第229話:削られる前に
影が、応えた。
俺の背中に溶け込んでいた影が、
一斉に脈打つ。
回れ。
止まるな。
削れ。
言葉じゃない。
感覚そのものが、背骨を駆け上がる。
「……上等だ」
吐き捨てる。
翼が、影に覆われて歪む。
空間を“掴んで捻る”感覚。
俺は、空を蹴った。
――加速。
一気に、飛行型の群れへ突っ込む。
「ヒャッハ……!」
回転。
身体ごと、影ごと、
刃物の芯みたいに回り始める。
視界が流れる。
上下が消える。
風の音が、ひとつの線になる。
影が、外へ広がる。
翼の延長みたいに。
刃の輪郭みたいに。
――ミキサー。
最初に触れた一体が、
砕けた。
胴が潰れ、
翼が千切れ、
形を保てないまま、霧みたいに散る。
「っ……!!」
次。
その次。
更にその次。
群れの中へ、
俺自身が“回転する災害”みたいに突っ込んでいく。
当たった瞬間、
魔物がバラける。
回転に巻き込まれ、
構造ごと壊されていく。
翼が剥がれ、
骨が折れ、
肉が空中で引き裂かれる。
逃げようとした個体が、
隣の個体に巻き込まれて一緒に潰れる。
群れだったものが、
塊になり、
塊が、飛沫になる。
「どうしたどうしたどうしたアアアァ??」
声が、勝手に跳ねる。
「勢いたんねぇぞぉおおおお!!」
影がさらに広がり、
回転が加速する。
風圧が、悲鳴を上げる。
空気が、焼ける。
視界の端で、
飛行型の列が崩れていく。
追撃線が途切れる。
包囲が割れる。
空が――軽くなる。
だが。
一瞬、奥歯が軋んだ。
(少し……重い)
回転を続けるたび、
影が、力が“削れていく”。
無限じゃない。
調子に乗ると、後がなくなる。
「っち、まずは……ここまでだなぁ?」
俺は、回転を解いた。
一気に速度を落とし、
空中で体勢を立て直す。
その瞬間――
残った飛行型が、
距離を取った。
完全に散ってはいない。
だが、もう“群れ”じゃない。
点在する影。
再編しようと、空を旋回している。
地上を見下ろす。
防壁は、まだ持っている。
前線も、崩れていない。
船は――
空を低く旋回しながら、
距離を取っている。
後ろには、
まだ魔物が追っている。
だが……。
「いっちょ上がりぃい」
十分だ。
俺は、翼を畳み、
船へ向けて急降下した。
――ドン。
甲板に着地。
木が軋み、
船体が揺れる。
影たちが、剥がれ甲板に並ぶ。
「ふぅ……ちょっと休憩……」
息が、荒い。
肺が熱い。
「コール!……」
誰かの声。
顔を上げると、
リネアが銃を上げたまま、こっちを見ている。
「大半は落としたぜ?」
短く言う。
「でも、まだいる……」
リネアは銃を構え、背後の空を見据える。
……その時だった。
違和感に、
最初に気づいたのは――俺だった。
空にいる。
高度がある。
だから、見えた。
魔物の群れの奥。
砲撃で削られ、
崩れ、それでもなお蠢く“黒い塊”の、
さらに向こう。
――ぽつり。
何かが、立っている。
(……あ?)
一瞬、
目が合った気がした。
距離じゃない。
武器も見えない。
咆哮もしない。
走りもしない。
ただ――
歩いている。
魔物の隙間を縫うでもなく、
踏み越えるでもなく。
まるで、
最初からそこに“道”があるみたいに。
(……来やがった)
そう思った瞬間、
背中の影が、ぞわりと粟立った。
あれは――
人の形をしているだけだ。
俺は、息を吸うのを忘れていた。
胸の奥が、ざわつく。
焦りだ。
だが――
立ち止まる類の焦りじゃない。
(……あれに削られる前に、削る)
選択肢を並べる時間はない。
考えている間にも、
あれは一歩、また一歩と近づいてくる。
俺は、舵輪の方を見る。
「ネラ!!」
即座に声を張る。
「なんだ!……」
「船を横に向けろ!
正面じゃねぇ、側面だ!」
一瞬の間。
だが、ネラは迷わない。
「了解!!……」
舵が切られる。
船体が大きく傾き、腹を晒すように旋回する。
甲板が軋む。
空気が流れる。
――砲門が、並ぶ。
俺は、影に視線を落とす。
「野郎ども!」
影が、脈打つ。
「撃て!! 撃ちまくれ!
地上の群れを、まとめて削れ!!」
次の瞬間。
影たちは一斉に動き、狙いをつける。
「――撃てぇぇええええ!!」
轟音。
一斉。
ドォォォォンッ!!!!
船が、震えた。
砲撃。
連射。
乱射。
照準なんて概念はない。
消耗も気にせず、撃ちまくり。
面で、削る。
光が落ちる。
爆風が走る。
地面が――えぐれる。
防壁の外。
魔物の密集地帯が、
一瞬で“赤黒い霧”に変わる。
爆ぜる。
潰れる。
吹き飛ぶ。
「……ッ!!」
地上の戦線が、息を呑む。
前線の兵士たちの頭上を、
衝撃波が駆け抜けていく。
魔物の列が、
縦に、
横に、
まとめて消える。
(そのまま、削れろ)
影が、砲撃に合わせて動く。
砲身を固定し、
反動を逃がし、
次弾を即座に撃ち込む。
「止めるな!!」
叫ぶ。
「群れを切れ!!
再編させるな!!」
さらに轟音。
地面が、抉れる。
土が、岩が、魔物ごと宙に舞う。
さっきまで“数”だったものが、
ただの残骸に変わっていく。
だが――
俺は、視線を遠くへ戻す。
霧の向こう。
あの、人影。
砲撃が始まっても、
速度は変わらない。
足取りは、一定。
群れが削られても、
足を止めない。
「ッチ……ネラ! このまま船を一度遠ざけろ!」
ネラが、短く答える。
「了解した!……」
ネラが舵を切る。
船体が、戦場と距離を取るように旋回する。
飛行型はまだ残っている。
数は減った。
だが、完全には消えていない。
散った影が、
再び“狙い”を定め始めている。
「そりゃ……追って来るよな」
呟く。
俺は、影たちを見る。
全員を連れて、地上には戻れない。
――分けるしかない。
「野郎ども!」
声を落とす。
影が、静かに応えた。
「半分残れ」
言い切る。
「船を守れ。
近づく飛行型を――全部落とせ」
影たちは並び、形を変える。
何の合図もいらない。
残りは、俺の背中へ戻ってくる。
重さが、減る。
大きさも、ほぼ元の人間の等身大のまま、
いつもの狂気じみた感覚には引っ張られない。
だが――動ける。羽は使える。
影を半分残したことで、
身体の奥が静かになった。
さっきまでの高揚はない。
狂気も、笑いも、引いている。
「……コール」
背後から、控えめな声。
振り向くと、
リネアが銃を下げ、そこに立っていた。
赤い目が、俺を見ている。
撃っていた時の鋭さはなく、
少し、不安そうに揺れている。
「……えっと……」
言葉を探すみたいに、
一度、視線が逸れる。
「……戻るんだよね」
俺は頷く。
リネアも小さく肯定するように頷いた。
それから、少しだけ間を置いて、
リネアはもう一度こっちを見る。
「……でも」
声が、ほんの少しだけ震える。
「さっきの……すごく強くて、すごく遠かった」
責める口調じゃない。
ただ、感じたことをそのまま出しただけ。
「……あのまま地上に行ったら、きっと……誰かまで巻き込んじゃう」
俺は、目を伏せる。
「分かってる……だから影も減らした」
短く答える。
「今なら……大丈夫だ。
ちゃんと、見て戦える」
リネアは、少し考えてから、
ゆっくり、頷いた。
「うん……コールが、そう言うなら……信じる」
それから、ぽつりと。
「……でもね」
一歩、近づく。
声は小さい。
「無理してる時のコール、私……分かっちゃうから」
胸の奥を、静かに突かれる。
「……戻ってきて……ちゃんと」
命令でも、お願いでもない。
ただの、素直な本音。
「……私、ここで待ってるから」
一瞬、
何て返せばいいか分からなくなる。
「……あぁ」
それだけ言う。
リネアは、ほっとしたように息を吐く。
「……それなら…いい」
銃を、もう一度構え直す。
「……船は私が守る、…ネラと一緒に」
それから、少しだけ照れたように。
「……だから、コールは……地上で頑張って」
俺は、甲板の縁に立つ。
下を見る。
防壁。
戦線。
人の列。
そして――
霧の奥を、一定の速度で歩いてくる人影。
まだ遠い。
だが、確実に近づいている。
「行ってくる」
小さく言う。
翼を広げる。
影は、必要な分だけ背中に残っている。
重すぎない。
軽すぎない。
今の俺には、これでいい。
背後で、ネラの声。
「コール……妹を、泣かせるな」
振り向かない。
「あぁ!」
次の瞬間、
俺は甲板を蹴った。
風を裂き、
一直線に――地上へ向かう。
船は、背後に残る。
守りは、任せた。
地上の戦場が、
俺を待っている。




