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祈りの果てに ― 無限の箱庭で笑う者 ―  作者: 酒の飲めない飲んだくれ
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第228話:空の逃げ道


夜明け前。


空が、わずかに白み始めた瞬間だった。


人々がこの街から逃げるため、再び列を形成していた。


……だが。


――警鐘。


防壁の上から、けたたましい音が街に落ちる。


「……は?」


朝だ。

夜は、もう越えたはずだった。


魔物は夜に活性化する。

だから――逃げる算段だった。


だが。


防壁の向こう。

霧の奥が、動いている。


数。

異常な数。


「来てるぞ!!」

「朝なのに……!」


悲鳴混じりの叫びが走る。


影が、地面を埋め尽くしていた。

獣、虫、歪な形。

押し寄せる、という言葉しか出てこない。


「迎撃用意!!」


魔物の咆哮が、重なっていく。


数だ。

質じゃない。


一体一体は倒せる。

だが、押し寄せる量が違う。


防壁の内側で、

人の声がざわつき始めていた。


「まだ来るのか!?」

「船! 船はどこだ! あれなら!!」


避難列が、揺らぐ。

誰かが一歩踏み出せば、

その後ろが崩れる――そんな空気。


(……まずい)


このまま騒げば、

人は“逃げ道”に殺到する。


“船に、群がる”。


そうなれば終わりだ。


この場所にいる全員を連れてくのは無理だ。


積めない。

守れない。

飛べない。


俺は、迷わなかった。


「ネラ!」


即座に声を張る。


「ッ!」


振り返ったネラの目は、もう状況を理解している。


「今すぐ船を浮かせろ! 高度は低くていい、だが――」


一歩、距離を詰める。


「人は乗せるな! この場では、俺の命令だけ聞け!」


ネラは一瞬目を開いたがすぐに頷いた。


「……船を、出す!」


その一言で、甲板へ駆ける。


「リネア!」


次に、銃を下ろしたばかりのリネアを見る。


「……なに?」


「船に残れ!」


短く、強く。


「……え?」


一瞬、言葉を失う。

だが、すぐに察した顔になる。


「コール……」


「船の守りをたのむ。ネラを一人にするな」


リネアは、迷う表情をする。だが、

それでも――頷く。


「……分かった。撃っていい?」


「あぁ、頼むぜ」


それ以上は言わない。


俺は、防壁の方へ向き直り、

声を張り上げた。


「シア! リュカ! ドワーフ隊と、前列を締めろ!

 ミラは、右を押さえろ! シガ、出過ぎるな!

 シェアラ! シガと行け!」


指示が、次々と飛ぶ。

誰も、迷わない。


だが――

空気は、張り詰めていく。


船の方から、

低い振動音が響いた。


甲板が、わずかに揺れる。


ネラが、動かした。


木製の舵が軋み、

床下の機構が唸る。


船体が、ゆっくりと浮く。


「……離れたぞ!」

「そんな! 置いていかないで!」

「待ってくれ!! 子供だけでも!」


誰かが叫ぶ。


人々の視線が、

一斉に船へ向く。


(……来る)


案の定だった。

数人が、船へ走り出す。


俺は、一歩前に出る。

そして銃を抜き、地面に線を描くように撃つ。


「止まれ!!」


銃声が、空気を裂いた。


「これは避難船じゃねぇ!」


全員が、こちらを見る。


「これは――“最後に飛ばすための船”だ」


言い切る。


「今、群がったら、ここにいる全員死ぬぞ!」


沈黙。


だが、理解より先に、

恐怖が勝ちかけている。


その時――


防壁の外で、

地面が、跳ねた。


魔物の先頭が、

壁に取り付いた。


「来るぞ!!」


叫び声。


剣が抜かれる。

魔力が集まる。


俺は、左腕を強く握った。


(……時間を稼ぐ)


船は、もう動いている。

逃げ道は、生きている。


なら――


「……ここからは、総力戦だ」


誰に聞かせるでもなく、呟いた。


朝の空は、まだ薄い。

光はあるが、温度がない。


逃げる時間は終わった。


既に俺の後ろには関わりを持った奴らがいる……。

シン、アスハ、ナイ……ドワーフ。


自分たちの力で必死に生きようとする者たち。


だから……ここで止める。

――俺が、前に立つ。


その瞬間。


「……一人で立つな」


低い声。


隣に、足音が並ぶ。


振り向かなくても分かる。

剣を引き抜く音。

空気が、わずかに張り替わる。


エレナ……。


肩越しに深紅の髪をなびかせ、

視線は防壁の向こうを睨んだまま。


「夜が終わったからといって、

 戦いが終わるとは限らない。

 ……想定内だ」


淡々とした声。

だが、その足取りは迷っていない。


「……来るなら、迎え撃つだけだ」


俺は、短く息を吐く。


「助かる」


それだけ言う。


エレナは、こちらを見ない。

だが、間合いはぴたりと揃えてくる。


――前に出る距離。

――退かない位置。


分かっている。


防壁の外で、

魔物が壁を叩く。


衝撃。

悲鳴。

剣戟。


そのすべての前に、

俺たちは並んで立った。


逃げ道は、空に残した。

だが、地上は――ここで止める。


朝は、まだ始まったばかりだ。


だが、ここに居る者達にとっては、

これが――正念場になる。


「……行くぞ!!」

「あぁ!」


俺の声にエレナが、短く答えた。


二人で、前を向く。


薄明の中、

魔物の群れが、波のように押し寄せてくる。


――ここから先は、退かない。


夜を越えても、

地獄は、まだ終わらない。


それでも。


俺たちは、立つ。




戦いが、始まった。




防壁の外。

魔物の群れが、波のように押し寄せてくる。


「「「おぉおおおおお!!」」」」


最初の衝突。


剣がぶつかり、

槍が突き立てられ、

魔力が炸裂する。


その瞬間、俺は一歩踏み出した。


エレナと並んで、前へ。


走り出す。


そして――

背後の気配が、増えた。


振り返らなくても分かる。

足音。

呼吸のない動き。

だが、確かに“居る”。


影たちだ。


いつ呼んだわけでもない。


俺が前に出ると決めた瞬間、

最初からそこに、当たり前に追従してくる。


人の形をした影。


俺の魂から削り出した分身。


最初から共にいる仲間。


……家族のような奴ら。


道具じゃない。

兵器でもない。


俺自身……。


「行くぞ!!」


声を張る。


エレナが一拍遅れず、踏み込む。

剣閃が走り、魔物の先頭を切り裂く。


同時に、影たちが動く。


前に出すぎない。

だが、必ず一歩先。


魔物の脚を刈り、

噛みつこうとした顎を抑え、

突進の軌道を、半歩ずらす。


殺しきらない。

“崩す”。


俺達側が仕留めやすい形に整える。


リュカのナイフが飛ぶ瞬間、

影が魔物を引き留める。


シアが飛び込む一拍前、

影が道を作る。


ドワーフの槌が振り下ろされる直前、

影が足場を固める。


「……動きが、噛み合ってるな」

「なんだこいつら!?」

「どうでもいい! 敵を倒しまくれぇえ!」


誰かが叫ぶ。


当然だ。


あいつらは、

俺が何を守りたいか、

何を後ろに残したいかを、

言葉より先に理解している。


だって――俺と同じ魂だ。


「押し返せるぞ!」


一瞬、戦線が前に出る。

魔物の密度が、わずかに薄くなる。


その時……空が、唸った。

轟音。


ドーンッ!


上だ。

空に残した逃げ道が、動いた。


次の瞬間、

砲撃。


轟音と共に、空から光が落ちる。


炸裂。

爆風。

魔物の群れが、まとめて吹き飛ばされる。


「……っ!」


防壁の内外で、どよめき。


地上の戦線が、息をつく。

押されていた前列が、圧倒的に持ち直す。


――退路が、見えた……はずだった。


だが。


その希望は、

あまりにも早く“次”に塗り替えられた。


防壁の外。

押し返された魔物の、そのさらに奥。


霧の向こうが――

もう一度、蠢いた。


「……まだ、いるのか」


誰かの呟き。


違う。


“まだ”じゃない。


今までの群れとは、

動きが違う。


地面を埋めていた影とは別の――

縦に、広がる気配。


「……上だ!!」


叫びと同時に、

空気が裂けた。


羽音。


無数。


低く、鋭い音が重なり、

霧の中から姿を現す。


薄い膜の翼。

細長い胴体。

鉤爪のような脚。


飛行型の魔物。


数は、地上より少ない。

だが――目的が、はっきりしている。


視線が、

一斉に上を向いた。


船だ。


「まずい!」


俺は、舌打ちする。


地上を削るのは囮。

本命は――逃げ道。


魔物にそんな頭はないはず、だが……本能で理解している。

己がどう動けば獲物を仕留められるのかを……。


「リネア!!」


叫ぶより先に、

船の上で火花が散った。


銃声。


乾いた連射音が、

空に突き刺さる。


飛行型が、

空中で弾けるように落ちる。


だが――多い。


船は旋回しながら空で魔物に追われている。


影がここにいるのが仇になった……。


「ックソ!」


吐き捨てた瞬間、

視界の端で――影たちが揺れた。


揺れ、というより。

“寄る”。


俺の背後に散っていたはずの分身が、

一つの意志に引かれるように、俺へ戻ってくる。


足音はない。

呼吸もない。


だが、確かに焦燥が混ざる。


あいつらは知っている。

俺が次に何を考えたか。

俺が次に何を選びかけたか。


――船へ。

――空へ。

――逃げ道を守りに行く。


だが……。


俺が動けば、

地上の前線は薄くなる。


俺が残れば、船が落ちる。


どっちも、終わりに繋がりかねない。


その時。

霧が、もう一段濃くなった。


いや――違う。


霧の奥から、

新しい“塊”が押し出されてきた。


地面が、波打つ。


誰かが叫んだ。


「……増援だ!!」


さっき崩した列が、

今度は別の列で埋め直される。


しかも――

前の群れより、密度が高い。


「来るぞ!!」

「押されるな!!」

「ここで耐えろ! 一歩も引くんじゃねぇ!」


しかし前線が、じわりと下がる。

剣戟の間が詰まり、

槍が引けなくなり、

魔術の詠唱が途中で途切れる。


数が、質になる。


押し潰すだけでいい、

相手を殺しきる必要がない数。


俺は、奥歯を噛んだ。


(……このままだと、地上が割れる)


空では――


銃声が続く。

だが、間隔が長くなっている。


リネアも追い詰められてる。


船が、旋回している。

逃げ道が、逃げ道でいられなくなる。


「……エレナ!」


呼ぶ。


エレナは返事をしない。

既に前を見ている。


剣閃が一度走り、

魔物の首が飛ぶ。


その勢いのまま、俺の隣に並ぶ。


「迷うな! ここは私が抑える!」


短い。

だが、刺さる。


俺は、視線を空へ上げた。


俺が飛べば、船は助かる……だが地上が割れる。

俺が残れば、地上は持つ……だが船が落ちる。


選択じゃない。


どちらも、失う。


――その時。


「コールさん!!」


背後。

防壁の内側から、地面を鳴らし走ってくる音。


壁を飛び越え、球体がやってきた。

そしてそれが目の前で人形になり、見覚えのある三機が並ぶ。


「シン!」


その隣には、アスハとナイもいた。


「フン! アタシは来る気なんてなかったんだからね!」

「心配そうにしてたくせに?」


さらに、その後ろからも防壁を守っていたはずの球核機たちが次々と並ぶ。


「コールさん、行ってください!」


一言。


それだけで、

俺の胸の中の迷いを、切り裂く。


「お前ら、街はどうすんだ!」


シンは、声を張り直した。


「冒険者の方たちが粘ってくれています!

 あなたが抜ける穴は! 俺たちが埋めます! だから!」


背後のアスハが、歯を食いしばる。


「アタシの気が変わらない内にさっさと行きなさいよ!」


ナイが、短く頷く。


「あの船が落とされたら終わる……それはみんな分かってる」


ドワーフが、槌を地面に叩きつける。


「他の連中は悪魔だの何だの言っとるが、そんなことはどうでもいい。ほれ、ここはわしに任せろ!」


その言葉に、

周囲の兵士たちの目が変わる。


恐怖じゃない。


“やれること”を見つけた目だ。


「……お前ら」


声が掠れる。


以前なら。


見捨てて飛んだ。

迷わず飛んだ。


関わりを切って、

大事な奴らだけを抱えて、船の上で生き残る道だけを見てた。


でも今は――


目の前で、

必死に立とうとする連中がいる。


俺の“代わり”をやると言っている。


シンが、もう一歩踏み込む。


「コールさん、お願いします!」


叫ぶ。


「俺たちに――立たせてください!!」


一瞬、

言葉が出ない。


影たちが、俺の背後で静かに揃う。


融合しようと寄ってきた影が、

今度は“待機”の形に変わる。


俺の選択を待つ形。


俺は、息を吐いた。


短く。


冷たく。


「……分かった」


声が落ちる。


俺は、シンの目を見る。


「前線は任せる」


シンが、強く頷く。


「はい!」


アスハとナイも、即座に散る。

ドワーフが、前へ出る。


――穴が埋まる。


埋まる“意志”が生まれる。


俺は、空を見上げた。


船の上で、

また火花が散った。


リネアの銃声。

そして、船は大きく旋回して逃げ続け、その後ろには魔物の群れ。

まるで一つの生き物のように船を追う。


「エレナ」


名前を呼ぶ。


エレナは、俺の隣に立ったまま、短く言った。


「行け。私はここに残る」


「……悪い」


「謝るな。だが」


一拍。


「戻って来い。死ぬな」


それだけ。

俺は、頷く。


「野郎ども!!」


号令に影たちが、俺の背後に半歩寄る。

次の瞬間、体中に影が染み込む。


そして俺を異形に変える。


「ヒヒ……この感覚…これだ……」


背中から変質した、翼が生える。


俺の視界が、

一点に絞られた。


(落とさせねぇ……!!!!!)


次の瞬間、

俺は地面を蹴り、

影と共に――空へ向かって駆け上がった。

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