩、引く。


距離を、作る。


「お前が壊した世界か? 奪われた時間か?

それとも、選べなかった過去か?」


首を振る。


「そんなもん、戻らねぇ」


言い切る。


「戻らねぇから、俺は、前に行く」


拳を、ようやく開く。


「おめぇはすげぇよ……俺は一度止まっちまった……」


でも、手は差し出さない。


「だから見えるもんがあって、お前には見えないのかもしれねぇ」


厄災を見据える。


「助けるかどうかは、これから決める。殴ったのは、その資格があるって証明だ」


厄災が、剣を構え直す。


「そうか……なら……」


構えは高い。

重心は前。


――隙が、無い。


「この“器”、俺がもらう……」


理屈のない構えだ。


いや、違う。


理屈を超えている。


生きてきた年数。


振るってきた回数。


斬ってきた命の重さ。


それ全部が、

ただ“そこに在る”。


俺は、剣を抜いた。


踏み込む。


最初の一合で、

理解した。


――勝てない。


剣速じゃない。

力でもない。


時間だ。


俺が迷った場所を、

厄災は何百回も通り過ぎてきた。


俺が考える前に、

あいつは“終わっている”。


刃が、走る。


受ける。

弾く。

避ける。


だが――


遅い。


技を知っていても、

身体が追いつかない。


赤い軌跡が、

視界を横断した。


次の瞬間、

左側が――消えた。


衝撃は無い。


音も無い。


ただ、

“無い”。


腕が――無い。


ここが妙な世界だからか、

痛みも、血も来ない。


それでも。


膝が落ちた。


剣が、地に触れる。


理解が、

身体を折った。


――ああ。


これが差だ。


厄災は、止まらない。


追撃の一歩。


剣が、振り下ろされる――


俺の身体が、裂かれた。


俺はそのまま後ろに……、


倒れかけた。


「コール!!」


声が、割り込んだ。


次の瞬間、

背中に――熱が来る。


それはとても心地の良い、温かさだった。


「ッ?」


俺は、後ろから抱き止められた。


細い腕。


だが、離れない力。


リュカだ。


反対側から、

もう一つの体温。


シア。


二人が、

俺を支えている。


「……お前なんかに、負けねぇ!!」


リュカが叫ぶ。


厄災に向けて。


声は震えていない。


泣いてもいない。


「こいつにはな!! あたしらが、いる!!」


厄災の剣が、

止まった。


シアが、顔を上げる。


厄災を、真っ直ぐに見る。


「……あなたの、大事な人が、世界を選んだ?」


一拍。


「……ばかじゃないですか」


静かな声。


だが、逃げは無い。


「なら……今私たちがここにいるのも、それと同じです」


シアは、俺を見る。


「私も、リュカも」


そして、もう一度――

厄災を見る。


「選ばれたから、ここにいるんじゃない」


一歩、踏み出す。


「選んだから、ここにいるんです」


リュカが鼻で笑う。


「世界だの、女神だの知らねぇよ」


拳を握る。


「でもな、今ここにいる理由は、はっきりしてる」


二人が、

同時に俺を抱き締めた。


重なる。

重なる。


三つの輪郭が、

一つに――溶ける。


視界が、白くなる。


熱が、

胸の奥から溢れ出す。


左肩に、

感覚が戻る。


骨が組み上がる。

筋が繋がる。

皮膚が塞がる。


――違う。


“治った”んじゃない。


三人が一つに揃っただけだ。


左腕が、

そこに在る。


俺は、

剣を拾わなかった。


代わりに――


拳を、握る。


厄災が、低く呟く。


「……選ばなかっただと?」


リュカが即答する。


「あぁ、選ばれなかったんじゃねぇ。選べたのに選ばなかっただけだ!」


シアが、続ける。


「だから、あなたは、独りだった」


空気が、軋む。


厄災の剣が、

わずかに――狂う。


俺は、

何も言わない。


ただ、踏み込む。


拳を――振るう。


剣ごと、

殴りつける。


衝撃。


音が、潰れる。


剣は砕け、

厄災の体が、


吹き飛んだ。


「――なんだと!?」


飛ばされながら、

厄災が叫ぶ。


俺は、吼える。


「お前のそれはな!!」


一歩、踏み込む。


「取り戻せねぇ過去を!! 駄々こねて取り戻すためのもんだ!!」


拳を、叩き込む。


「だったらよ!!」


さらに――前へ。


「進んだ俺が!! 俺達が!!」


もう一発。


「「「負けるわけねぇんだよ!!」」」


「ッ!!」


剣は、もう意味を持たない。


ここから先は――技でも、理屈でもない。


拳と拳が、ぶつかる。


衝撃が、この世界を揺らす。


音が、遅れて追いつく。


次の瞬間――


殴り返された。


重い。

速い。

躊躇が、無い。


厄災の拳が、

俺の頬を捉える。


「ッ!?」


視界が歪む。


だが、倒れない。


厄災が口を開く。


「……ふざけるな」


低い声。


押し殺しているが、

抑えきれていない。


もう一発。


「ぐほ!?」


肋に、叩き込まれる。


衝撃が、芯まで来る。


「癇癪だと?……」


殴る。

殴る。

殴る。


剣を振っていた頃の正確さは無い。


だが――


重い。


「黙れ……」


額が、ぶつかる。


頭突き。


視界が白く弾ける。


それでも――

俺は、下がらない。


「……お前に、何が分かる?」


厄災の声が、

初めて――荒れる。


「世界を選んだ、選ばなかった」


拳が、振り抜かれる。


「そんな言葉だけで、すべて片付くと思うな!」


俺は、歯を食いしばる。


殴り返す。


腹。

肩。

顎。


当たる。


だが、止まらない。


厄災が吼える。


「俺が失ったのは――」


拳が、震える。


「世界なんて、ちっぽけなものじゃない!!」


殴る。


殴る。


殴る。


「――俺の、全てだ!!」


その一撃は、

怒りじゃない。


悲鳴だ。


世界を壊す理由。

止まれなかった理由。

選び直せなかった理由。


全部を叩きつける拳。


俺は、

正面から受ける。


逃げない。


殴られて、

殴り返す。


「知ってるよ」


声が、漏れる。


小さいが、

確かに届く。


「だから、ここまで来た」


拳を、叩き込む。


厄災の胸に。


「全部失ったって顔して、独りで立ち続けて」


もう一発。


「それでも、手を伸ばしただろ」


厄災の身体が、

わずかに揺れる。


認めたくない現実が、

殴り返されている。


俺は、続ける。


「それが、お前の弱さなら」


拳を、握り直す。


「俺は、そこに立つ」


さらに――踏み込む。


「お前が壊した世界の先で、それでも生きるって、選んだもう一人として!!」


拳が、交差する。


避けない。

引かない。


ここから先は――


勝ち負けじゃない。


どちらの“生き方”が、

折れるかだ。

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