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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第231話:折れた音


城門は、ゆっくりと閉じ始めていた。


重い鉄が軋み、

歯車が唸る。


「急げ!!」

「最後尾、走れ!!」


兵と冒険者が、

押し合いながら中へ流れ込む。


裂けた防壁の向こうでは、

まだ魔物が蠢いている。


小型。

中型。


数は多い。


「シガ!!」


リュカの声が、裂け目の前に響いた。


獣化した背中が、

わずかに振り向く。


説明はいらなかった。


シガは、一度だけ――

小さく頷いた。


次の瞬間。


大気が、震えた。


シガが、胸いっぱいに空気を吸い込む。


――そして、吠えた。


「ォオオオオオオオ!!!!!」


音が、

“波”になった。


衝撃でもなく、

風でもなく、

破壊そのもののうねり。


裂け目に残っていた瓦礫が、

内側から押し崩される。


石が砕け、

隙間が崩れ、

通路だった場所が――塞がっていく。


小型が弾かれ、

中型が押し戻され、

魔物の群れが、完全に遮断された。


次の瞬間。


シガの喉から、

音が――消えた。


獣の口が開いているのに、

何も、出ない。


ごぼり、と。


口元から血が溢れる。


それでも、

シガは倒れなかった。


喉を押さえることもなく、

ただ、ゆっくり振り返る。


リュカたちの方を見て、

――何事もなかったように。


そして、走り出した。


血を吐きながら。

声を失いながら。


門の内側へ。


「……バカ」


リュカが、震える声で吐き捨てた。


城門が、完全に閉じる。


街の外は、

もう――切り捨てられた。


ーーーーー


城壁の上では、

迎撃が始まっていた。


弓。

投石。

火の壺。


廃墟と化した街の向こうから、

群がる魔物へ向けて、

ありったけが投げ下ろされる。


未だに数は多いが、

統率はない。


「この規模なら持ちこたえられる!」


誰かが叫ぶ。


実際、

持つ。

今は、まだ。


だが。


――ドン。


低く、腹に響く音。


次の瞬間。


「――伏せろ!!」


誰かの言葉が、途中で消える。


瓦礫が舞い、

石が飛び、

人影が吹き飛ばされる。


叫びが上がるより早く、

“何か”が――落ちてきた。


重い衝撃。


城壁の縁に、

人影が叩きつけられる。


砕けた石の中、

転がる身体。


「コール!?」「コール様!?」


リュカとシアの声。


埃の中で、男が石に埋まる。


息が荒い。

影の隙間から、血が、額を伝うのが見える。


それでも、

剣は離していない。


「……っ、悪い……食らった」


吐き捨てるように言った、その時。


空気が、

歪んだ。


城壁の外側。


崩れた防壁の向こうから、

“それ”が伸びてくる。


巨腕。


石より硬く、

土より重い、

大地そのものの拳。


「――来るぞ!!」


誰かが叫ぶ。


遅い。


拳が、

城壁を――


叩き潰す。


その瞬間。


「……邪魔だ」


低い声。


影が、

拳へ向かって走った。


エレナだ。


躊躇はない。


拳に、

正面から――飛び込む。


地面を蹴り、

壁を蹴り、

腕を“足場”にする。


「なっ――」


誰かの声。


エレナは、

巨腕を駆け上がりながら、

刃を振るった。


一閃。


深く。

鋭く。


次の瞬間。


巨腕が、

分解する。


石が砕け、

土が散り、

腕だったものが、

瓦礫に戻る。


崩れ落ちる拳の中で、

エレナは着地する。


砂埃を払うこともなく、

すぐに振り返った。


「……生きているか?」


コールが、

息を吐いた。


「……ギリな」


城壁の上が、

一瞬、静まる。


だが。


それは、

“終わり”じゃない。


崩れた拳の奥。


地面が――

また、動いている。


誰もが、

理解した。


魔物じゃない。


これは――

まだ、“本体”じゃない。


コールが、

剣を握り直す。


「……エレナ」


視線を、前に。


「悪いが、手を貸してくれ……」


ーーーーー


……正直に言う。


俺一人じゃ――

近づくことすら、できねぇ。


空で散々やり合った。

影も使った。

全力で突っ込んだ。


それでも、

結果はあれだ。


巨腕に弾かれ、

城壁に叩きつけられて…

…こうして石の上で息を整えている。


(悔しい……苛つく……だが力が足りねぇ……)


視界の端で、

城壁の外が揺れる。


だが、今は――

さっきほどの圧はない。


狙いが、変わったからだ。


(……今、狙われてるのは)


俺だ。


厄災は、

街でも城でもない。


――俺だけを、見ている。


魔物の数は、確実に減っている。


だからこそ、

今なら……。


俺は、壁の縁に手をつき、

近くにいたドワーフへ声をかけた。


「……なぁ」


鎧に傷を残したままの、

年季の入った戦士だ。


「他に退路はないか?」


ドワーフは、

一瞬だけ俺を見る。


すぐに視線を外し、

城内の通路を顎で示した。


「ないな」


短い。

即答。


「……ほんとに?」


俺は続ける。


「今の狙いは俺だ。魔物も減ってきてる。

 今なら、まだ――」


「無理だ」


被せられた。


声は低く、

だが、揺れていない。


「通路は一つ。

 城門は閉じた。

 外へ出る道は、もう無ぇ」


ドワーフは、

奥を見た。


そこには、

簡易の治療所がある。


血の匂い。

呻き声。


担架の上で、

誰かが布を噛みしめている。


「それに――」


ドワーフが、続ける。


「……あんたの仲間の一人も、

 今、そこで手当を受けてる」


俺は、

言葉を失った。


誰だ、とは聞かない。

聞かなくても、分かる。


横たわる大きな体。


(……ミラ)


喉の奥が、

きしむ。


ドワーフは、

視線を戻さずに言った。


「どうするか……選べ。

 突っ込むんなら付き合ってやる」


その言葉が、

重く落ちた。


楽な答えはない。


俺は、

石の上で背中を預けたまま、

天井を見上げる。


(……やっぱ、そうか)


息を吐く。


「ありがとな……だが」


ドワーフは、

それ以上何も言わなかった。


俺は、視線を下げたまま、首を振った。


「来るな」


低く、短く。


ドワーフが、眉をひそめる。


「?」


俺は、剣を見る。


使い慣れた剣じゃなく、

左手に握られるアヴィルを。


静かに剣は脈打つ。

感じる。


俺に進めと、

やつを止めろと言ってくる。


――だが。


俺だけでは無理だ。


「やつには…、ただの剣じゃ傷もつかねぇ」


吐き捨てるように言う。


「やれるとしたら――」


左手の剣を握りなおし、

視線を上げる。


城壁の上。

瓦礫と粉塵の向こう。


「俺か……エレナだ」


一拍。


隣に立つ気配。


エレナは、

何も言わずに頷いた。


俺は、城壁の縁へ歩く。


石の上。

冷えた風。

下では、廃墟の街が口を開けている。


「……行くぞ」


一歩。


――飛び降りた。


落下。


胃が浮く感覚。

だが、恐怖はない。


背中が熱を持つ。


影が、反応する。

羽が開く。


空気を掴む。

身体が、ふわりと浮き直して――


ドン。


瓦礫の上に着地。


膝が沈み、

石が鳴る。


すぐ横。


影が落ちた。


エレナが“そこにいた”。


崩れた家屋の梁。

残った壁。

折れた塔の足場。


街の骨だけを踏みながら、

軽く、遅れず、追いついてくる。


「さすが……」


俺は息を吐き、

前を見る。


厄災は、遠い。


だが、確実に――近い。


「グァアアアア!」


横から、魔物。


小型が二体。

中型が一体。


吠えながら、

俺とエレナに飛びかかる。


「邪魔だ」


俺たちが剣を振るう、その前に。


ヒュン、ヒュン、ヒュンッ!!


上から矢が降った。


城壁。


一斉射。


魔物の肩に刺さり、

脚に刺さり、

動きが崩れる。


中型が呻き、

小型が地面に転がる。


「行け!!後ろは任せろ!」


城壁の上の怒号。


援護が、間に合っている。


俺は視線を上げずに言った。


「……行くぞ」


エレナは短く頷く。


「あぁ」


二人で走り出す。


瓦礫を蹴り、

崩れた通りを抜ける。


息が白い。

肺が熱い。


背中の羽が、

必要な分だけ空気を押す。


(……近い)


厄災の圧が、増える。


だが――


そこで、気づいた。


足音が多い。


俺とエレナの、二人分じゃない。


瓦礫を踏む音。

石を蹴る音。

軽い足運びが、左右から付いてくる。


「……は?」


横を見る前に、

聞き慣れた声が飛んだ。


「ったく!!置いてく気かよ!!」


リュカ。


息を切らしながら、

俺の横を走る。


その反対側から、

落ち着いた声。


「あなたたちだけ行かせるわけ無いでしょう!!」


シア。


矢の雨の合間を縫って、

迷いなく付いてくる。


俺は一瞬、言葉が詰まった。


「お前ら……ったく、任せるぞ!」


「っへ!当たり前だ!」


リュカが吐き捨てる。


「城にはシェアラさんが。

 守りは足りてます!

 今、必要なのは――前です!」


シアが続ける。


俺は歯を食いしばる。


(もう、置いて行く気はない……それでも……)


でも。


「……死ぬなよ」


俺は、それだけ言った。


リュカが笑う。


「お前がな!!」


シアは、短く頷いた。


「はい!!」


四つの足音が重なる。


瓦礫を踏み、

崩れた通りを割って、

俺たちは“厄災”へ向かって走る。


……だが。


もう一つ。


重い。


地面を沈ませるような、

低い足音が――遅れて、しかし確実に混ざった。


「……?」


リュカが一瞬だけ振り向き、

目を見開く。


「……おい!マジかよ!?」


その先。


崩れた家屋の影から、

“獣”が現れた。


いや――分かっている。


獣化したシガだ。


息が荒い。

胸が大きく上下している。


喉元から、血が垂れている。


だが、脚は止まらない。


声は出ない。

吠えられない。


それでも――


目だけは、

真っ直ぐ前を見ていた。


「……ったく、牛野んとこにいろって言ったのに!」


リュカが、息を呑む。


シアは、

一瞬だけ視線を送って、

すぐに前へ戻した。


「……来ましたね」


短い。

だが、責める色はない。


シガは、

何も言わない。


言えない。


ただ、

走る。


俺の横まで並び、

一拍だけ――頷いた。


「……無茶しすぎだ」


俺が低く言う。


シガは、

答えない。


代わりに、

地面を一段強く蹴った。


ズン、と音が鳴る。


(……まだ動ける)


だが、

長くは持たない。


それは、

全員が分かっている。


前方。


廃墟の街が、

“歪んで”いる。


建物が傾き、

地面が脈打つ。


厄災が、

近い。


「……来るぞ」


正面から、巨大な拳が迫っていた。


「一本芸だな……みんな後ろにッ」


俺が言うより早く、

エレナが前へ出る。


「私が前を払う。進め!!」


言い切るより早く、

刃が走った。


――速い。


一撃じゃない。

二撃でもない。


剣が“線”になって、

拳の表面を削り、

骨格ごと刻み、

形そのものを解体していく。


土と石の拳が、

空中で崩れる。


砕けた破片が雨のように落ちる中、

俺たちはそのまま走り抜けた。


リュカが舌打ちする。


「派手すぎだろ……!」


シアは息を整えながらも、

目だけは前を見ている。


「止まらないで!」


瓦礫の通りを抜けた瞬間。


空気が、

“静か”になった。


そこに。


ひとり。


男が立っていた。


視線だけが、

こちらに向いた。


俺と目が合う。


(……厄災……やっぱりお前)


エレナは止まらない。


そのまま斬りかかる。


――だが。


男の腕に、

赤い剣が“現れた”。


光じゃない。

火でもない。


血のような色の刃。


ガィン、と。


エレナの斬撃が弾かれる。


「……っ」


一歩、踏み直す。


その瞬間、

横から獣の影が滑り込む。


シガだ。


声も出さず、

ただ腕を振るう。


だが――


止められた。


厄災が、

獣化したシガの腕を止めた。


次の瞬間。


厄災は、

剣を持つ手ではない方――

何も持っていない手のひらを向けた。


「――離れろ!!」


遅い。


炎が炸裂した。


爆発と“噴き出す”熱。


空気が焼け、

瓦礫が溶け、

地面が焦げる。


シガの巨体が、

正面から吹き飛ぶ。


「シガ!!」


リュカが叫び、

シアが足を止めかける。


だが――止まれない。


その炎の煙の中から、

一直線に俺は飛びかかる。


左右に二本の刃。


「……どけぇええええ!!」


左にアヴィル。

右に、馴染んだ剣。


二刀流で、

厄災へ突っ込む。


(俺が……お前を)


踏み込み。


一撃。

二撃。

三撃。


影が羽の形に広がり、

俺の速度を押し上げる。


刃が赤い剣とぶつかる。


ガン、と火花。


“手応え”は薄い。


だが、

止めない。


叩き続ける。


(エレナだけじゃ足りねぇ。

 俺一人でも足りねぇ)


なら――


「行けぇえ!!」


リュカが、

俺を跳び越えた。


空中で身体をひねり、

ナイフを投げる。


「喰らえッ!!」


一直線。


狙いは――喉。


厄災の視線だけが、

それを“捉えた”。


だが。


地面が盛り上がり、

壁が生えた。


ナイフは、

石と土の壁に刺さって止まる。


「チッ、そんなのありかよ……!」


リュカが着地し、

舌打ちしたその時。


――今度は、獣の咆哮。


シアだ。


「……邪魔ァァァッ!!」


拳が振り抜かれる。


壁ごと。


土の壁が砕け散り、

その向こうの厄災へ――

衝撃が届く。


ゴォン、と。


厄災の体が、

一歩、横へ弾かれた。


「……ッ!」


誰かが息を呑む。


あの厄災が、

“押された”。


その瞬間、

エレナが再び前に出る。


「今だ」


短い。


俺は頷く。


「行くぞ」


五人の足音が、

一瞬だけ揃う。


次の一撃へ――

全員が、同時に踏み込んだ。


地面が、鳴った。


大きく揺れてうねる。


足元の石畳が、

内側から引き裂かれる感触。


「――ッ!」


反射で身体が動いた。


影が跳ね、刃が走る。


地面から突き出た石を弾き、

角度を殺し、致命を外す。


……できた。


俺とエレナは。


だが。


一歩、視界の端。


倒れている影。


炎に焼かれ、

動けなくなった――シガ。


(……っ)


間に合わねぇ――そう思った、その瞬間。


「……チッ」


聞き慣れた、舌打ち。


考えてない。

迷ってない。


ただ、前に出た。


リュカが、

シガの前に――滑り込んだ。


「リュ――」


名前を呼ぶ前に。


ズブリ。


嫌な音。


骨に、肉に、

石が食い込む音。


リュカの身体を、

石の槍が――貫いた。


「……っ、が……」


息が、漏れた。


血が、

口から溢れた。


それでも。


倒れなかった。


片膝をつきながら、

背中で――庇った。


(…………リュカッ)


喉が、動かない。


声が、出ない。


その時。


「リュカァァァ!!」


シアの声。


――壊れた。


一瞬で、分かった。


瞳が揺れて、

呼吸が乱れて、

理性が――切れた。


「やめろ!!」


叫んだ。


全力で。


でも、届かない。


シアは走った。


一直線。

無防備。

考えなし。


怒りと喪失だけで。


「やめろォォォ!!」


俺の声は、

空気に溶けた。


厄災が、

見下ろす。


感情は、ない。


ただ――動く。


地面が、再び脈打つ。


今度は、

狙い撃ち。


鋭い石の槍が、

一直線に――


「シアァァァァッ!!」


遅い。


身体が、

宙で止まる。


一瞬。


次の瞬間、

力なく――落ちた。


ドサッ……


音。


重い音。


……動かない。


呼吸も、ない。


世界が、

音を失った。


「……ぁ……?」


喉から、

変な音が出た。


言葉じゃない。

声でもない。


視界が、

歪む。


震える。


「……は、はは……」


笑ってるのか、

泣いてるのか、

分からない。


足に、力が入らない。


剣が、

異様に重い。


「……また……またなのか……?」


リュカは、動かない。

シアも、動かない。


胸の奥で、

何かが――折れた。


「……あぁ……クソ……クソォーーーーー!!!!!!!!!」


喉が、裂ける。


「ッーーーーーーーー!!」


影が、暴れた。


羽が、

制御を失って広がる。


視界が、

赤く染まる。


俺の中……、影が包んで分けていたものが……、


……ほどけた。

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